やおとめはちまんじんじゃ
八乙女八幡神社公式山形県 荒砥駅
御朱印は基本土日のみ
9柱の神々がお祀りされておりご参拝者さまには心安らかにご参拝頂ける。
季節ごとに櫻、紫陽花、紅葉が楽しめ
御朱印も行なっている。
獅子舞神事は古来占いであったとされ
今も大切に執り行われている。
お世話様です。
3月限定御朱印の告知です。
御朱印見開きにお書きします。
※土日祝日のみの頒布になります。ご了承ください。
3月限定御朱印(ひなまつり)
頒布期間3月2日~3月30日(土日祝日のみ)
【出羽國 古社巡り】(過去の参拝記録)
八乙女八幡神社(やおとめ・はちまん~)は、山形県西置賜郡白鷹町荒砥甲にある神社。旧社格は県社。祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后ほか6柱。山形県神社庁の登録名は「八幡神社」。
創建は平安時代後期の1087年、後三年の役の際に、源義家が当地に石清水八幡宮を勧請したことに始まるとされる。社名の由来は、義家が当社にて弓矢を立て、八人の乙女に舞楽をさせ戦勝祈願をしたことによるとされる。その後、藤原清衡の臣の荒川次郎泰清が当地に荒砥城を築城し居館としたと伝わる。のちの戦国時代後期には上杉氏が支配し、対立する最上義光との領土の境ということもあり、直江兼続が当地に多くの家臣を置いたとされる。
当社は、JR米坂線・今泉駅の北方16km、フラワー長井線の終点・荒砥駅の南方100mの小丘の上にある。境内入口は東側にあって、数十段の階段を登ると、まずまずの広さのある社殿周りに到着する。境内には樹木が多く、昼間でもある程度の暗さがある。社殿の周りにはいくつかの境内社や石碑があるが、シンプルな造り。南東のさらに高いところに御楯稲荷神社という境内社がある。
今回は、山形県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の昼ごろで、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
境内東側の麓から階段を数十段登ったところにある<鳥居>。
木製両部鳥居には「八幡宮」とだけ書かれた扁額と、出羽國(山形県)独特の中太な注連縄が架かる。
鳥居から振り返った、境内東方の景色。
鳥居をくぐって、参道右手の建物。
参道左側の<手水舎>。
参道を進むと、社殿は一段高いところにある。
階段を登った左側にある<狛犬>。なんという珍しい造形。超個性的で良い。
階段を登った左側にある<狛犬>。左は<お座り型>で右は<出雲構え獅子型>という組み合わせも珍しい。
<拝殿>全景。なかなかのサイズ感で、さすが旧県社といった風格。
正面には向拝が付いている。簡素な彫刻に、出羽國注連縄が架かる。
<拝殿>正面。扁額の手作り感が良い。
<拝殿>内部。きれいにされている。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿後ろの<本殿>。本殿もなかなかのサイズ感で立派。
拝殿の右手にある<庚申塔>。
社殿の右手にある石碑群。左から順に<大宮大明神>、<皇大神①>、<湯殿山>、<皇大神②>。
本殿の右手にある<津島神社>。
津島神社の左手にある石碑群。石仏も混じっている。
本殿の後方にある<もんじゅさま>。
本殿の後方にある、もう一つの境内社。
社殿の右側奥にある建物群。
最後に、境内の南側にある<御楯稲荷神社>の鳥居。当社の摂末社ではないみたい。(余力がなく登らなかった)
慶長年間(1596年~1615年)に、この地を領有していた直江兼続が、荒砥城の守護として建てたものとのこと。(^▽^)/
【頒布場所】
八乙女八幡神社 社務所
【初穂料 / 納経料】
500円
御朱印帳 1500円
【この御朱印の好きなところ】
例大祭限定書き置き朱印
通常御朱印
例大祭限定朱印
御朱印帳(境内の紫陽花をイメージして)
御朱印
住所 | 山形県西置賜郡白鷹町荒砥甲字楯廻1092 |
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行き方 | フラワー長井線終点 荒砥駅より徒歩5分
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名称 | 八乙女八幡神社 |
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読み方 | やおとめはちまんじんじゃ |
通称 | お八幡様 |
参拝時間 | 御朱印は基本土日のみ |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 070-2010-9236 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | yoko85yama0905@outlook.jp |
お守り | あり |
SNS |
ご祭神 | 主祭神…帯中日子命(仲哀天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・品陀和氣命(応神天皇) 配 神…大國主命・伊邪那岐命・伊邪那美命・保食命・稲倉魂命・大山祇命 |
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創建時代 | 1087年(寛治元年) |
創始者 | 源義家 |
文化財 | 御神木(八乙女種まき櫻)
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ご由緒 | 八幡太郎源義家が、後三年の役の時、当地で激しい戦となり悩み床に伏した時霊夢を見る。そこで八幡大神に軍略を授けられその通りに戦を進めると見事に戦に勝つ事が出来た。奥州からの引き返してくる際に改めて当地により京都・岩清水八幡宮様より神々をお招きし祭典を行う。その時、八人の少女による舞を奉納したことから八乙女八幡と呼ばれています。寛保3年(1743年)に荒砥郷十二か村の総鎮守として社殿が建てられた。 7月の半夏祭は極めて珍しくお供物に蛸🐙が
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り重要文化財祭り武将・サムライ花の名所伝説夏詣花手水 |
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