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とんこういなりじんじゃ

呑香稲荷神社の御由緒・歴史
公式岩手県 二戸駅

ご祭神《主》宇迦廼御霊命,《配》天照大神,誉田別命
創建時代801
ご由緒

延暦20年(801年)に 出羽国(現在の山形県)の大物忌神社(おおものいみじんじゃ)を勧請し 浄法寺村稲庭岳に祀ったのが始まりと言われています。

貞元親王(清和天皇の第三皇子)の孫にあたる源重之の母親が託宣により宮野(福岡の旧名)の里に遷座し稲荷大神と称えていましたが、九戸政実と豊臣軍の戦いがあり、 戦乱を避けていったん津軽に遷座しました。
宮野落城により、別城である松の丸を修理増築して26代南部信直公が移られ宮野は福岡と改められました。 稲荷大神は、二戸郡漆沢村に御遷幸となりました。

27代利直公の時、
秋田城之介の家臣であった小保内源左衛門が主家没落のため今の盛岡市仙北町で南部家に仕えていましたが、もともとの南部家臣たちから後ろ指をされるのに憤慨し北に向かいました。

二戸郡漆沢村に至った際、その夜に霊夢がありました。稲荷大神より宮野の地に祭るよう信託をうけた源左衛門は、翌朝福岡城下に赴き、三日町(現在の五日町)が清浄の地としてふさわしいと考え、一祠を建立しました。

そして、天和2年(1682年)、2月3日の夜に遷座となりました。
そのころ、南部氏の幼君が疱瘡を病みましたが、幼君は枕元に白髪白衣の老人がありて我を看護せり、この老人は稲荷大神なり決して心配すべからずと話しそれから南部氏の稲荷大神への崇敬がいよいよ厚くなりました。

境内には、九戸政実を祀った九戸政実神社、相馬大作を祀った相馬大作神社も鎮座しています。

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