すいてんぐう
水天宮福岡県 久留米駅
9:00〜16:00(祈祷時間)
【筑後國 古社巡り】
水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市瀬下町にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。全国にある水天宮の総本宮。祭神は天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院・平徳子)、二位の尼(平時子)。
社伝によると、平安時代末期の1185年、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年~1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのが始まり。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里人に請われて加持祈祷を行ったことから当初は尼御前大明神、尼御前神社、尼御前宮などと呼ばれた。そのころ中納言平知盛の次男の子・平右忠が千代の元を訪れその後嗣としたが、これが現在まで続く社家・真木家の祖先。幕末志士の真木保臣(真木和泉守)は第22代宮司で、境内社の真木神社に祀られている。
慶長年間(1596年~1615年)に久留米市新町に遷り、1650年に久留米藩2代藩主・有馬忠頼により現在地に社殿が建てられ遷座した。その後も歴代藩主により崇敬されたが、特に9代藩主・有馬頼徳は1818年に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、これが明治の1872年に遷座して東京水天宮となっている。別途、1868年に元神明宮(東京都港区)に分霊され相殿に祀られている。明治時代に入り近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR鹿児島本線・久留米駅の西方300mの市街地の外れ、筑後川の東岸にある。境内は南北に200m以上と長く、境内南端から続く長い参道を進むと、大社らしい雰囲気をじっくり味わえる。大きな社殿の周りはシンプルな造りで、大きな社務所と境内社がいくつかあるぐらい。
今回は、福岡県の旧県社、別表神社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元の人々の信仰も篤いようで、初宮参りなどの昇殿祈祷者を含め、多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口全景。
参道左側の<狛犬>。青銅製で細マッチョ系。
参道右側の<狛犬>。
参道進んで、まず<一の鳥居>。
<一の鳥居>の石扁額は、東郷平八郎伯爵謹書。
参道右手にある<戦艦千歳慰霊碑>。
参道右側にある<真木神社>。第22代当宮宮司で、幕末志士である真木保臣(真木和泉守)を祀る。
参道右手にある<山梔窩(くちなしのや)>。真木保臣が南方の水田村(現筑後市水田区)で開いた尊王討幕の塾を再現したもの。
参道右手にある<真木保臣>の像。
<真木保臣>の像のアップ。
やがて参道は社叢の中に入って行く。<注連柱>をくぐった先には<神橋>が架かっている。
参道左側の<手水舎>。
美しい花々で飾り付けられた<手水盤>。
参道突き当りの、一段高いところにある<神門>。
神門前左側の、かなり大きな<狛犬>。
神門前右側の巨大な<狛犬>。
神門をくぐったところから、正面の眺め。
神門をくぐったところから、右前方の眺め。この建物は<社務所>で、御朱印はこちら。
神門をくぐったところから、左前方の眺め。小さな建物は<臨時授与所>で現在は使われていないみたい。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。扁額の「水天宮」の文字が面白い。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿の大きさに比べるとコンパクトに見える。
社殿の右側にある<千代松神社>。
千代松神社の左隣にある<秋葉神社>。
本殿の裏手にある<水神社>。
本殿の左側から見える<筑後川の流れ>。
拝殿に向かって左手にある<お御籤販売所>。現在は使われていないみたい。
最後に<社殿>全景。大きくてどっしりとした、まさに大社の造り。(^▽^)/
みなさんご無沙汰しております🙇♂️
1月末の長崎からかなり間が空いてしまいました😅
久々のお参りツアー初っ端は福岡県小郡市にある如意輪寺(かえる寺本家)でしたが… なっ なんとこの界隈ハーフマラソン大会真っ最中。
で目と鼻の先にみえるのになかなかコースになってる道路を渡れず疲れ果て目的地変更で久留米は水天宮にまいりました。
妻が東京に単独でコンサートに行った際時間調整で水天宮にお参りして、なんと全国総本宮が私達の住む福岡県は久留米にあると知り前からお伺いしたかった神社です。
ロケーションが凄く良くて筑後川が横を流れてます。
安徳天皇の母である高倉平中宮に仕えていた女官按察使局が壇ノ浦の戦の後遁れてここ筑後川の辺りで水天宮を祀ったとの事。
附属の保育園が隣接しており、日頃は園児の声が境内にも響いているんでしょうね。 そう言う事もあり子授かり、安産、初宮参り等子どもさんに関わる御祈願がパンフでもメインに紹介されてます。
この日も何組か初宮参りの赤ちゃん👶が! 可愛い💕 こちらも幸せにさせてくれます。 ありがとう😊
正面入り口
アスリートな狛犬様
脚🦵の筋肉が凄い狛犬様
鳥居⛩
参道
由緒
花💐手水舎
楼門
境内へ
水天宮の附属保育園の園児ちゃん達の作品
拝殿
社殿
本殿後方より
安徳天皇の母である高倉平中宮に使えていた女官、按察使局(あぜちのつぼね)伊勢は寿永4年(1185)、3月24日壇ノ浦の戦いの後、千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原(さぎのがはら)に遁れて来て、建久初年(1190)初めて水天宮を祀った。伊勢は後に剃髪して名を千代と改める。周辺の民に請われ加持祈祷などを行っていたところ、霊験あらたかであったため、尊崇するものが日増しに多くなり、尼御前と称えられ、当初、水天宮は尼御前神社と呼ばれていた。
