けごじんじゃ
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『警(いまし)め、固(まも)る神、警固神社』
西鉄大牟田線福岡天神駅から徒歩1分という街のど真ん中にある神社です。
朝早くに参拝したため社務所はまだ閉まっていましたが、通勤途中のサラリーマンの方々が真剣に参拝されていました。
10月には豊年祭や月華祭が行われるそうで、かぐや姫などを乗せたみこし行列が行われます。
祭りに使用されるみこしが境内入り口に展示されていました。
御祭神 八十禍津日神
神直日神
大直日神
御由緒 ~警固神社HPより~
商都福岡の中心、天神。
公園と連なる緑の中に
樹齢三〇〇年余りの大楠に守られ
御鎮座三九〇年余年の佇まいがあります。
慶長六年(一六〇一年)、藩祖黒田長政公が
福岡城築城のため、一時小烏神社に合祀
慶長十三年(一六〇八年)神殿が御造営され
現在地に御遷座となりました。
大正五年(一九一六)県社(旧制度で昭和二十一年廃止)
に列せられ現在は宗教法人警固神社といいます。
神門
拝殿
本殿
絵馬
菅原神社
天照皇大神宮
手水舎
御神水
御神籤
福岡まつり月華祭の天神パレードでかぐや姫が乗るみこしです
こちらは石上中納言が乗る「子安貝のみこし」
つばめが産むという子安貝がモチーフになっているそうです
【筑前國 古社巡り】
警固神社(けいご~)は、福岡県福岡市中央区天神にある神社。旧社格は県社。主祭神は警固大神(八十禍津日神、神直毘神、大直毘神)、相殿神は建角身神、豊玉姫命、神功皇后、応神天皇。
社伝によると、創建は仲哀天皇の御代の200年、神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現・福岡城本丸周辺)に祀ったのが始まり。1601年に福岡城築城の際に下警固村(現・福岡市中央区天神周辺)に遷され(一時小鳥神社に合祀)、1608年に福岡城主・黒田長政により現在地に遷座、社殿が造営された。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、西鉄福岡(天神)駅の南西すぐ、国体通りに面し、警固公園の南側、平地の繁華街の中にある。境内東側には三越、西側にはビッグカメラというとんでもない立地。境内は一部道路面が店舗になってはいるが、東西に100m以上、南北に50m以上あり、繁華街にあるにもかかわらずかなり大きい。その分、境内東寄りに建つ社殿が小さく見えてしまうぐらい。参拝時は大規模工事中で、境内の半分ぐらいが工事用の囲いがされていた。
今回は、福岡県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分以外にも参拝者がぱらぱらと訪れていた。(境内を通過する老若男女、参道のベンチで仕事をするサラリーマンなど、およそ参拝者とは思われない人の方が多かった…(^_^;))
境内西端入口全景。
※実は人通り、車通りの非常に多い道で、人もクルマも写り込まないように写真を撮るのは至難の業。奇跡の一枚...(^_^;)オオゲサ
参道右側の<社号標>のアップ。「縣社 警固神社」とある。
参道進んで<鳥居>のアップ。参道右側は大規模工事中。
参道右側の<社務所>。いかにも臨時で、建て替えるのかな?
参道左側の<手水舎>。
参道進むと、2本の石柱に注連縄が架けてある。これも鳥居かな。
参道正面。
神門前左側の<狛犬>。
神門前右側の<狛犬>。
<神門>全景。
神門をくぐると正面に建つ<拝殿>。
<拝殿>正面。
拝殿に向かって左手に建つ<社務所>。御朱印はこちら。
社務所から見た<社殿>全景。拝殿は正面から見ると小さめだが、奥行きがあってサイズは大きい。
拝殿後方の<本殿>。
本殿の左手(南側)にある<今益稲荷神社>。
<今益稲荷神社>全景。
境内南側にある<鳥居>。建設用の囲いに囲まれている。(^_^;)
境内北側にある<警固公園>。百貨店やオフィスビルなど、きれいなビルに囲まれている都会のオアシス。
(^▽^)/
名称 | 警固神社 |
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読み方 | けごじんじゃ |
御朱印 | あり 「固(守る)」デザインの社紋の上に奉拝の墨書き、神社印が警固神社の墨書きの下に押されています。
|
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
ホームページ | https://kegojinja.or.jp/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 《主》神直日神,大直日神,八十禍津日神,《配》建角身命,豊玉姫命,神功皇后,応神天皇 |
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体験 | 御朱印 |
Wikipediaからの引用
概要 | 警固神社(けごじんじゃ)は、福岡県福岡市中央区にある神社である。旧社格は県社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長6年(1601年)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長13年(1608年)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。大正5年(1916年)、県社に列格した。 社名及び周辺の地名である『警固』はかつて鴻臚館にあった役所『警固所』に由来する。 |
アクセス | 交通[編集] 西日本鉄道天神大牟田線西鉄福岡(天神)駅 (南口)徒歩1分 福岡市地下鉄空港線天神駅 徒歩7分 福岡市地下鉄七隈線天神南駅 徒歩4分 西鉄バス「天神警固神社・三越前」 徒歩1分 |
引用元情報 | 「警固神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%AD%A6%E5%9B%BA%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=94138750 |
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