御朱印・神社お寺の検索サイト
越前国大野郡の式内社です。大野郡には篠座神社をはじめ磐座神社が3社あり、そのうち地名のつかない磐座神社が当社とされています。
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三河国八名郡の式内社であり、石巻山の頂上付近にある奥宮です。里宮の向かいにある登山口からクネクネとした山道を上り、旅館のある高台まで来ると車を止めることができます。
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三河国八名郡の式内社であり、同国四宮とされている神社です。近くにある石巻山を御神体としており、山上に奥宮、こちらを里宮としています。八名郡でも唯一の式内社でしたが、現在の豊橋市内でも唯一みたいです。
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近江国伊香郡の式内社です。第51代平城天皇さまの御代に傳教法師という方によって創建されました。櫻の名前があることからかつては「櫻の宮」と呼ばれていたこともあるようです。
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越前国大野郡の式内論社です。大野市の地名、その前身である大野郡を社名に冠する神社であり、御祭神の大若子命さまはかつて大和時代(一般的には古墳時代)に越前国を平定した方であると、同市下若子、…続きを読む
紙の神様、大瀧神社・岡太神社の隣の地域に建っている神社です。この場所に湧き出ている霊水が飲んだ人に長寿にしたことからこの名前がついており、知る人ぞ知るパワースポット?かもしれませんね。
越前国今立郡の式内社と同名の神社です。論社としては挙げられてはいませんが一切関係がないわけではなく、かつては大滝町の大瀧神社・岡太神社の御旅所の一つだったようです。
駿河国有度郡の式内社です。社名は境内に池があったことに由来し、その池で祈雨の祭事をやっていたことが"池"と雨による豊穣を祈る"田"に由来したものと思われます。
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大和国高市郡の式内社です。御祭神の許世都比古命さまについては巨勢小柄宿禰という方とされており、この高市郡に居住していた豪族"巨勢氏"の始祖とされ、氏神社として祀られたものと思われます。
大和国高市郡の式内社です。神功皇后さまの御代に御祭神の櫛玉彦命さまの後裔にあたる荒木命さまが、自らの祖神を祀って創建した神社とされています。ここでの櫛玉彦命さまは高皇産霊神さまの御子であり…続きを読む
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越前国今立郡の式内社「須波阿湏疑神社 三座」の論社です。『延喜式』神名帳には「三座」とあり、この神様たちが後世にバラバラに祀られたのかこの神社以外にも論社が複数確認されています。この神社に…続きを読む
大和国の総社とされる神社であり、一宮の大神神社と同じく別格とされていた神社です。通称が八幡さんとされていることから、国府鎮守のために全国で祀るよう法令の出た国府八幡宮を兼ねていたと思われま…続きを読む
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大和国高市郡の式内社です。大きな道から外れた集落の奥、田畑と山の境界にひっそりと立っています。社名の通りこの地域には豪族の波多氏が居住しており、この地に湧いていた清水を井戸として使っていた…続きを読む
大瀧神社・岡太神社の一の鳥居から境内までの途中に立つ神社で、白山信仰を起源に持ちます。元々はこの地にあった薬師堂の末社・白山宮としてありましたが、神仏分離によって薬師堂は廃絶、近くの神社を…続きを読む
若狭国三方郡の式内社です。田園地帯の側にありつつ、隣には美浜町役場や保健福祉センターがあったりと、人の集まる場所の近くに建っています。
若狭町常神鎮座の常神社の分社と思われる神社です。海に面したところに鎮座しているので、遠くからの常神半島への遥拝所だったのかもしれません。
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大和国吉野郡の式内社です。吉野三山の一つである栃原岳の山頂に鎮座しており、社名の通り水の女神である罔象女神さまを祀ります。「波比売(はひめ)」が「罔象女(みず"は"の"ひめ")」に繋げられ…続きを読む
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大和国吉野郡の式内社です。吉野三山の一つである銀峯山の山頂に建ち、六国史の一つである『日本文徳天皇実録』にも名前の現れる国史見在社でもあります。金峯山と同じくかつては修験道の行場となってお…続きを読む
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熊野古道に点在する九十九王子の一つで、糸我稲荷神社から南に住宅地を抜けたところにあります。百人一首や『新古今和歌集』で有名な藤原定家さんが後鳥羽上皇さまに随行して熊野詣を行った際に、この王…続きを読む
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有田市宮原町にある宮原神社の末社である太刀宮と同じ社名を持つ神社です。そちらの由緒によると太刀宮は明治の神社合祀によって宮原神社に遷座する前は熊野古道中に祀られていたと記述があるので、おそ…続きを読む
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