くまのさんしゃ
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御朱印は4枚セットで1000円。普段は無人の神社のため、賽銭箱に「御朱印はお金を入れて箱からとるように」とありました。境内には、御朱印の数通り、神様4名の末社、末社がありましたが火災等で拝殿のみだそうです。
毛越寺と中尊寺の間に鎮座されています。
御朱印とおみくじは拝殿に書き置きが用意されていました。
熊野三社由緒
當熊野三社は、人皇五十四代仁明天皇御字、嘉祥年中(八五O年頃)勅命に依り、慈党大師が衆生済度の為、東国に下向し国々に神社仏閣を建立し、特に奥国磐井郡平泉郷には、五方鎮守の宮社を構えた後に、上皇七十三代同四代堀河烏羽の両帝の勅願として、嘉保年中(一〇九四年頃)奥羽両國の探題鎮守、藤原清衡将軍が江刺豊田城より居城を平泉郷に移し鎮守府の政を執るに嘗リ平泉鎮護の神として五方鎮守総社を建立され其の中の當熊野社平泉北方鎮守の神として紀州熊野山、吉野金峯山より移して金峯社、熊野社を建立す、五間四面の宮造りの社殿で紀伊国よリ熊野権現の分身を本宮よリ御分霊賜リ守護神として木像を安置し末社に、子守社、勝手社を祀りしも元亀二年野火にて焼失し其の後時を経て安政二年(一八五五年)境内を華舘山に移し仮宮を建立し末社を合祀し熊野三社と社名を改めて参リました。
明治二十四年仮宮を改築造営致して参りましたが老朽化せる為、平成二十二年九月に現在の社殿を造営し境内整備をし完成致しました。尚焼失の際、蔵王権現木造(鎌倉時代の作)の一部(首)を以って面に改め残って居リ、當社の宝物として祀られて居リます。
歴史
当熊野社は五方鎮守の一社にして、承安4年(AD1174)藤原清衡将軍が江刺の豊田城より居を平泉に移してより鎮守府の政を執るに当たり、平泉鎮護の神として五方社を建立したるなり
五方社とは、東方に日吉、白山、両社。西方に北野天神社、稲荷社。南方に祇園社、八王子社。北方に熊野社、金峰山社ありて、金峰山社はその中央総社なり
熊野社は五間四面の宮造りの社殿にして、熊野蔵王権現を祀り、末社に子守社、勝手社の両社あり
元亀2年(AD1571)野火にて焼失したるため、境内を花立山に移転し、現在地下方の花立池の北側に仮宮を建て、末社を合祀し、熊野三社と称したるなり
焼失の際に持ち出した、十一面観音掛仏、神像蔵王権現の頭部にて面を造りたるは宝物なり
名称 | 熊野三社 |
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読み方 | くまのさんしゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
ホームページ | https://kumano3sha.wixsite.com/kumano3 |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 伊弉諾尊(イザナギノミコト)
伊弉冊尊(イザナミノミコト) 少名彦命(スクナヒコノミコト) 天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト) |
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ご由緒 | 当熊野社は五方鎮守の一社にして、承安4年(AD1174)藤原清衡将軍が江刺の豊田城より居を平泉に移してより鎮守府の政を執るに当たり、平泉鎮護の神として五方社を建立したるなり 五方社とは、東方に日吉、白山、両社。西方に北野天神社、稲荷社。南方に祇園社、八王子社。北方に熊野社、金峰山社ありて、金峰山社はその中央総社なり 熊野社は五間四面の宮造りの社殿にして、熊野蔵王権現を祀り、末社に子守社、勝手社の両社あり 元亀2年(AD1571)野火にて焼失したるため、境内を花立山に移転し、現在地下方の花立池の北側に仮宮を建て、末社を合祀し、熊野三社と称したるなり
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体験 | 夏詣 |
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