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鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮ではいただけません
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ちょうかいさんおおものいみじんじゃわらびおかぐちのみや

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮
山形県 遊佐駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮について

最北端の一宮


山形県で最高峰の鳥海山を御神体とし、その登山口であった蕨岡口に鎮座する里宮です。
出羽国一宮は山頂の本社、吹浦口ノ宮、蕨岡ノ宮で一つとなっているため、参拝の際はこちらもぜひお参りしてください。

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惣一郎
2021年10月23日(土)
1269投稿

鳥海山大物忌神社(ちょうかいさん・おおものいみ~)蕨岡口ノ宮(わらびおかくちのみや)は、山形県飽海郡遊佐町蕨岡松ヶ岡にある神社。式内社(名神大)で、出羽国一之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、大物忌大神。歴史的経緯から、鳥海山山頂と吹浦と蕨岡の3つの社殿があるが、これを一体として鳥海山大物忌神社と称し、山頂の権現堂が本殿で、吹浦と蕨岡はそれぞれ口ノ宮(里宮)という変則的な祭祀体制となっている。

創建は不詳。鳥海山は主たる登山口だけでも吹浦、蕨岡、矢島、小滝の4カ所があり、登山口ごとに信徒が一定の勢力を構成し、異なる伝承が伝わるうえ、登山口間の争いが多かったことから伝説がゆがめられることも多く定説をみない。吹浦の社について、江戸時代に記された『大物忌小物忌縁起』では、景行天皇の御代に出羽国に神が現れ、欽明天皇の御代の564年に飽海郡山上に鎮まり、平安時代初期の806年に吹浦村に遷座と記載されている。蕨岡の社については、同じく江戸時代に記された『鳥海山記并序』、『鳥海山縁起和讃』では、天武天皇の御代に、山の神の命により役行者が山中に出没する鬼を退治して開山し、行者が山に登った際「鳥の海」を見たことから「鳥海山」と名付けたとしている。

平安時代には六国史にもたびたび登場するが、927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「出羽国 飽海郡 大物忌神社 名神大」に比定され、『延喜式』の「主税式」においては、国家の正税から祭祀料2,000束を受ける記載(他は陸奥国鹽竈社、伊豆国三島社、淡路国大和大国魂社)があり、国家から特別な扱いを受けていたことが伺える。中世において当社は出羽国一之宮とされるとともに、鳥海山と月山の双方を祀る「両所宮」と称されていた。また、六国史の記載によると、平安時代以降、神仏習合が進み、仏教隆盛の元、当社は本地垂迹説により鳥海山大権現と称して社僧が奉仕した。江戸時代になると、山頂の鳥海山大権現の管理、社殿の立替、一之宮の称号の使用を巡って登山口間の争いが頻発し、その度に庄内藩、江戸寺社奉行が裁定に入ったが、最終的には明治時代に有栖川宮熾仁親王の通達により、現在の変則的な祭祀体制をもって争いは収束した。

当社(蕨岡口)は、JR羽越本線・遊佐駅の南東4kmの鳥海山の南西山裾で、平地からは少し山道を登った場所にある。境内入口には隋身門(仁王門)があって、神仏習合の名残りを色濃く感じられ、少し登った場所にある社殿(拝殿)は非常に大きく、境内全体に荘厳な雰囲気が漂っている。ただこちらも吹浦口と同様、他の一之宮と比べると、境内社の数は少なく、見て廻るエリアは広くはない。

今回は、出羽国の一之宮、式内社、旧国幣中社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分たち以外には、観光客と思しき夫婦が1組だけ来ていた。

※鳥海山大物忌神社(蕨岡口)は無人社。御朱印は鳥海山大物忌神社(吹浦口)で拝受できる。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の鳥居

境内西端入口にある<二の鳥居>と<社号標>。ここから300mほど西側に一の鳥居がある。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の山門

鳥居をくぐると、すぐに<隋神門>。元仁王門で、吹浦口ノ宮と違って仏教テイストを感じる。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の手水

