ちょうかいさんおおものいみじんじゃふくらぐちのみや
鳥海山大物忌神社吹浦口ノ宮
山形県 吹浦駅
夏のツーリング目的で参拝。
思ったより静かな住宅地内で境内も静かでした。
鳥海山山頂まではさすがに無理ですが、鳥海山が見える場所から山頂へもお祈りしておきました。
お参りしてきました🙇山頂までお参りに行きたいですが、登山はしたことがないため諦めました😢
こちらの神社でも、その存在感は圧巻です‼️穏やかな気持ちになります✨
見開きで蕨岡口之宮のものと一緒に頂きました🙇
丸池神社、山頂の書き置きも頂きました🙇
階段を登ると本殿があります。摂社の社殿も朱色がすてきでした✨
下にあるお宮です。
鳥海山大物忌神社(ちょうかいさん・おおものいみ~)吹浦口ノ宮(ふくらくちのみや)は、山形県飽海郡遊佐町吹浦布倉にある神社。式内社(名神大)で、出羽国一之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、大物忌大神。歴史的経緯から、鳥海山山頂と吹浦と蕨岡の3つの社殿があるが、これを一体として鳥海山大物忌神社と称し、山頂の権現堂が本殿で、吹浦と蕨岡はそれぞれ口ノ宮(里宮)という変則的な祭祀体制となっている。
創建は不詳。鳥海山は主たる登山口だけでも吹浦、蕨岡、矢島、小滝の4カ所があり、登山口ごとに信徒が一定の勢力を構成し、異なる伝承が伝わるうえ、登山口間の争いが多かったことから伝説がゆがめられることも多く定説をみない。
吹浦の社について、江戸時代に記された『大物忌小物忌縁起』では、景行天皇の御代に出羽国に神が現れ、欽明天皇の御代の564年に飽海郡山上に鎮まり、平安時代初期の806年に吹浦村に遷座と記載されている。
蕨岡の社については、同じく江戸時代に記された『鳥海山記并序』、『鳥海山縁起和讃』では、天武天皇の御代に、山の神の命により役行者が山中に出没する鬼を退治して開山し、行者が山に登った際「鳥の海」を見たことから「鳥海山」と名付けたとしている。
平安時代には六国史にもたびたび登場するが、927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「出羽国 飽海郡 大物忌神社 名神大」に比定され、『延喜式』の「主税式」においては、国家の正税から祭祀料2,000束を受ける記載(他は陸奥国鹽竈社、伊豆国三島社、淡路国大和大国魂社)があり、国家から特別な扱いを受けていたことが伺える。中世において当社は出羽国一之宮とされるとともに、鳥海山と月山の双方を祀る「両所宮」と称されていた。また、六国史の記載によると、平安時代以降、神仏習合が進み、仏教隆盛の元、当社は本地垂迹説により鳥海山大権現と称して社僧が奉仕した。江戸時代になると、山頂の鳥海山大権現の管理、社殿の立替、一之宮の称号の使用を巡って登山口間の争いが頻発し、その度に庄内藩、江戸寺社奉行が裁定に入ったが、最終的には明治時代に有栖川宮熾仁親王の通達により、現在の変則的な祭祀体制をもって争いは収束した。
当社(吹浦口)は、JR羽越本線・吹浦駅の北方500mの、海に近い鳥海山の麓にある。駅前の住宅街の外れにあって、平地に境内入口の鳥居や社務所があり、百数十段の階段を登ると拝殿、さらに少し上がったところに本殿があるという境内の造りとなっている。他の一之宮と比べると、境内社の数は少なく、見て廻るエリアは広くはない。
今回は、出羽国の一之宮、式内社、旧国幣中社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分たち以外にも、地元風の人々、観光客と思しき人々がぱらぱらと訪れていた。
境内南端入口にある<一の鳥居>と<社号標>。小さな街のメインストリートの突き当りにある。他の一宮と比べると小さく控え目かな。
