むらくにますみだじんじゃ
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お昼より、
宿場町でもありました、鵜沼方面へ用事ごととお参りに伺いました。
参拝に上がらさせて頂きました神社は、
村國真墨田神社です。
こちらも各務原市内の金幣社の一社であられる神社です。
鵜沼地区の産土神とされている。ありがたきお社です。その他にも、様々な神様が祀られており、たくさんのパワー頂け、たくさんあやかれる素敵な神社です。
お伺いさせて頂く神社に、意識してはいませんが、、、大黒様、恵比寿様、弁財天様がおみえなのは、気のせいでしょうか?何か凄く縁深く感じる今日この頃でした。
朝お伺いしました、村國神社のお隣りに在るお寺には弁財天様がみえました♫
歓迎されている様で、ありがとき幸せを感じる次第です。
社務所が閉まっていて誰もお見えにならないかと思いましたが、インターホンを鳴らすとご対応して頂けました。お昼寝にも関わらず、丁寧に対応頂き感謝しかありません。駐車場はわかりにくいのでご注意を!鳥居から犬山城を眺める事が出来ます。
鳥居
手水舎
駐車場の案内ありますが…
わかりにくく、アパートの隣りでもあり、ここに駐車してはダメかと思い…
ここから境内に入り止めていた人が結構多かったです。
美濃国各務郡の式内社です。真墨田というと尾張国一宮の真清田神社を思い浮かべてしまいますがもちろん関係ないわけではなく、この地に住んでいた村国氏が美濃一宮の南宮大社と尾張一宮の真清田神社を合祀して創建されたと言われています。同郡の村国神社には天火明命を祀っているあたり、村国氏的には真清田神社の方を尊重した社名にしているのかもしれません。
《鳥居と社号碑》
明治の近代社格制度では郷社に列格していました。
《由緒書き》
江戸の後期になるまでは村国神社だったようです。
《手水舎》
水は流れています。
《拝殿》
この神社の木曽川を挟んだ向こう側には針綱神社があり、そちらは尾張国丹羽郡になっていることから木曽川を国境としていたことがわかります。また現在も岐阜県と愛知県の県境が同じように引かれています。
《金幣社の記念碑》
岐阜県の神社は神社庁の下現在でも社格が存在しており、当社はその中でも最高位の金幣社に列格しています。
《拝殿内部》🙏
《各務原金幣社巡り》
👁チェックポイント‼️
金幣社は意外にも多くの神社が列格していますが、各務原市においては5社しかなく、当社の他には村国神社、加佐美神社、御井神社、手力雄神社となっています。
この中で手力雄神社以外は式内社ですが、手力雄神社も古くからの豪族が崇敬しており美濃国神名帳には載っていることから、古くからこの地方で崇敬されていた神社に金幣社に認定しているようです。
《御神木》
《社務所》
左手の授与所のインターホンを押したら右の社務所から出て来られ、書き置きの御朱印いただきました。
《末社群》
左側が恵比寿大黒神社、右側が護国神社です。
歴史
村國真墨田神社は、美濃國一宮の南宮大社(不破郡垂井町)の主神金山彦命(かなやまひこのみこと)と、尾張一宮の真清田神社(愛知県一宮市)の主神天火明命(あめのほあかりのみこと)さらに後になって、この地を支配していた地方豪族村國氏の中より、天武元年(672)に起こった壬申の乱の際、大海人皇子(おおあまのおうじ後の天武天皇)に味方して功績をあげた村國男依(むらくにのおより)を、その後祭神として合祀し、古くから鵜沼の地の産土神として里人の崇敬を集めていました。その社名は、十世紀初頭の法典である「延喜式」(えんぎしき)の中の一巻である「神名帳」の中にも見出される、美濃國式内社の一社であります。又、当時の神社は現在の場所から数百メートル南の木曽川ぞいに有ったと伝えられ、その場所は現在は御旅所となっています。その後、時代は下って戦国時代になり、神社は当時の武将大沢氏一族の守護神となり、その居城鵜留摩(うるま)城(現鵜沼南町城山)の外堀外部に位置していましたが、永禄年間(1558-1570)織田信長の美濃侵攻によって大沢氏は城を追われ、鵜沼地方は織田家領となり、更に天正十二年(1584)小牧長久手の戦いにおける羽柴秀吉の犬山攻めに際して、この地の有力者であった河村惣六なる人物が秀吉に協力して恩賞を挙げた折、許可を得て現在の場所に神社を遷宮し現在に至っています。[岐阜県神社庁当神社ページより引用]