隋神門をくぐってすぐ左側にある<手水舎>。大きくてしっかりしている。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の塔

手水舎の後ろにある、立派な<宝篋印塔>。酒田の豪商・本間家第三代の本間四郎三郎光丘の寄進による。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の建物その他

隋神門をくぐって右手にある<社務所>。大きくて立派だが無人社。御朱印は<吹浦口ノ宮>で拝受する。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の建物その他

参道を進んで、右手に見える<神楽殿>。なんとなく<元鐘楼>っぽい。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の鳥居

少し階段を上がると、左側に南面して<三の鳥居>が立っている。参道は左に直角に曲がる。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の本殿

三の鳥居をくぐると、広い前庭の向こうに、巨大な<本殿>が建っている。境内の説明書きによると、<拝殿>ではなく<本殿>と記載されていることから、一般でいう拝殿と本殿が一体になっているものと思われる。出羽国独特のものなのかしら?

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の本殿

近づいていくが、とにかく大きい<本殿>。こちらは明治時代の1896年の造営で、桁行三間、梁間六間、切妻造銅板葺、正面に一間向拝を付ける。梁間は約17m、床高は2.3mとのこと。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の狛犬

左側の<狛犬>。本殿が大きくて気付かなかったが、狛犬もかなり大きい。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮(山形県)

右側の<狛犬>。年季も相当入っていて、見た目は深海魚系でちょっと怖め...(^_^;)

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の本殿

<本殿>正面。絵様や装飾の要素は少ないが、直線的な意匠でまとめられ、とにかくスケールが大きく豪壮。鈴を鳴らす綱と一緒に吊るされている長細い布袋は、庄内地方独特の物なのかしら?(この後もいろんな神社で見かけた。)

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の本殿

<本殿>内部。外陣(げじん)と内陣(ないじん)に分かれ、背面側の中央間に宮殿が造られている。上部に掛かる扁額には<鳥海山大物忌神社>と書かれ、<有栖川宮熾仁親王書>とある。さすが。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の建物その他

<本殿>に登って、横から見たところ。大寺院の本堂に登ったような感覚。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の末社

拝殿に向かって右側に、境内社がいくつか見えるので行ってみる。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の建物その他

まず、段の下には<さざれ石>。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の鳥居

段を登って鳥居の先にあるのは、<摂社風神社・末社荘照居成神社>。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の本殿

社殿は大きくはないが、軒などの彫刻が繊細で美しい。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の末社

その右手にある境内社群。左から順に<末社火鎮神社>、<末社松ヶ岡神社>、<末社白山神社>。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の建物その他

境内社群の右手にある、拝殿跡、蔵王権現碑につづく石段。100段ぐらいなら登ろうかと思ったが、案内板に400段とあったので、へたれな自分は即断念。。。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮(山形県)

さざれ石の場所から見た<本殿>。太陽光が樹木の緑に反射して、本殿の壁がきれいな黄金色に見える。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の末社

拝殿に向かって左側にすすむ。こちらには境内社が1社だけある。珍しい名前の<木丈葉神社>。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の本殿

木丈葉神社の近くから見た<本殿>。この建物は拝殿兼本殿なので、もちろん後ろには何も建っていない。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の建物その他

ちょうど手水舎の上部にある石碑群。左側には、明治時代の本殿造営に酒田の豪商・本間光輝が金五百圓と杉217本を奉納したとある。

鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の鳥居

全体的に仏教の色彩が強いところが、吹浦口ノ宮とは対照的。

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歴史

神社の創祀は欽明天皇二十五年(1400余年前)の御代と伝えられている。鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり、鎮祭が行われていた。本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座する。
大物忌神社は貞観四年(862)十一月官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として、吹浦鎮座の月山神社と共に収載されている。後に、出羽国一宮となり、朝野の崇拝を集めた。特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきた。
中世、神仏混淆以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなったが、明治三年神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治四年五月吹浦口の宮が国幣中社に列したが、同十三年七月に山頂本社を国幣中社に改め、同十四年に吹浦・蕨岡の社殿を口宮と称えて、隔年の官祭執行の制を定めた。
昭和三十年に三社を総称して現社号となる。
山頂の御本社は、伊勢の神宮と同じく二十年ごとに建て替える式年遷宮の制になっている。
平成二十一年境内他、国の史跡に指定される。
現在蕨岡ノ宮は無人社で本務を吹浦口ノ宮としており、祭りのときに神職はこちらにやってくる。

