ちょうかいさんおおものいみじんじゃわらびおかぐちのみや
鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮のお参りの記録一覧
鳥海山大物忌神社(ちょうかいさん・おおものいみ~)蕨岡口ノ宮(わらびおかくちのみや)は、山形県飽海郡遊佐町蕨岡松ヶ岡にある神社。式内社(名神大)で、出羽国一之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、大物忌大神。歴史的経緯から、鳥海山山頂と吹浦と蕨岡の3つの社殿があるが、これを一体として鳥海山大物忌神社と称し、山頂の権現堂が本殿で、吹浦と蕨岡はそれぞれ口ノ宮(里宮)という変則的な祭祀体制となっている。
創建は不詳。鳥海山は主たる登山口だけでも吹浦、蕨岡、矢島、小滝の4カ所があり、登山口ごとに信徒が一定の勢力を構成し、異なる伝承が伝わるうえ、登山口間の争いが多かったことから伝説がゆがめられることも多く定説をみない。吹浦の社について、江戸時代に記された『大物忌小物忌縁起』では、景行天皇の御代に出羽国に神が現れ、欽明天皇の御代の564年に飽海郡山上に鎮まり、平安時代初期の806年に吹浦村に遷座と記載されている。蕨岡の社については、同じく江戸時代に記された『鳥海山記并序』、『鳥海山縁起和讃』では、天武天皇の御代に、山の神の命により役行者が山中に出没する鬼を退治して開山し、行者が山に登った際「鳥の海」を見たことから「鳥海山」と名付けたとしている。
平安時代には六国史にもたびたび登場するが、927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「出羽国 飽海郡 大物忌神社 名神大」に比定され、『延喜式』の「主税式」においては、国家の正税から祭祀料2,000束を受ける記載(他は陸奥国鹽竈社、伊豆国三島社、淡路国大和大国魂社)があり、国家から特別な扱いを受けていたことが伺える。中世において当社は出羽国一之宮とされるとともに、鳥海山と月山の双方を祀る「両所宮」と称されていた。また、六国史の記載によると、平安時代以降、神仏習合が進み、仏教隆盛の元、当社は本地垂迹説により鳥海山大権現と称して社僧が奉仕した。江戸時代になると、山頂の鳥海山大権現の管理、社殿の立替、一之宮の称号の使用を巡って登山口間の争いが頻発し、その度に庄内藩、江戸寺社奉行が裁定に入ったが、最終的には明治時代に有栖川宮熾仁親王の通達により、現在の変則的な祭祀体制をもって争いは収束した。
当社(蕨岡口)は、JR羽越本線・遊佐駅の南東4kmの鳥海山の南西山裾で、平地からは少し山道を登った場所にある。境内入口には隋身門(仁王門)があって、神仏習合の名残りを色濃く感じられ、少し登った場所にある社殿(拝殿)は非常に大きく、境内全体に荘厳な雰囲気が漂っている。ただこちらも吹浦口と同様、他の一之宮と比べると、境内社の数は少なく、見て廻るエリアは広くはない。
今回は、出羽国の一之宮、式内社、旧国幣中社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分たち以外には、観光客と思しき夫婦が1組だけ来ていた。
※鳥海山大物忌神社(蕨岡口)は無人社。御朱印は鳥海山大物忌神社(吹浦口)で拝受できる。
境内西端入口にある<二の鳥居>と<社号標>。ここから300mほど西側に一の鳥居がある。
鳥居をくぐると、すぐに<隋神門>。元仁王門で、吹浦口ノ宮と違って仏教テイストを感じる。
隋神門をくぐってすぐ左側にある<手水舎>。大きくてしっかりしている。
手水舎の後ろにある、立派な<宝篋印塔>。酒田の豪商・本間家第三代の本間四郎三郎光丘の寄進による。
隋神門をくぐって右手にある<社務所>。大きくて立派だが無人社。御朱印は<吹浦口ノ宮>で拝受する。
参道を進んで、右手に見える<神楽殿>。なんとなく<元鐘楼>っぽい。
少し階段を上がると、左側に南面して<三の鳥居>が立っている。参道は左に直角に曲がる。
三の鳥居をくぐると、広い前庭の向こうに、巨大な<本殿>が建っている。境内の説明書きによると、<拝殿>ではなく<本殿>と記載されていることから、一般でいう拝殿と本殿が一体になっているものと思われる。出羽国独特のものなのかしら?
