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とんこういなりじんじゃ

呑香稲荷神社
公式岩手県 二戸駅

参拝可能時間 いつでも
授与所開設時間 9時~16時(出張祭などで不在の時もあります)

御朱印について御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり 4台程度

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2026年05月15日(金)702投稿

岩手県 二戸市 福岡 五日町 に鎮座する、呑香稲荷神社 (とんこう いなりじんじゃ) 全国の各神社仏閣毎の刻印を参拝の証として、皮のリストバンドに刻印しお守りにもなる、ご刻印登録神社です、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2025に 参拝致しました、親切 丁寧な対応で、御朱印は 基本直書きにて拝受して頂けます、待ち時間も色々話しをさせて頂きました、人柄の良い神主様でまた参拝したいと想える 神社でした、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、明治初年の建立といわれる社殿、祭壇両壁には年代を偲ばせる大型の三十六歌仙の絵馬が数十枚掲げられている。九戸城の中にある、呑香稲荷は戦前、岩手県の県社であった。その昔、南部藩の三稲荷の一の社として、代々藩主が祭主となる格式の高い官祭が執行されていたという。とんこういなりじんじゃ、と読みます。この珍しい名前はアイヌ語で「かがやける丘」を意味し、九戸城の松ノ丸跡にその社があります。天和2年(1682年)に神社が出来てから代々南部藩主に厚く信仰されてきた、二戸でも格式の高い神社です。
九戸政実の霊が、ここに眠る。
境内に (九戸政実神社) があります。本社は、九戸政実の最期の地、現在の 宮城県 栗原市 にあるのですが、九戸城 二ノ丸に分霊され、さらに平成13年(2001年)に、この松ノ丸に移築されました。名将・九戸政実の霊をまつるところです。また、幕末期には、私塾 (会補社)の教場もあり、血気盛んな若者達がここで学んでいました。

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歴史

延暦20年(801年)に 出羽国(現在の山形県)の大物忌神社(おおものいみじんじゃ)を勧請し 浄法寺村稲庭岳に祀ったのが始まりと言われています。

貞元親王(清和天皇の第三皇子)の孫にあたる源重之の母親が託宣により宮野(福岡の旧名)の里に遷座し稲荷大神と称えていましたが、九戸政実と豊臣軍の戦いがあり、 戦乱を避けていったん津軽に遷座しました。
宮野落城により、別城である松の丸を修理増築して26代南部信直公が移られ宮野は福岡と改められました。 稲荷大神は、二戸郡漆沢村に御遷幸となりました。

27代利直公の時、
秋田城之介の家臣であった小保内源左衛門が主家没落のため今の盛岡市仙北町で南部家に仕えていましたが、もともとの南部家臣たちから後ろ指をされるのに憤慨し北に向かいました。

二戸郡漆沢村に至った際、その夜に霊夢がありました。稲荷大神より宮野の地に祭るよう信託をうけた源左衛門は、翌朝福岡城下に赴き、三日町(現在の五日町)が清浄の地としてふさわしいと考え、一祠を建立しました。

そして、天和2年(1682年)、2月3日の夜に遷座となりました。
そのころ、南部氏の幼君が疱瘡を病みましたが、幼君は枕元に白髪白衣の老人がありて我を看護せり、この老人は稲荷大神なり決して心配すべからずと話しそれから南部氏の稲荷大神への崇敬がいよいよ厚くなりました。

境内には、九戸政実を祀った九戸政実神社、相馬大作を祀った相馬大作神社も鎮座しています。

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呑香稲荷神社の情報

住所岩手県二戸市福岡字松の丸21番地
行き方

二戸駅からバスで4分
「呑香稲荷神社前」下車すぐ

呑香稲荷神社の基本情報

名称呑香稲荷神社
読み方とんこういなりじんじゃ
通称稲荷山
参拝時間

参拝可能時間 いつでも
授与所開設時間 9時~16時(出張祭などで不在の時もあります)

参拝にかかる時間

15分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号0195-23-2042

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

メールアドレスtonkouinari@apricot.ocn.ne.jp
ホームページhttp://tonkouinari.blog.jp/
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詳細情報

ご祭神《主》宇迦廼御霊命,《配》天照大神,誉田別命
創建時代801
本殿神明造
ご由緒

延暦20年(801年)に 出羽国(現在の山形県)の大物忌神社(おおものいみじんじゃ)を勧請し 浄法寺村稲庭岳に祀ったのが始まりと言われています。

貞元親王(清和天皇の第三皇子)の孫にあたる源重之の母親が託宣により宮野(福岡の旧名)の里に遷座し稲荷大神と称えていましたが、九戸政実と豊臣軍の戦いがあり、 戦乱を避けていったん津軽に遷座しました。
宮野落城により、別城である松の丸を修理増築して26代南部信直公が移られ宮野は福岡と改められました。 稲荷大神は、二戸郡漆沢村に御遷幸となりました。

27代利直公の時、
秋田城之介の家臣であった小保内源左衛門が主家没落のため今の盛岡市仙北町で南部家に仕えていましたが、もともとの南部家臣たちから後ろ指をされるのに憤慨し北に向かいました。

二戸郡漆沢村に至った際、その夜に霊夢がありました。稲荷大神より宮野の地に祭るよう信託をうけた源左衛門は、翌朝福岡城下に赴き、三日町(現在の五日町)が清浄の地としてふさわしいと考え、一祠を建立しました。

そして、天和2年(1682年)、2月3日の夜に遷座となりました。
そのころ、南部氏の幼君が疱瘡を病みましたが、幼君は枕元に白髪白衣の老人がありて我を看護せり、この老人は稲荷大神なり決して心配すべからずと話しそれから南部氏の稲荷大神への崇敬がいよいよ厚くなりました。

境内には、九戸政実を祀った九戸政実神社、相馬大作を祀った相馬大作神社も鎮座しています。

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