ことひきはちまんぐう
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
琴彈八幡宮について
TVアニメ『結城友奈は勇者である』の聖地
おすすめの投稿
観音寺市で用事を済まして、近くの琴彈八幡宮に^ ^
下の駐車場ではなく、展望台の駐車場に停めたので楽にしてしまいました^ ^
昼過ぎにはもう晴れて、恐ろしい暑さに^ ^
汗だくになりながらお参りさせていただきました^ ^
観音寺さんの奥の院ということでお参りしました。
琴弾浜がとても有名で いつか見に行きたいなと思っていたので これ幸いとなりました。
まずは展望台に行き 琴弾浜の銭形砂絵(寛永通宝)を見ました。
いやいやこれはすごいですね。立派立派。新しく迎える藩主のために1日で造ったとのこと。驚きです。
大満足してから 展望台すぐ近くから本殿に向かう道を進みました。
こちら琴弾八幡宮の本殿は山の上にあるので こちらからお参りするのが楽なのです。
拝殿本殿はとても立派ですが そんなに古いものではなさそうでした。
拝殿の戸の上に 鬼なのか猪なのか分からないのですが 対になって顔の彫刻が施されていました。
本殿のお参りがすんだら また展望台から車で麓に下り 大きな鳥居をくぐりました。
鳥居をくぐったら すぐ右手にまた鳥居があります。これは二の鳥居なのですが 大鳥居と書かれています。その先に随神門がありここから山上の本殿へ続いています。
こちらはもう上りませんでした。
庚申神社・山之神神社・琴彈戎とお参りして つきあたり神幸殿へ向かいました。
本来ならこちらで御朱印を拝受できるのですが ちょうどお昼のお休みの時間で 次のお寺に行きたい思いが強く 待っていられませんでした。また来ます とお参りだけにしました。
琴弾八幡宮は 大宝3年(703年)創建で 主祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫命です。
由緒については
当社の縁起は 権中納言・藤原実秋が応永23年(1416年)に記した『七宝山八幡琴弾宮縁起』によると 大宝3年(703年)3月 西方の空が急に鳴動して黒雲が天を覆い 3日間 日や月を失った。
そのとき琴弾山麓の梅掖の浜に一艘の舟があり その舟より神秘に響く琴の音が聞こえた。
僧・日証が近寄ると「われは八幡大菩薩なり、朝家を守護するために宇佐より来たり。この地の風光を見て去るに忍びず」と告げ また海浜が一夜にして竹林に変わる霊験もあったことから 里人数百人で その船を神舟として琴とともに山頂に運び上げ 琴を添えて神殿を造営し祀ったのが始まりとされる。
大宝3年(703年)文武天皇の勅命により僧・日証が宇佐八幡宮を勧請し 神宮寺として神恵院を開基 さらに法相宗道場として宝光院も開基したとされる。
のち 唐より帰国した空海が当地に留まり 弘仁3年(812年)に 神恵院第7世住職となる。
空海は法相宗を廃し 自ら刻んだ聖観世音菩薩像を祀り真言宗に改め 伽藍は奈良・興福寺にならい東金堂 中金堂 西金堂の三金堂制とし 七堂伽藍を建立。
七宝山観音寺と称したと伝わる。
観音寺の寺勢は興隆を極め 僧坊 あるいは塔頭を数ケ寺を数えたとされる。
また神恵院は別当寺として寺社両務を努め 当社の維持管理を行っていた。
貞享4年(1687年)の『四国遍路道指南』によると 当社は四国八十八箇所第68番札所で 観音寺が第69番札所であった。
明治の神仏分離令により当社の八幡神の本地仏・阿弥陀如来画像は 観音寺境内の西金堂に移し神恵院本堂とし 当社は琴弾神社と改名し神社単体として独立 四国霊場から切り離された。
別当寺であった神恵院を第六十八番札所としたことで 一境内に2つの札所が並ぶこととなった。
のちの第二次世界大戦後 琴弾八幡宮と復称した。
とありました。
銭形砂絵(寛永通宝)
本宮への道
本当は絵馬堂なのか 休憩処
武内神社
手水 龍でした
絵馬殿
若宮宮
住吉神社
拝殿
ずいぶん雨風にさらされているようです
彫刻がきれいです
内陣
戸の上に 鬼なのか猪なのか彫刻があります
本殿
一の鳥居
石柱
源平屋島合戦の由来
二の鳥居 大鳥居と書かれていました
少し変わった色です
大鳥居の由来
狛犬は2対でした
随神門
本殿へ続く階段
随神門に猫
こちらも
庚申神社 一の鳥居
庚申神社 二の鳥居
拝殿
山之神神社
琴弾戎
神幸殿
内陣
名称 | 琴彈八幡宮 |
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読み方 | ことひきはちまんぐう |
通称 | 琴引八幡宮 |
参拝にかかる時間 | 約5分(神幸殿)、約30分(頂上本社) |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
絵馬 | あり |
巡礼の詳細情報
新四国曼荼羅霊場 第23番 | 御本尊:応神天皇・神功皇后・玉依姫命 御詠歌: 琴弾きの 山松風や 夢のあと 尋ね思えば 神の御声ぞ |
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さぬき十五社 第14番 | 御本尊:品陀和気尊、息長帯姫命、玉依姫命 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》品陀和気尊,息長帯姫命,玉依姫命 |
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創建時代 | 大宝三年(703) |
創始者 | 日証上人 |
本殿 | 入母屋造 |
体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭りアニメなどサブカル武将・サムライ札所・七福神巡り伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 琴弾八幡宮(ことひきはちまんぐう)は、香川県観音寺市の琴弾山山頂にある神社。旧社格は県社。源義経が源平合戦の勝利を祈願をしたことで知られる。毎年10月には、琴弾八幡宮大祭が開催され9台のちょうさとよばれる太鼓台が奉納される。 |
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歴史 | 歴史[編集] 当社の縁起は、権中納言・藤原実秋が応永23年(1416年)に記し、将軍・足利義持が自ら官職と押印を記した『七宝山八幡琴弾宮縁起』によると、大宝3年(703年)3月、西方の空が急に鳴動して黒雲が天を覆い、3日間、日や月を失った。そのとき琴弾山麓の梅掖の浜に一艘の舟があり、その舟より神秘に響く琴の音が聞こえた。僧・日証が近寄ると「われは八幡大菩薩なり、朝家を守護するために宇佐より来たり。この地の風光を見て去るに忍びず」と告げ、また海浜が一夜にして竹林(現在の竹の渓)に変わる霊験もあったことから、里人数百人で、その船を神舟として琴とともに山頂に運び上げ、琴を添えて神殿を造営し祀っ...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] JR四国・観音寺駅から約2 km 駅からタクシーで約5分 駅から、のりあいバス五郷高室線に乗車(1日4便)。のりあいバスにバス停は無く、路線上であれば乗降自由のため、乗車後、運転手に「琴弾公園(または森内科)」と告げる(ただし、国道11号線は指定場所以外、乗降禁止)[1]。 ^ 引用エラー: 無効な タグです。「:1」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません |
行事 | 祭事[編集] 琴弾八幡宮大祭 - 毎年10月14日、15日に行われるちょうさとよばれる太鼓台の祭。 大祭 中狂い(奉納) 大祭 宮入り |
引用元情報 | 「琴弾八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%90%B4%E5%BC%BE%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=102306246 |
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