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川越富士見町浅間神社参拝⛩
古墳の上に祀られていて、本殿後には富士山の噴火口を表した穴があります。
古墳の上に祀られてます。
本殿
神使はお猿さんのよう
本殿後には富士山の噴火口をあらわした穴が🕳あります。
小さな目立たない神社であるが、歴史的に観ると実に深いものがある。
康平年中(1058-1064)源頼義が奥州征伐の途次に創建、長禄元年(1457)に太田道灌が再営、永禄九年(1566)に北条氏家の臣中山角四郎が再興したといわれている。
浅間神社と言えば、富士山信仰。
境内にある富士塚は、富士山信仰を形にしたものかもしれない。
又、こちらは川越古墳群がある。
川越七福神巡りの途中で立ちよっただけであるが、なかなか深い神社に巡り合えたと感謝であった。
https://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/hujisengen-shrine/
川越市の観光案内より
当神社は康平年間(一〇五八〜一〇六五)、源頼義が奥州征伐の途次に分霊したことに始まり、長禄元年(一四五七)に太田道灌が再営し、永禄九年(一五六六)に北条氏の臣・中山角四良左衛門が再興したという。
文政十一年(一八二八)、川越南町の山田屋久兵衛が近郷富士講並びに有志老若男女の助力を受け、拝殿一棟の再建と一丈余の岩室の上に更に一丈有余を新築したと棟札に記されている。
岩室前の石猿に天保四年(一八三三)の銘があることや、石碑類の多くが天保年間に造営されていることから、文政から天保年間に現在の形が整えられたと考えられる。(この岩室は、大正十二年の関東大震災により崩壊し間もなく再建したとの柵石がある。)
拝殿の天井は、中央部が折上格天井になっており、江野楳雪による百人一首歌仙像の絵がくみこまれている。
神社の祭神には木花咲耶姫命が祀られている。江戸中期、関東一円に浅間信仰が起こり、富士浅間神社を分霊した当神社には、近郷の多くの村々が講を作り、寄進したことが石碑や柵石に刻まれている。
毎年七月十三日の初山には、子育ての神が転じて子宝に恵まれる神としても信じられ、新婚夫婦・幼児を代田お母さん方など毎年一万人にも及ぶ参拝客が訪れている。(境内掲示より)
富士塚
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