あゆかいはちまんぐう
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1396年鮎貝成宗によって築城された鮎貝城本丸跡に明治31年に移築された神社。本殿は江戸末期の建築とのこと。御朱印は書き置き御朱印置いて有りました。
【出羽國 古社巡り】(過去の参拝記録)
鮎貝八幡宮(あゆかい・はちまんぐう)は、山形県西置賜郡白鷹町にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は応神天皇(八幡神)、配祀神は倉稲魂命。
創建は平安時代後期の1060年、陸奥鎮守府将軍・源頼義が東夷東征の戦勝祈願をするために、嫡男の源義家を当地に遣わして応神天皇(八幡神)を勧請したことに始まると伝わる。その後は歴代領主である長井家、鮎貝家、伊達家、蒲生家から崇敬庇護された。江戸時代に入り上杉景勝が米沢城に入り米沢藩を立藩すると、歴代上杉家の祈願所とされ、近隣18ヶ村の総鎮守と定められた。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、1898年に鮎貝城本丸跡の現在地に遷座した。
当社は、JR米坂線・今泉駅の北方15km、フラワー長井線・四季の郷駅の北方500mの小高い場所にある。境内は2段に分かれていて、境内入口のある南側は低く、周りは住宅街となっていて、北側の社殿周りは数十段の階段を登ったところにある。境内はかなり広く、社殿周りも広々。草木は少なめで、境内は明るく、より広く見える。社殿の周りには境内社がいくつかあって、少し離れたところに社務所棟があるシンプルな造り。
今回は、山形県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の昼ごろで、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
境内南端入口全景。<社号標>が立っている。
参道を進んで<一の鳥居>。社殿は鮎貝城址の小高い場所にある。
階段を登り切ったところにある<二の鳥居>。遠くに社殿が見える。
鳥居をくぐって左手にある<鐘楼>。
鳥居をくぐったところからの眺め。境内は左右ともに広々。
<拝殿>全景。なかなか大きく、簡素で重厚。
拝殿前左側の<狛犬>。線の太いオーソドックスなタイプ。
拝殿前右側の<狛犬>。彩色入り。
<拝殿>正面。扁額や建具は新しい感じ。
拝殿後ろの<本殿>。なかなか大きく立派。拝殿とは長い幣殿で繋がっている。
拝殿の左隣にある境内社。
境内社の左隣にある<鮎貝城鞘殿>。鮎貝城築城600年記念事業で建立とある。鮎貝城の再現模型が収められている。
鮎貝城鞘殿の左手、境内北西端にある境内社。表札には「天照皇大神」とある。
二の鳥居と天照皇大神の間に立っている<相撲場>。
二の鳥居から右手方向、境内の東半分を歩いて回る。まず石製小祠、石碑群。
<湯殿山>の石碑。
<忠魂碑>の石碑。
境内中央から見た<参集殿>(左)と<斎館>(右)。
拝殿の左隣にある境内社。表札には「繁長八幡神社・稲荷神社・天満神社」とある。
境内から見た街の眺め。
参集殿付近から<社殿>全景。立派なサイズ感で、しっかりメンテナンスが行き届いている。
境内北東部にある駐車場のモミジの古木。幹は裂けて空洞があるが樹勢はかなり旺盛。(^▽^)/
名称 | 鮎貝八幡宮 |
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読み方 | あゆかいはちまんぐう |
通称 | お八幡様 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《合》倉稲魂命,《主》応神天皇 |
---|---|
ご由緒 | 創建と沿革の詳細は不明ですが、社伝では康平2年(1059年)野川以北の鎮守として鮎貝字八幡の地に創建されたものと伝えられています。細部に見られる装飾手法は巧緻・繊細です。江戸末期の建築で意匠的技術に優れ、地方棟梁・木彫師の技量を知る上で貴重なものです。 |
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