てんじんじゃ
天神社兵庫県 人丸前駅
参拝自由
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | なし(境内は契約者用なので駐車不可) |
兵庫県明石市にある神社です。
国道2号線沿いにあるので目立ちます。
祭神は菅原道真 創建は903年(延喜3年)です。
休天神社や明石天満宮とも呼ばれます。
境内は広く 一部駐車場になっています。
建物は多くないのですが 歴史を感じる古い社殿はすてきです。
由緒については
菅原道真が大宰府へ下る途中で当地に立ち寄り 山陽道沿いの明石駅家(うまや)に宿をとり 同情を寄せる明石駅長に「駅長よ驚くなかれ。一栄一落が人の世の定めなのです」と語ったと伝えられているそうです。
境内には菅原道真が腰をかけて休んだという「腰掛石」があるほか 菅公の左遷を嘆き悲しむ駅長を慰めるために詠まれた「歌碑」も建てられています。
とありました。
国道2号線沿いに鳥居
拝殿
縁起牛 なでられません
拝殿
本殿内陣は見られませんでした
摂社
休天神社
御祭神 菅原道真公
御由緒
延喜元年(901)、菅原道真公太宰権帥に任ぜられ筑紫に左遷の途すがら、明石の地を過ぎ給いし時、明石の駅長は之を迎え其の従前と変る御姿を歎く。道真公その志を喜んで、楼の傍の石に休息し給い、駅長に詩を賜う。「駅長驚くなかれ時の変り改まるを一栄一落これ春秋」
延喜3年(903)2月25日、道真公配所に於て薨去。駅長之を聞き哀慕にたえず、かの道真公休息の石を記念し傍に祠を建てて之を祭った。 後に、明石城主松平日向守信之、或時紫式部の源氏物語を読み菅公の才と忠を歎じ、特に恩賜の御衣の詩に感じ、神社を建てんとの心を決し、その娘も大いに之に賛じ、延宝7年(1679)、家臣59人もその資を献じて造立した。
明石にも菅原道真公ゆかりの神社が数社ありますが、菅公聖蹟二十五拝の十五番、明石市では休天神社(天神社)となります。
山陽電車人丸駅東、国道2号線沿の休天神社は明石の駅家(うまや)の跡とされ、鳥居を入ったすぐ右に「菅公駐駕驛長宅址」と書かれた標柱があります。
休天神社の北、太寺2丁目バス停の近くにも「菅公旅次遺跡」という石碑が建てられています。
菅原道真公は901(延喜元)年、大宰府への旅の途中こちらに立ち寄り、明石の駅長(うまおさ)の出迎えを受けます。菅原道真公が讃岐守の時に、幾度かのお立ち寄りで面識があったとされる駅長は大変嘆かれたそうです。
一栄一落 是春秋
本殿脇にある「菅公踞石」
道真公没後1100年祭で植樹された梅
スミトモ?
2月25日梅花祭
菅公聖蹟二十五拝
京都から九州(太宰府)まで菅原道真を祀る天満宮の中から、由緒深い二十五社を順拝する風習です。
(兵庫県)
第十三番 長洲天満宮
第十四番 綱敷天満宮
第十五番 天神社(休天神社)
第十六番 曽根天満宮
第十七番 大塩天満宮
となります。
明石市大蔵天神町8―2511
手水舎
御本殿
御本殿脇にある「菅公踞石」
歩道橋より休天神社を眺めて
左上に子午線塔が見えました
時を刻む市バス?
マンホールフェチでスミマセン
『合流』を見つけて嬉しくなりました💦
名称 | 天神社 |
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読み方 | てんじんじゃ |
通称 | 休天神さま,明石天満宮,休天神社 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 078-911-3143(稲爪神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
絵馬 | あり |
菅公聖蹟二十五拝 第15番 | 御本尊:菅原道真 |
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ご祭神 | 《主》菅原道真 |
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本殿 | 一間社流造 |
体験 | 絵馬御朱印お守り祭り札所・七福神巡り伝説 |
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