名称 | 村國真墨田神社 |
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読み方 | むらくにますみだじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 天之火明命 金山彦命 彦火火出見命 罔象女命 村国男依 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 7世紀 |
創始者 | 村国氏 |
ご由緒 | 村國真墨田神社は、美濃國一宮の南宮大社(不破郡垂井町)の主神金山彦命(かなやまひこのみこと)と、尾張一宮の真清田神社(愛知県一宮市)の主神天火明命(あめのほあかりのみこと)さらに後になって、この地を支配していた地方豪族村國氏の中より、天武元年(672)に起こった壬申の乱の際、大海人皇子(おおあまのおうじ後の天武天皇)に味方して功績をあげた村國男依(むらくにのおより)を、その後祭神として合祀し、古くから鵜沼の地の産土神として里人の崇敬を集めていました。その社名は、十世紀初頭の法典である「延喜式」(えんぎしき)の中の一巻である「神名帳」の中にも見出される、美濃國式内社の一社であります。又、当時の神社は現在の場所から数百メートル南の木曽川ぞいに有ったと伝えられ、その場所は現在は御旅所となっています。その後、時代は下って戦国時代になり、神社は当時の武将大沢氏一族の守護神となり、その居城鵜留摩(うるま)城(現鵜沼南町城山)の外堀外部に位置していましたが、永禄年間(1558-1570)織田信長の美濃侵攻によって大沢氏は城を追われ、鵜沼地方は織田家領となり、更に天正十二年(1584)小牧長久手の戦いにおける羽柴秀吉の犬山攻めに際して、この地の有力者であった河村惣六なる人物が秀吉に協力して恩賞を挙げた折、許可を得て現在の場所に神社を遷宮し現在に至っています。[岐阜県神社庁当神社ページより引用] |
体験 | 御朱印祭り武将・サムライ札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 村国真墨田神社(むらくにますみだじんじゃ、旧字体:村國眞墨󠄀田神󠄀社󠄁)は、岐阜県各務原市にある神社。式内社であり、各務原市鵜沼地区の産土神とされている。各務原市内の金幣社五社のうちの一社である。 |
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歴史 | 概略[編集] 創建時期は7世紀頃。この地域(美濃国各務郡)を支配していた豪族村国氏が美濃国一宮の南宮大社の主神「金山彦命」と尾張国一宮の真清田神社の主神天火明命を合祀して創建したという。後に村国男依を祭神として合祀している。 創建当時は、現在地の南数百m(現在の木曽川沿い)にあったという(現在は御旅所になっている)。戦国時代の永享年間(1429年 - 1440年)、土岐氏に仕えていた大沢利治が鵜沼城を築城すると、村国真墨田神社は大沢氏の守護神となり、鵜沼城の城下に移転する。 1564年(永禄7年)、織田信長は木下藤吉郎に、鵜沼城と伊木山城の攻略を命ずる。しかし、城主の大沢治郎左衛門の抵抗...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通機関[編集] JR高山本線 鵜沼駅より徒歩で約5分。 名鉄犬山線・各務原線 新鵜沼駅より徒歩で約5分。 |
引用元情報 | 「村国真墨田神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%91%E5%9B%BD%E7%9C%9F%E5%A2%A8%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98751090 |
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