やなぎはらじんじゃ
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先日参拝していなかった善光寺七社を廻ります。朝早くに長野駅に降り立ち、歩くこと数分。駅から近い!かつては善光寺の注連縄などをここで焼いていたため、笹焼神社と通称されています。社地は狭いのは神社前の通りの拡幅の為、一部社地を提供したとのこと。その際の具体的な金額もネットで調べていたら出ていました(びっくり)その資金をもとに社殿等を改築したとのことでした。御祭神は健御名方命・少彦名命・誉田別命を「お祀りしています。御朱印は後ほど弥栄神社で戴くこととして、長野電鉄長野駅へ向かいました。

社号標

社頭

鳥居

鳥居扁額

手水舎

平成二年(1990)奉納の手水鉢


嘉永五年(1852)奉納の灯籠


狛犬


拝殿 平成二年(1990)改築


扁額



本殿 平成二年(1990)改築


社務所

御神木

【善光寺七社巡り(6/7)】
柳原神社(やなぎはら~)は、長野県長野市中御所にある神社。旧社格は村社。祭神は健御名方命、少彦名命、誉田別命。善光寺七社の1社。
創建は不詳。かつて当地周辺で善光寺の注連縄などを焼いていたため、「笹焼神社・笹焼大明神」と呼ばれていた。もとは「諏訪大明神」と称していたが、江戸時代後期の1818年に現社名に改称した。
当社は、JR上越新幹線・信越本線・長野駅の西方300mの大通り沿いの平地にある。さすがに県庁所在地のメイン駅に近いこともあって、境内は時代の流れで削られたようで、旧村社としても大きくはない。社殿は南向きに建つが、参道は短く、鳥居は南向きに建っていない。ただ1本の古巨木だけが、当社が古社であることを雄弁に物語っている。
今回は、善光寺七社の1社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、自分たち以外に参拝者はいなかった(駅近の神社だからか、参拝以外の何かをしている人は2人ほどいた)。
※当社は弥栄神社(長野市上西之門町)が兼務しているため、御朱印は弥栄神社で拝受できる。

境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。

参道右側の<手水舎>。

鳥居は木製の両部鳥居。味のある木製扁額と、しっかりとした太さの注連縄が架かっている。

参道左側の<狛犬>。新しそう。

参道右側の<狛犬>。軽い彩色入り。

<拝殿>全景。全体的に新しそう。

<拝殿>正面。「柳原神社」と書かれた大きな扁額が掛かる。

<拝殿>内部。きれいにされている。

拝殿から振り返って境内全景。

<社殿>全景。地味に良い雰囲気。

境内東端にある大きな<社務所>。

拝殿後ろの<本殿>。一間社流造、瓦葺といったところか。

反対側から<社殿>全景。

本殿は覆屋はなくむき出し。その後ろは大通り。

社殿の右側(東側)には、極太幹の古木が、古社であることを物語っている。(^▽^)/
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かつては善光寺の注連縄などをここで焼いていたため、笹焼神社と通称される。健御名方命を祀っており、もとは諏訪大明神と称したが、1818年(文政元年)に現社名に改めている。
1990年(平成2年)に神社前を通るターミナル南通りの拡幅のため境内を一部提供し、その際本殿等を建て替えている。
歴史をもっと見る|| 名称 | 柳原神社 |
|---|---|
| 読み方 | やなぎはらじんじゃ |
| 通称 | 笹焼大明神、諏訪大明神 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 健御名方命・少彦名命・誉田別命 |
|---|---|
| 本殿 | 流造 |
| ご由緒 | かつては善光寺の注連縄などをここで焼いていたため、笹焼神社と通称される。健御名方命を祀っており、もとは諏訪大明神と称したが、1818年(文政元年)に現社名に改めている。 1990年(平成2年)に神社前を通るターミナル南通りの拡幅のため境内を一部提供し、その際本殿等を建て替えている。 |
| ご利益 | 病気平癒 |
| 体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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