鳥居に掛かる扁額。<正一位大物忌神社 鳥海山出羽國一宮>と書かれているようだが、かなりユニークな字体。
境内全景。<二の鳥居>の先の森の上に社殿があり、右手には<下拝殿>と<社務所>がある。写真外左手には大きな<斎館>がある。
二の鳥居をくぐってすぐ右側にある<手水舎>。大きな岩の趣のある手水盤。
境内右手、一段高いところにある<社務所>。御朱印はこちら。
境内右手、二段高いところにある<下拝殿>。1879年建立。桁行7間梁間5間、入母屋造銅板葺、正面に3間向拝が付く。内部空間は特殊で、中央後方の桁行3間梁間2間を上段として格天井を張り、背面の突出部に宮殿を祀る。
<下拝殿>と小丘の上にある<拝殿>との機能分担は分からないが、<下拝殿>だけでも大きく立派。
下拝殿での参拝後、二の鳥居のあるメイン参道のところまで戻る。森の中に突っ込んでいくイメージ。
まず手前の階段を上がったところ。やっと奥にある社殿への階段が見える。
手前の階段上、左側の<狛犬>。風化した状態を見ると、石の削り出しではないみたい。
手前の階段上、右側の<狛犬>。こっちは顔の部分が削れてしまってちょっとかわいそう...(^_^;)
いよいよ社殿への階段。引いて写真を撮ると大したことなさそうに見えるが、段数は120段以上あり、なかなかきつい。
階段を登り切ったところ。大きな拝殿があり、手前にわがままな古大木が立っている。拝殿がポツンと建っているだけの、一之宮としては意外にシンプルな社殿周り。
<拝殿>全景。1885年建立、1990年改修。桁行5間梁間3間、入母屋造銅板葺、正面に1間向拝、背面には方1間の突出を設け、中門への登廊が付く。円柱で組物は大斗肘木。正面中央3間に板唐戸を吊り、両脇間は連子窓となっている。
<拝殿>正面。扁額などはなく、扉の奥に厳粛な空間を感じる。
<拝殿>内部。非常にシンプルな空間。奥に階段のようなものがあるけど、何でかな?
斜めから拝殿を撮影しようと移動してみると、拝殿の後ろの高い場所には立派な建物が。ここから眺めてやっと一之宮らしい豪壮さを感じる。
拝殿の右手に登り階段があるので登ってみる。
階段を登り切ると、正面に3つの境内社が見える。
そして右側を見ると朱塗りの大きな建物が見える。奥が<本殿>で、手前が<月山神社本殿>。1711年建立、1963年改修。一間社流造銅板葺。2つの建物は似ているように見えるが、彫刻など細部が異なるらしい(柵の中に入れないので確認できない)。
<月山神社>は『延喜式神名帳』における「出羽國 飽海郡 月山神社 名神大」に比定されており、2つの式内社(名神大)が並び建っていることになる。
境内社3社のうち、一番左にある<白山姫神社>。扁額には<白山大神社>と書かれている。軒の立体的な彫刻が美しい。
境内社3社のうち、真ん中にある神社。扁額に社名の記載なし。小さいが、きれいで立派。境内図案内板によると、こちらの神社か一番右の神社のどちらかが末社の<雷電神社>。
境内社3社のうち、一番右にある神社。扁額に社名の記載なし。小さいが、きれいで立派。
本殿と摂社月山神社本殿の前方にあるのは<中門と回廊>。1939年建立。登廊上端に接して妻入の中門を開き、その東西に桁行5間の廻廊が延び、両端間を切妻造銅板葺の神饌所で間仕切る。
二の鳥居近くにある<御池>。中央に浮かんでいる島は<おのころ島>と名付けられている。
当社から少し離れた場所にて、御神体の<鳥海山>。「出羽富士」とも呼ばれ、海抜0mから頂上の2236mまで一気に立ち上がる珍しい形態の山。古墳時代から奈良時代にかけては大噴火をし、霊山として恐れられたらしい。
初めての出羽國の神社参拝なので、オリジナル御朱印帳を購入。当社では同デザインで5色のバリエーションがあり、どれも綺麗でけっこう迷った...(^_^;)
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