近づいていくが、とにかく大きい<本殿>。こちらは明治時代の1896年の造営で、桁行三間、梁間六間、切妻造銅板葺、正面に一間向拝を付ける。梁間は約17m、床高は2.3mとのこと。
左側の<狛犬>。本殿が大きくて気付かなかったが、狛犬もかなり大きい。
右側の<狛犬>。年季も相当入っていて、見た目は深海魚系でちょっと怖め...(^_^;)
<本殿>正面。絵様や装飾の要素は少ないが、直線的な意匠でまとめられ、とにかくスケールが大きく豪壮。鈴を鳴らす綱と一緒に吊るされている長細い布袋は、庄内地方独特の物なのかしら?(この後もいろんな神社で見かけた。)
<本殿>内部。外陣(げじん)と内陣(ないじん)に分かれ、背面側の中央間に宮殿が造られている。上部に掛かる扁額には<鳥海山大物忌神社>と書かれ、<有栖川宮熾仁親王書>とある。さすが。
<本殿>に登って、横から見たところ。大寺院の本堂に登ったような感覚。
拝殿に向かって右側に、境内社がいくつか見えるので行ってみる。
まず、段の下には<さざれ石>。
段を登って鳥居の先にあるのは、<摂社風神社・末社荘照居成神社>。
社殿は大きくはないが、軒などの彫刻が繊細で美しい。
その右手にある境内社群。左から順に<末社火鎮神社>、<末社松ヶ岡神社>、<末社白山神社>。
境内社群の右手にある、拝殿跡、蔵王権現碑につづく石段。100段ぐらいなら登ろうかと思ったが、案内板に400段とあったので、へたれな自分は即断念。。。
さざれ石の場所から見た<本殿>。太陽光が樹木の緑に反射して、本殿の壁がきれいな黄金色に見える。
拝殿に向かって左側にすすむ。こちらには境内社が1社だけある。珍しい名前の<木丈葉神社>。
木丈葉神社の近くから見た<本殿>。この建物は拝殿兼本殿なので、もちろん後ろには何も建っていない。
ちょうど手水舎の上部にある石碑群。左側には、明治時代の本殿造営に酒田の豪商・本間光輝が金五百圓と杉217本を奉納したとある。
全体的に仏教の色彩が強いところが、吹浦口ノ宮とは対照的。
出羽國一宮 鳥海山大物忌神社(蕨岡口之宮)です。
以前、吹浦口之宮には行ったのですが、当時こちらの存在を知らなかったため、改めてお詣りしました。
鳥居と随神門です
拝殿(本殿?)けっこう大きいです!
苔がいい感じ〜♪
石段があり、登らずにはいられません🤩
石段のうえには石碑がありました。
ご朱印は吹浦口之宮で頂けます。
その昔、大物忌神として崇められてきた鳥海山を祀る神社の蕨岡口之宮に行ってきました。
コロナ禍とは無関係のような静けさで、平日だからか誰もいなかったです。
鳥海山が修験道の霊場だった頃は周辺には修験衆徒の活動拠点が設けられていたそうです。
その中でも蕨岡は結構強めの勢力を持っていたようで、そのためか村全体が神社兼修験場のような集落になっています。
今はとても静かな雰囲気ですが高台にあるので庄内平野の景色を一望できるスポットにもなっているみたいです。
ニの鳥居付近までは車で来れます。
不浄を嫌う鳥海山を信仰しているのに境内はとても優しい空気に満ちていて、わたしは一瞬でこちらの虜になってしまいました!!
随神門(かつての仁王門)。
「出羽一之宮」の扁額がとても立派です。
なんと庄内藩主酒井忠器公の寄進だとか!
入ってすぐ右手に朱色の神楽殿が見えてきます。
神楽殿では毎年5月に奉納舞が行われているそうです。見応えがありそう。
さらに進むと石段やブナの自然林が見えてきます。
新緑の季節だったので本当に美しい姿を見せてもらえました。この参道を左に曲がって本殿です。
こちらが本殿です。
写真では伝わりにくいかもしれませんが
堂々とした豪壮な社殿でした!
三の鳥居を過ぎてから、この本殿周辺の空気がとても優しくてあたたかい!
厳格な鳥海山を信仰しているのに、この優しさはどこから来るのか不思議に思ったくらいです。
それほどに魅了されました!
横から見てもその大きさに圧倒されます。
この一体が柔らかい空気に包まれているようで、もう何時間でもここにいれるとさえ思いました!
笹林が風に揺れる音が心地いい!
