おんじょうじ(みいでら)|天台寺門宗総本山|長等山
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楽しみ方園城寺(三井寺)のお参りの記録一覧
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まだまだ三井寺様の付近もお参りしたかったのですが
時間切れになりました。
今回の大津坂本巡拝の最後は三井寺様です。
御本尊は弥勒菩薩をお祀りされています。
三井寺様は大友皇子の没後 子である大友与多王が
父を弔うために686年に創建しました。
天武天皇から「園城」の勅額を賜ったことから「園城寺」
と名付けられました。よく知られている「三井寺」と
いう通称は境内にある霊泉から天智 天武 持統の
三天皇の産湯として使われた「御井(みい)」が湧き出て
いることに由来しています。
三井寺様の創建から170年ほど経過した頃には衰退が
進んできていました。そこで 三井寺様を管理していた
大友氏の一族(大友黒主)が 時の最高権力者であった
右大臣の藤原良房に対し唐から帰国した円珍和尚に
寺を譲り再興してもらいたい旨を懇願しました。
良房は大友氏からの申し出を快諾し円珍に園城寺を
委ねることを決定します。859年には円珍は初代の
三井寺様の長吏に就任し名実ともに寺を譲り受ける
形となりました。こうして三井寺様は天台別院として
再出発します。
三井寺様を再興した智証大師 円珍は延暦寺様の
慈覚大師 円仁とは生前お互いを深く尊敬し合う
良好な関係だったそうです。しかし師たちの没後に
弟子たちの代で「山門(延暦寺)」と「寺門(三井寺)」に
完全分裂してしまいます。調べていて一番衝撃を
受けたのが 三井寺様への焼き討ちの回数です。
平家による焼き討ちは氷山の一角で 延暦寺様からの
襲撃や焼き討ちは大小合わせて50回以上(゚Д゚;)
同じ天台宗の身内でありながら生き残りをかけた
凄まじい権力闘争の歴史にただただ圧倒されました。
また1595年の11月 豊臣秀吉が亡くなる3年に理由が
不明の突然「闕所(けっしょ=全財産・領地没収)」を
命じられ 当時の本堂を解体されて宿敵の延暦寺様へ
移築されるという歴史上最大の消滅危機(廃寺同然)も
経験しています。
そんな数々の大法難をその都度「不死鳥」のように
蘇ってきた境内を歩くと、目の前にあるお堂や遺構がより深く胸に迫りました(-ω-)

初夏の特別公開で拝観。いつもはお目にかかれない仏様に会えると聞いて。一番のお目当ての、釈迦三尊像は、ポスターを見て勝手に大きなものだと思い込んでいたら、両手を広げれば乗るほどの大きさ。が、その美しさたるや、ため息が出る。三尊とも宝冠像でそれぞれに違うデザインの冠をかぶる。ほぼ木肌が見えるようだが、彩色や切金の跡が残る。あまり公開されてこなかったので、その木肌が焼けることなく白木のようでさらに美しく映る。頭髪が珍しいライトブルーで神秘的な感じを増す。好きな仏様の上位に入るなぁ。ほかに毘沙門天、文殊菩薩、不動明王像が、普段非公開の金堂内陣で公開されていたが、ここのご本尊の弥勒菩薩像は創建以来1300年余り一度も御開帳されていないとか・・・。また、外陣・後陣にも数々の仏様が置かれていたが、その中の北極星を神格化した尊星王立像がとても印象的で、他には類を見ないお姿なのだそう。いくつかあった阿弥陀三尊像の一つの観音菩薩が低く腰を折ってこちらに蓮華台を差し出す姿が神々しくて心に残った。
2度目の拝観だが、前に来た時にはなかったんじゃないかなぁ、、観音堂の前にカフェがあって、おはぎがめちゃ美味。


続いて【園城寺 (三井寺)】
多賀大社→日吉大社→近江神宮に続いて本日4つ目
無知な私は正直、全く耳にしたことがありませんでした。
チャッピーにコースを組んでもらって巡り会えた感じです。
天智天皇・天武天皇・持統天皇の産湯に使われた霊泉がある「御井の寺」として知られ、西国第十四番札所の観音堂や国宝の金堂、三井の晩鐘、弁慶の引き摺り鐘など貴重な文化財が点在するすごいお寺でした!「不死鳥の寺」なんだとか。
ありがたいお寺に連れて行ってもらいました。
桜も有名らしいけど、ちょっと早かったかな?🤭
こちらでは何種類もの御朱印がいただけるのですが、またまた勝負運という事で、毘沙門天の御朱印をいただきました!
帰りに長寿そばもいただきました!
坐禅も予約したら経験させていただけるようなので、それはまた改めて🤭
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