うめのみやじんじゃ
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無人の神社です
御朱印は、宮司さんのお宅で頂けます
在宅されてれば、今日はラッキー✌️とゆうことで♪♪
富士塚です🗻
一応登っておかないと♪
御朱印は、宮司さんのお宅で頂けます
今日は在宅されてたので、いただけて良かった(・∀・)
これもラッキー✌️
鎌倉街道散策(狭山柏原)3
【散策ルート】
新狭山駅〜①生越道道標〜②奥富神社〜③広福寺〜④梅宮神社〜⑤九頭龍大権現碑〜⑥城山砦〜新狭山駅
広福寺の前の道(鎌倉街道)を10分程で梅宮神社があり、この辺りは農道になっている。
④梅宮神社
狭山市上奥富にある村社の神社です。祭神は瓊々杵尊・彦火々出見尊・大山祇神・木花咲耶姫命です。梅宮神社は、京都西院の勅旨田として源朝臣信公が平安時代に当地を開拓、承和5年(838)に京都の梅宮大社を勧請して創建したという。江戸期には三代将軍家光や松平信綱も参拝したといいます。古来安産の神として知られ、社には古代の供応様式である「甘酒祭り」が伝わっている。
農道を歩くこと10分程で健康文化センターがある。河原の自然公園のような土手を行くと小さな祠がある。これが九頭龍大権現碑を祀っている。
⑤九頭龍大権現碑
この石塔は入間川の堤防に沿った下奥富に祭まつられており、嘉永3年(1850)12月に造立されたものです。
九頭龍とは、洪水のときの河川の荒れ狂う様子を九頭の龍の姿に見立てたものと考えられ、ここに九頭龍大権現を祭ったのは入間川の水の猛威を鎮しずめ、田畑を洪水から守ることを祈ってのことです。
なお、九頭龍信仰のもとは、長野県の戸隠神社奥社の九頭龍大権現と考えられ、古くから豊作をもたらす神として信じられてきた。
河原の土手を『いるまがわ大橋』へ出る。橋の中間点から入間川を見ると2つ目の『八丁の渡し』と思われる河原を見ながら渡る。渡り切ると柏原ニュータウンがあり、その北側に接する大きな丘に城山砦跡がある。
⑥城山砦
狭山市柏原にある「城山砦跡」は、別名「上杉砦」とも呼ばれ戦国時代の砦跡です。
天文14年(1545)、扇ヶ谷上杉朝定・山ノ内上杉憲政・古賀清氏との連合軍8万余騎が北条綱成の守る川越城を攻めた。川越城は、3千の兵でしたが、北条軍はよく守り、簡単には落城しませんでした。
翌天文15年(1546)、川越城を助けるため北条氏康(早雲の孫)は駿河から8千余騎で、夜に猛攻撃をかけ、油断していた8万余騎の連合軍を打ち破った。10倍近い大軍を負かしたことから、後の世まで 『川越夜戦』と語られている。
この時、上杉憲政などが陣をはったところが、柏原の城山であったといわれており、鎌倉時代の武将柏原太郎の館跡であるとも言われている。
踏み入ると鬱蒼と茂る木々と踏み固められていない地面の本郭は何か出てきそう!
城山砦跡から住宅地、国道、生活道、墓地を抜けて、40分程で新狭山駅に到着。
④梅宮神社 鳥居
④梅宮神社 鳥居
④梅宮神社 拝殿
④梅宮神社 拝殿
④梅宮神社 鳥居裏
④梅宮神社 境内社鳥居
④梅宮神社 境内社石碑
④梅宮神社 境内社石碑
④梅宮神社 境内社石碑
④梅宮神社 境内社石碑
④梅宮神社 境内社石碑
④梅宮神社 境内社石碑
④梅宮神社 境内社塚
④梅宮神社 御朱印
九頭龍大権現までの道筋風景
⑤九頭龍大権現碑 祠
⑤九頭龍大権現碑 祠
⑤九頭龍大権現碑 石碑
⑤九頭龍大権現碑
⑤九頭龍大権現碑
⑤九頭龍大権現碑 案内板
⑤九頭龍大権現碑 供養祠
入間川大橋までの道筋風景
2つ目の八丁の渡しかな?
2つ目の八丁の渡しかな?
入間川
⑥城山砦跡 入口前広場
⑥城山砦跡 入口前広場
⑥城山砦跡 入口
⑥城山砦跡 稲荷大明神
⑥城山砦跡 稲荷大明神鳥居
⑥城山砦跡 砦内
⑥城山砦跡 砦内道
⑥城山砦跡 砦内道
⑥城山砦跡 本郭
⑥城山砦跡 本郭
⑥城山砦跡 砦内道
⑥城山砦跡 裏口
歴史
『入間郡神社明細帳』には「仁明天皇御世承和五年(八三八)戌子正月十一日、山城国葛野郡梅津郷梅宮神社御分堂を奉斎創建す」と記されている。この時代の所在地は現在地ではなく、南の台地上の小字山崎にあったというが、時を経た天文年間(1532-55)に火災あたったため現在地に遷座した。現在の社殿は、慶応2年(1866)正月に完成したものである。神仏分離以前は、本地十一面観世音菩薩像の御正体を拝していた。
同社は上下奥富の総鎮守であり、安産の神として知られている。創建の日の正体十一日(現在は2月11日を当てる)を記念した祭事が連綿として続いているが、この祭りは俗に甘酒祭りと呼ばれ、昭和30年11月1日に県の無形民俗文化財に指定された。
名称 | 梅宮神社 |
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読み方 | うめのみやじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊、大山祇命 |
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創建時代 | 承和5年(838)1月11日 |
文化財 | ・梅宮神社甘酒祭(埼玉県指定無形民俗文化財)
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ご由緒 | 『入間郡神社明細帳』には「仁明天皇御世承和五年(八三八)戌子正月十一日、山城国葛野郡梅津郷梅宮神社御分堂を奉斎創建す」と記されている。この時代の所在地は現在地ではなく、南の台地上の小字山崎にあったというが、時を経た天文年間(1532-55)に火災あたったため現在地に遷座した。現在の社殿は、慶応2年(1866)正月に完成したものである。神仏分離以前は、本地十一面観世音菩薩像の御正体を拝していた。
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