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鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮の基本情報

住所山形県飽海郡遊佐町上蕨岡字松ヶ丘51
行き方

JR羽越本線「南鳥海」からタクシー15分

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名称鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮
読み方ちょうかいさんおおものいみじんじゃわらびおかぐちのみや
通称鳥海山大権現
参拝時間

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
ホームページhttp://www9.plala.or.jp/thoukai/index.html
SNS

巡礼の詳細情報

日本全国の一宮まとめ

詳細情報

ご祭神大物忌神
ご神体鳥海山
創建時代第二十九代欽明天皇二十五年(564)
ご由緒

神社の創祀は欽明天皇二十五年(1400余年前)の御代と伝えられている。鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり、鎮祭が行われていた。本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座する。
大物忌神社は貞観四年(862)十一月官社に列し、延喜式神名帳には名神大社として、吹浦鎮座の月山神社と共に収載されている。後に、出羽国一宮となり、朝野の崇拝を集めた。特に歴代天皇の崇敬篤く、八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修など時々の武将にも篤く崇敬されてきた。
中世、神仏混淆以来、鳥海山大権現として社僧の奉仕するところとなったが、明治三年神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり、明治四年五月吹浦口の宮が国幣中社に列したが、同十三年七月に山頂本社を国幣中社に改め、同十四年に吹浦・蕨岡の社殿を口宮と称えて、隔年の官祭執行の制を定めた。
昭和三十年に三社を総称して現社号となる。
山頂の御本社は、伊勢の神宮と同じく二十年ごとに建て替える式年遷宮の制になっている。
平成二十一年境内他、国の史跡に指定される。
現在蕨岡ノ宮は無人社で本務を吹浦口ノ宮としており、祭りのときに神職はこちらにやってくる。

体験御朱印祭り札所・七福神巡り一の宮

Wikipediaからの引用

概要
鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)は、山形県飽海郡遊佐町にある神社。式内社(名神大社)、出羽国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
歴史
歴史[編集] 創建に関する諸説[編集] 景行天皇または欽明天皇時代の創祀と伝えられるが、創建時期には諸説があり、山頂社殿が噴火焼失と再建を繰り返しているための勧請も絡んでいて、時期の特定は困難である[1]。鳥海山の登山口は、主要なものだけで矢島、小滝、吹浦、蕨岡の4ヶ所(鳥海修験 も参照のこと)があり、各登山口ごとに異なる伝承が伝わるうえに、登山口ごとに信徒が一定の勢力を構成して、互いに反目競争することも多かったため、それらの伝承が歪められることも多く、定説をみない状況である[1]。 吹浦の伝承[編集] 吹浦の社については、元禄16年(1703年)に芹沢貞運が記した『大物忌小物忌縁起...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] 1月1日 歳旦祭 御頭舞奉納 1月5日 五日堂大祈祷 (五穀の占) 4月8日 祈年祭 (吹浦口之宮) 5月3日 蕨岡口之宮例大祭 蕨岡延年奉納 5月4日 吹浦口之宮例大祭 吹浦田楽奉納 5月5日 吹浦口之宮例大祭 7月1日 鳥海山夏山開祭 (吹浦口之宮) 7月14日 鳥海山火合せ神事 (山頂、御浜、西浜、飛鳥、宮海など) 7月15日 月山神社祭 (玉酒神事) 11月8日 新嘗祭 (吹浦口之宮) 11月9日 新嘗祭 (吹浦口之宮) 11月12日 新嘗祭 (蕨岡口之宮)
引用元情報鳥海山大物忌神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%B3%A5%E6%B5%B7%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E7%89%A9%E5%BF%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=97314356

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