千代女は、中納言 平知盛(とももり)卿の孫、平右忠(すけただ)を養い後嗣とし、現在に至るまで子孫が代々宮司職をつとめている。第22代宮司である眞木和泉守は幕末の激しい動乱期に勤王派の旗頭として、王政復古に一生を捧げた明治維新の先覚者である。
その後、千代女逝去の後、里人その墓を営み松を植えて千代松明神とあがめ奉った。同女は大和国石上布留神社(現石上神宮)の神官の娘にして、墳墓は久留米市内アサヒシューズ株式会社の正門前に在り、奥津城祭(墓前祭)は毎年春に奉仕されている。
古来より水の神として農業・漁業・船舶業者のみならず、子供の守護神、安産、子授の神としても人々の信仰が篤く、畏くも明治天皇御降誕の砌、孝明天皇は当宮へ御祈誓遊ばされ御報賽として御安産の後、鳥の子餅を御内々に御献供遊ばされた。このように御霊験あらたかにより、明治元年10月3日、禁裏御祈祷所(勅願所)に仰せ付けられた名社である。[水天宮HPより抜粋]
名称 | 水天宮 |
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読み方 | すいてんぐう |
通称 | 久留米水天宮 |
参拝時間 | 9:00〜16:00(祈祷時間) |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 全国に数十社ある水天宮の総本宮。
|
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0942-32-3207 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://suitengu.net |
おみくじ | あり |
SNS |
ご祭神 | 天御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 安徳天皇(あんとくてんのう) 高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう) 二位尼(にいのあま) |
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創建時代 | 建久元年(1190年) |
創始者 | 按察使局伊勢 |
本殿 | 切妻造 |
ご由緒 | 安徳天皇の母である高倉平中宮に使えていた女官、按察使局(あぜちのつぼね)伊勢は寿永4年(1185)、3月24日壇ノ浦の戦いの後、千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原(さぎのがはら)に遁れて来て、建久初年(1190)初めて水天宮を祀った。伊勢は後に剃髪して名を千代と改める。周辺の民に請われ加持祈祷などを行っていたところ、霊験あらたかであったため、尊崇するものが日増しに多くなり、尼御前と称えられ、当初、水天宮は尼御前神社と呼ばれていた。 千代女は、中納言 平知盛(とももり)卿の孫、平右忠(すけただ)を養い後嗣とし、現在に至るまで子孫が代々宮司職をつとめている。第22代宮司である眞木和泉守は幕末の激しい動乱期に勤王派の旗頭として、王政復古に一生を捧げた明治維新の先覚者である。 その後、千代女逝去の後、里人その墓を営み松を植えて千代松明神とあがめ奉った。同女は大和国石上布留神社(現石上神宮)の神官の娘にして、墳墓は久留米市内アサヒシューズ株式会社の正門前に在り、奥津城祭(墓前祭)は毎年春に奉仕されている。 古来より水の神として農業・漁業・船舶業者のみならず、子供の守護神、安産、子授の神としても人々の信仰が篤く、畏くも明治天皇御降誕の砌、孝明天皇は当宮へ御祈誓遊ばされ御報賽として御安産の後、鳥の子餅を御内々に御献供遊ばされた。このように御霊験あらたかにより、明治元年10月3日、禁裏御祈祷所(勅願所)に仰せ付けられた名社である。[水天宮HPより抜粋] |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り花の名所札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市にある神社。全国にある水天宮の総本宮。旧社格は県社。神社本庁の別表神社。 天御中主神・安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)を祀る。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝によれば、寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる[1]。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加持祈祷を行ったことから、当初は尼御前大明神、尼御前神社、尼御前宮などと呼ばれた。そのころ、中納言平知盛の次男平知時の子右忠が肥後国から千代を訪れ、その後嗣とした。これが現在まで続く社家・真木家の祖先である。幕末の志士である真木保臣(真木和泉守)は第22代宮司であり、境内社・真木神社に祀られてい...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 九州旅客鉄道久留米駅より徒歩7分または後述の路線バスに乗車。 JR久留米駅もしくは西鉄久留米駅から西鉄バス40番長門石・目達原・神埼・佐賀方面行きに乗車、梅林寺下車、4分(380m)。 九州自動車道久留米インターチェンジから6.8㎞(駐車場有り) |
行事 | 祭事[編集] 筑後川花火大会 5月3日から7日 - 春大祭 7月21日 - 真木神社例祭 8月5日 - 筑後川花火大会 8月5日から7日 - 夏大祭 水天宮の例大祭は5月5日であり、縁日は毎月5日である。これについて当社では例大祭が5月5日であることから毎月の5日が縁日となったとしているが、東京水天宮では逆に毎月の5日が縁日であることから例大祭が5月5日となったとしている。 |
引用元情報 | 「水天宮 (久留米市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B4%E5%A4%A9%E5%AE%AE%20%28%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E5%B8%82%29&oldid=102015087 |
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