ゆきじんじゃ
由岐神社京都府 鞍馬駅
9:00〜16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | なし |
京都市左京区にある神社です。
主祭神は由岐大明神(大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと))です。
鞍馬寺の鎮守杜です。
祭神は元は宮中に祀られていましたが 平安京で大地震が起きたり天慶の乱がおきたりしたため 当時の天皇である朱雀天皇が天下泰平と万民幸福を祈念し 鞍馬山の地に遷宮をして鞍馬寺の鎮守社とし 都の北方鎮護を仰せつけたそうです。
例祭の鞍馬の火祭は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるものだそうです。
この火祭は京都の三大奇祭として有名ですが 当然この日は見ることはできませんでした。
ご神木の大杉が立派で 大杉社で祀られています。
他にも3柱が隣接しています。
京都市左京区にあります、
由岐神社に参拝しました。
通称【靫明神】 主大己貴命と少彦名命を主祭神として【由岐大明神】と総称し、八所大明神を相殿に祀られている、鞍馬寺の鎮守社であります。
毎年10月22日にある【鞍馬の火祭】は、京都三大奇祭で有名。
訪れた時は、鞍馬の火祭の後片付けの為、社務所はこの日は休みの為、残念ながら御朱印は頂く事はできず😭参拝のみでした。
見事な御神木の大杉
境内社 岩上社
境内社 冠者社
境内社 白長弁財天社
境内社 大杉社
境内社 三宝荒神社
訪れた時に神輿を戻している最中でした。
天慶に入り、都は大地震や平将門の乱(天慶の乱)と相次ぎの災いで世情不安となりました。天下泰平と万民幸福を祈念致し、朱雀天皇の詔により天慶3年(940)の9月9日御所にお祀りされていた由岐大明神を都の北方にあたる鞍馬に地にお遷しされました。この御遷宮の時、鴨川に生えていた葦で松明を造り、道々には篝火を焚いて、神道具を先頭に文武百官供奉の国家的一大儀式により御勧請されました。その行列の長さ10町(1km)にもなったと言われております。この儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え遺し守って きたのが鞍馬の火祭の起源であります。その後豊臣秀吉の信仰もあつく、慶長12年に御本殿と拝殿が豊臣秀頼によって再建されました。特に拝殿は中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で桃山時代の代表的建造物でもあり現在は国の重要文化財に指定されております。
名称 | 由岐神社 |
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読み方 | ゆきじんじゃ |
参拝時間 | 9:00〜16:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-741-1670 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@yukijinjya.jp |
ホームページ | http://www.yukijinjya.jp |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
京都洛北森と水の会 第26番 |
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ご祭神 | 《主》大己貴命,少彦名命《相》八所大明神 |
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創建時代 | 天慶3年(940) |
文化財 | 【国指定重要文化財】割拝殿、狛犬
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ご由緒 | 天慶に入り、都は大地震や平将門の乱(天慶の乱)と相次ぎの災いで世情不安となりました。天下泰平と万民幸福を祈念致し、朱雀天皇の詔により天慶3年(940)の9月9日御所にお祀りされていた由岐大明神を都の北方にあたる鞍馬に地にお遷しされました。この御遷宮の時、鴨川に生えていた葦で松明を造り、道々には篝火を焚いて、神道具を先頭に文武百官供奉の国家的一大儀式により御勧請されました。その行列の長さ10町(1km)にもなったと言われております。この儀式に感激した鞍馬の住民が、この儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え遺し守って きたのが鞍馬の火祭の起源であります。その後豊臣秀吉の信仰もあつく、慶長12年に御本殿と拝殿が豊臣秀頼によって再建されました。特に拝殿は中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で桃山時代の代表的建造物でもあり現在は国の重要文化財に指定されております。 |
体験 | 祈祷お祓い絵馬御朱印お守り重要文化財祭り |
概要 | 由岐神社(ゆきじんじゃ)は、京都市左京区鞍馬本町にある神社。通称靫明神(ゆきみょうじん)。大己貴命と少彦名命を主祭神として「由岐大明神」と総称し、八所大明神を相殿に祀る。鞍馬寺の鎮守社である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 祭神は元は宮中に祀られていたが、平安京で大地震が起き、天慶の乱まで発生したので当時の天皇である朱雀天皇が天下泰平と万民幸福を祈念し、その勅によって天慶3年(940年)、鞍馬山の地に遷宮をして鞍馬寺の鎮守社とし、都の北方鎮護を仰せつけた。例祭の鞍馬の火祭は、そのときに里人がかがり火を持って神霊を迎えたことによるものである。 「靫明神」という社名は、天皇の病や国難時に神前に靫(ゆき)を献じて平穏を祈ったことによる。洛中の五條天神社では、国難時にその責任を取って「流罪に処す」として国の役人が神社の扉に靫を架けて閉じるということが行われていたが、『徒然草』によれば由岐神社でも同様の...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「由岐神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%94%B1%E5%B2%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100659276 |
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