かんのんじ|真言宗大覚寺派|七宝山(しっぽうざん)
観音寺香川県 観音寺駅
7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 普通車 約20台、マイクロバス 10台、大型 5台 (無料) |
観音寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
神恵院と同一境内です。
観音寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
観音寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
観音寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
観音寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
真言宗大覚寺派別格本山 七宝山 観音寺
四国八十八箇所霊場 第69番札所
琴弾公園内に位置しています。
こちら69番観音寺と、68番神恵院は同じ境内にあります。
大師堂には「微雲管」という扁額が掲げられていました。
「微雲管(みうんかん)」とは、浄土から衆生界を眺める穴で、弟子たちが修行に励んでいるか大師が覗いているのだそうです。
ご本尊 聖観世音菩薩
脇侍 釈迦如来、薬師如来
ご詠歌
観音の 大非の力 つよければ
重き罪をも 引き上げてたべ
大宝3年(703年)、海の彼方に八幡大菩薩が降臨した神船が琴の音と共に現れた。
日證上人が里人とともに神船と琴を引き上げ、山頂に琴弾八幡宮として祀られ神宮寺を建立。
大同2年(807年)に弘法大師がここを訪れ、七堂伽藍を建立。
山号を七宝山、寺号を観音寺と改められ、八幡宮の別当に神恵院があてられました。
四国八十八ヶ所霊場の始まりに際して、琴弾八幡宮が第68番札所、観音寺が第69番札所となりましたが、神仏分離令により琴弾八幡宮が霊場から切り離され、神恵院が第68番札所になったとのこと。
仁王門
本堂
観音寺金堂とも呼ばれているそうです。
大師堂
「微雲管」
五智如来
愛染堂
大楠
大楠の根本では黒猫ちゃんがお休み中でした
そして観音寺と言えば、すぐ近くにある銭形砂絵!
一度は見てみたかったんです。
すぐ近くまで行ってみましたが、やはり展望台から見たほうがいいですね😅
当然立ち入り禁止となっています。
銭形平次のタイトルバックでも使われていたなと思っていたら、後日銭形平次の再放送がたまたまあり見てみると、衝撃の事実が!
なんとこの立ち入り禁止の砂絵の中で悪党と格闘していたんですね。
【七宝山(しっぽうざん)観音寺(かんのんじ)】
本尊:聖観世音菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
開基:日証上人
第69番札所 観音寺と第68番札所 神恵院は同じ境内に存在する珍しい霊場。703(大宝3年)、法相(ほっそう)宗の高僧・日証(にっしょう)上人がこの地で修行中、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人は八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を山上に祀り琴弾八幡宮を建てた(起源は第68番札所 神恵院と同じ琴弾八幡宮)。このとき、別当寺として開いた神宮寺は神宮寺宝光院と称した。その後、807(大同2)年、弘法大師(774-835)が奈良の興福寺を模して、中金堂(ちゅうこんどう)に聖観世音菩薩像を刻み本尊として祀り、「観音寺」とし、第69番霊場とした。
【69_T.Hamada's view】
【69_室町時代の本堂と美しい周辺環境】
銭形で知られる、美しい有明浜「琴弾公園」に隣接する寺。朱塗りの本堂は室町時代に建立された重要文化財。宝物館には、平安~室町時代に作られた文化財が数多く安置されている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【69_本堂】
中金堂で本堂。
【69_大師堂】
大師堂も本堂と同様に鮮やかな朱塗り。
【69_仁王門】
仁王門は、2つの札所(第68番 神恵院、第69番 観音寺)の名前が併記されている。
【69_仁王阿形像】
【69_仁王吽形像】
【69_鐘楼】
立派な彫刻。
【69_鐘楼の天井】
美しい模様が刻まれている。
【69_五智如来石像】
【69_楠の大木】
住所 | 香川県観音寺市八幡町1丁目2−7 |
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行き方 | 観音寺駅 (1.6km)
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名称 | 観音寺 |
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読み方 | かんのんじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | 神恵院大師堂の左側 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0875-25-3871 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@shikoku88-6869.com |
ホームページ | http://www.shikoku88-6869.com/ |
SNS |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 聖観音世音菩薩 |
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山号 | 七宝山(しっぽうざん) |
宗旨・宗派 | 真言宗大覚寺派 |
創建時代 | 大宝3年(703) |
開山・開基 | 日証上人 |
文化財 | 本堂、木造釈迦涅槃仏像、絹本著色不動明王二童子像(重要文化財)
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ご由緒 | 観音寺が第六十八番・神恵院と同一境内にあり、開基も創建の時期や由縁も同じであることは、前項で述べている。ただ、創建されたころの寺号は「神宮寺宝光院」と称した。以来、100年後の縁起からたどる。大同2年(807)、弘法大師は琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来像を納めたとき、この寺の第7世住職となって入山したと伝わる。そこで大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を彫造して安置した。さらに、この地に仏塔を建てて瑠璃、珊瑚、瑪瑙などの七宝を埋め、地鎮をしたことから、寺名の神宮寺を「七宝山・観音寺」に改め、霊場に定めたとされている。
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体験 | 御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
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