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西宮戎神社について

粡町の由来

米沢が出羽國府の支配にあって「おいたみ」と呼ばれ、原野に郷人らが散在して住んでいた頃の和銅五年(712)、野生の桑林に一面の雪の原の如く蚕が繭をつくった。
郷人らはこれを神の業とし祠を建てて祀ったのが白子明神である。

やがて郷人らはこの祠の境内に集り(いまの元籠町)交換取引を始めた。斎市(いち)である。
さらに祠前の道を拓らき、米穀取引市の門前町は生れ新町(あらまち)と名づけられた。
米沢最古の町づくりであり、商取引市場である。

伊達氏が米沢を領した時代(1570頃)に町人本町を六町設けた。
新町はその筆頭市場であり「秋の日市」米穀市場として、商品流通の拠点となり、次いで蒲生氏領國時代もそのままの形で繁栄していった。

直江兼続が米沢を領した慶長三年(1598)新町に米穀取扱の米座と旅人宿場を兼ねさせ、米宿場源吾店を設けたことにより、領内産米の直取引権を獨占し、米問屋町として凡そ十万俵の米の負荷販賣をするに至り、人口はこの町に集中し、一大商業街としての基礎を確かにした。
次いで、直江執政時代の慶長十四年(1609)に城下町割り改革が行われ、現在の米沢市街を形成し、
新町は米穀市場、物資集散地として交通至便の現在地に移された。
以来、上杉氏城下の町人の町、米の直取引市場として栄え、米座穀町は新町に固定した。

精米が進み一般に白米を食するようになると、玄米に同じという意味に因み、粡町(あらまち)という名が全國各地城下町に現れたが、寛延二年(1749)頃に新町も粡町と書かれるようになった。
さらに明治、大正、昭和と代々米沢市随一の商店街として町民は結束堅く、伝統を守り繁栄を誇ってきた。
昭和四十二年(1967)九月、住所表示法施行に当り、歴史と傳統を持つ粡町の町名存續を町民は熱願したが、町割統合改廃とともに、中央三丁目、四丁目、五丁目と分断され、由緒ある町名は消えることとなり、
翌四十三年、粡町商店会は粡町通り商店会と改称し粡町の名を残した。

ここに粡町千二百年の由来を誌し、幾度かの大火災や苦難を超えて、粡町を繁栄させてきた先人の偉業を讃え、これに感謝するとともに、幾世代の後人のために傳えるものである。

名称西宮戎神社
通称えびすさん

詳細情報

ご祭神《主》蛭児大神,天照大神,須佐之男大神,大国主大神,《配》白子大神
ご由緒

昭和二十八年十一月、兵庫県西宮市の西宮神社の御分霊を勧請し、創建したものである。
主祭神・蛭兒大神は後にえびす大神と同一とされ、天照御大神の兄と見なされてもよい神であった。
伊邪那岐大神と伊邪那美大神により別けあって葦舟により降臨の島(オノゴロ島)から流され、摂津国西宮の入浜に流れ着き、それを崇めて社殿をつくり祀ったと伝えられている。

蛭兒大神、天照御大神、須佐之男大神、大国主大神の四柱は西宮神社の神々であるが、白子大神は米沢白子神社より勧請されたものでしょうか。

境内に西宮戎神社が鎮座する旧町名の由来の碑がある

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