境内には色々神社があるので歴史を知るのも楽しいかも。
吹浦口之宮の狛様達は風化していましたが、こちらはしっかりと残っていました。
役400段あるという石段。
ちょっと躊躇するくらいのヤバい傾斜です!
手すり崩壊してますし(笑)
上に何があるのか見たい好奇心に勝てずに挑みました。
段の幅が足のサイズより小さいので、バランス感覚に自信のない人は行かない方が懸命です!
登った先は小さな広間みたいになっています。
修行の記念碑だという「峯中碑伝」がありました。
石碑には不動明王を表す梵字が刻まれています。
もう少し上に蔵王権現碑や拝殿後があるようですが、わたしはここで引き返しました。
下りる時の方がスリルがありました(笑)
ブナの自然林と笹林が本当に美しかったです。
次回は時間に余裕をもたせて宿坊集落の面影を残す蕨岡地区を散策したいものです。
蕨岡口之宮の御朱印は吹浦口之宮で授けて頂きますよ。
東北遠征 山形③ 出羽国一之宮 鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮
鳥海山の里宮2社目のお詣りです。TVのニュースでは、鳥海山が初冠雪したと報道されていたので、やっぱり寒いのかな❓と、思いましたが麓は寒くなかったです⛄️
社号標
一之鳥居
隋神門
扁額
神楽殿
二之鳥居
本殿
苔が良いね
よく見ると👀雪が積もっているのが分かりますね
神社で塔がある
神仏習合が残っている
境内社 扁額が読み取れなかった
末社
出羽国一宮として参拝しました。
こちらは現在無人社で、例祭時のみ吹浦口ノ宮から神職がやってくるようです。
山の中に鎮座しており、階段が急です。
一の鳥居
参道の階段。長い上に急です
境内前の二の鳥居
二の鳥居の額縁。出羽一之宮と書いてます。
随身門
社務所です。正月はこちらにも人が来るのでしょうか
社殿前の三の鳥居
由緒書き
全体的に古く感じます。
社殿。本殿はありません
出羽国一宮。
こちらはJR羽越本線南鳥海駅から徒歩1時間以上かかりますので
車がないと厳しいですね。(バスもあるとは思うのですがGoogleMAPでは検索できず)
吹浦口よりは山側にあり標高が高いぶん、山の雰囲気がより一層強く感じられ
荘厳な雰囲気といいましょうか、静かですが少し重厚な感じがあります。
旅行最終日ということもあって駆け足になってしまいましたが
時間に余裕があれば奥まで上がって見たかったなぁ。
周囲にも色々とお寺もありますので散策しがいもありますね。
御朱印は鳥海山口で頂きました。
鳥居と山門です、
この穴はなんだろう…(^-^;
大正15年生まれの狛犬さん。
いい表情ですね。
桜の花びらと銀杏の葉っぱが一緒に落ちているという
これぐらいの引きで狛犬さんを撮るのも面白いですね。
拝殿跡へと続く階段です。境内図を見るとかなり長そうです。
#鳥海山大物忌神社 #蕨岡口の宮
ご祭神はオオモノイミの神。
#大物忌神
HPやパンフによれば、社伝には「ウカノミタマの命、トヨウケヒメの神を奉祀する」とある、と。ここではオオモノイミの神という神名は出てこない。おまけに、ウカノミタマの命とトヨウケヒメの神の2座を別々に祀っているとも受け取れる書き方だ。
が、蕨岡口の宮の境内の看板にはご祭神はオオモノイミの神とあり、吹浦口の宮の看板にはウカノミタマの命やトヨウケヒメの神はその別名と。
廣瀬大社(奈良県北葛城郡河合町)もまた、あちらのご祭神であるワカウカノメの命をウカノミタマの神やトヨウケヒメの神と同一視し、別名の1つとして「鳥海山に宿る大物忌神」と明記する。
確か一の宮巡拝のガイドブックだったと思うが、鳥海山はたびたび大規模な噴火を起こし、朝廷からも畏怖すべき存在だった、という記述を見た。一方、上述した廣瀬大社や、トヨウケの大神の総本宮と称する籠神社(京都府宮津市)では、彼女について水の神という点が強調されている。同じ神様のはずなのにずいぶんと性格が違うなと感じた。
蕨岡口の宮の近くまで公共交通機関では行けないので、僕はレンタサイクルを借りて吹浦口の宮と共に回った。道中ほぼどこからでも鳥海山を望めた。荒々しいのか穏やかなのか、第一印象さえ定まらなかったことを覚えている。
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