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楽しみ方園城寺(三井寺)のお参りの記録一覧
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「西国三十三所」第14番札所、「近江西国」第5番札所、「びわ湖108霊場」第6番札所です。
近江八景の一つである「三井の晩鐘」でも知られ、一般には三井寺として知られています。
7世紀に大友氏の氏寺として草創され、9世紀に唐から帰国した留学僧円珍によって再興されました。
園城寺は平安時代以降、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集めて栄えましたが、10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争(山門寺門の争い)が激化し、比叡山の宗徒によって園城寺が焼き討ちされることが史上度々ありました。
近世には豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったこともありましたが、こうした歴史上の苦難を乗り越えてその都度再興されてきたことから園城寺は「不死鳥の寺」と称されています。
天智天皇は自らの念持仏である弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとしていましたが、生前にはその志を果たせませんでした。
その子である大友皇子(弘文天皇)もまた672年に壬申の乱のため25歳の若さで没しました。
その後、大友皇子の子である大友与多王は、父の菩提のために天智天皇所持の弥勒菩薩像を本尊とする当寺をようやく建立することができました。
それとは別に、672年頃に大友村主家によって創建されたともされます。
壬申の乱では大友皇子と敵対した天武天皇ですが、686年にはこの寺の建立を正式に許可し、「園城寺」の寺号を与えました。
「園城」という寺号は、大友与多王が自らの「荘園城邑」を投げ打って一寺を建立しようとする志に感じて名付けたもの、「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」の寺といわれていたものが転じ、三井寺となりました。
かなり混んでいたのにも関わらず、全て直書きをして頂きました😌
丁寧な対応ありがとうございます🙇♀️

ようやくの三井寺😅8時過ぎに大谷駅ですでに12時まわってました😅仁王門から境内へ入り受付を済ませてからまずは釈迦堂へ。もとは食堂だったとのことで御本尊は嵯峨清凉寺式の釈迦如来。こちらで御朱印三枚拝受。続いて金堂へ向かい先に光浄院へ伺いましたが拝観不可で立ち入りも禁止でした😔気を取り直して熊野権現、三井の梵鐘を拝観し金堂へ。弥勒菩薩は秘仏ゆえ御前立ですが他にも不動明王などたくさんの仏像が並びしかも重要文化財だらけ。中でも北辰妙見の尊星王がかっこいい😍日蓮宗で祀られている妙見さんとはまた一味違ったリアルなもので一見の価値あり。しかもこちらの像はポストカードや寺院の案内にも載せておらず、三井寺さん曰く「尊星王に関しては一度も撮らせてない」らしい。まあ金堂前の案内写真に載ってましたが・・・😅御朱印はありましたのでありがたくこちらでも三種拝受。
とりあえず見どころ満載なので唐院、霊鐘堂(弁慶の引き摺り鐘)を拝観し微妙堂・水観寺は別ページなのでここでは割愛。ようやく主目的の観音堂へ。三尾神社南の参道からこちらには来れるので観音堂のみならそちらの参道からがおススメ(とはいえ参道までのアクセスは微妙・・・)。もうすっかり近松寺の御朱印のことは忘れてました😅西国霊場の御朱印をいただき、観音様をお詣り。もちろん秘仏です😅次回は三井寺スタートでゆっくりまわろう・・・たぶん😅

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