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鎌倉街道散策(狭山柏原)1
『狭山市柏原』
市内を通る鎌倉街道は、鎌倉と上野国や信濃国などを結ぶ主要街道であったため、鎌倉時代から戦国時代にかけて、軍事用だけでなく物資の流通にも盛んに利用されていた。
鎌倉街道上道の支道である堀兼道は川越市藤倉、池辺を通り河越館跡付近へ向かっている。そして、狭山市東三ツ木付近から北西方向へ進み、入間川を渡り、智光山公園付近で上道の本道に合流するルートもあった。
【散策ルート】
新狭山駅〜①生越道道標〜②奥富神社〜③広福寺〜④梅宮神社〜⑤九頭龍大権現碑〜⑥城山砦〜新狭山駅
新狭山駅から真っ直ぐ国道16号線へ。入間市方面へ折れ、一つ目の信号の右手角に、窮屈そうに建っている生越道道標を発見。
①生越道道標
生越道道標(「せごしどうどうひょう」とも呼んでいます。)は寛政2年(1790)に建てられたもので、国道16号の新狭山駅入口交差点近くにあります。
この道標を生越道道標と呼ぶのは、左側面に「北 下奥富入口并ならびに柏原生越道」とあるからである。しかし、1キロほど南の青柳にある道標には「越生」とあるので、「おごせ」と読むのが正しいと思われる。
江戸時代以前の中世まではこの辺りは入間川の南岸で、鎌倉街道などの交通の要衝であったが、江戸時代に五街道が整備されると交通の中心から外れていった。この付近を通る街道としては秩父道、八王子道で川越方面から入間市方面に向かう道であった。八王子道は鎌倉街道と交差する道です。
また、道標には南 武蔵野道、北 越生道と刻まれていて、この南北の道は、南は堀兼に向い、北は越生まで通じている道で、鎌倉街道の支道と思われるルートにあたります。
その角を北上し歩くこと10分弱で右手に奥富神社の石標柱が右手に現れる。
②奥富神社
狭山市下奥富にある神社です。旧奥富村と寄付金により、奥富の地より出征した英霊百余柱を祀る為に創建、昭和28年社殿が完成したそうです。
その後奉賛会を結集し、4月に大祭を行っていて、西方囃子が奉納されいる。
新狭山駅北口
①生越道道標 標柱
①越生道道標 石碑
①生越道道標 案内板
①生越道道標 風景
鎌倉街道筋
鎌倉街道筋
②奥富神社 鳥居前石段
②奥富神社 供養碑と境内社
②奥富神社 鳥居
②奥富神社 拝殿
②奥富神社 奥殿
②奥富神社 日露戦争戦没碑
②奥富神社 案内板
②奥富神社 富士浅間神社
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