天台宗
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名称 | 柏山寺 |
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電話番号 | 023-622-7769 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 薬師如来、阿弥陀如来 |
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宗旨・宗派 | 天台宗 |
ご由緒 | 奈良時代の天平十三年(741)、聖武天皇の勅願により諸国に国分寺と国分尼寺が建立され、古代律令国家による宗教政策の一つとして鎮護国家、鎮災致福を説く仏教を中央集権、仏教興隆の強化のための精神的支柱として建立された。
別当寺・護国山柏山寺に残る文献の信頼する由緒書きに依って明記しますと、 天平時代、聖武天皇の勅命により、行基菩薩が開山の後、鎮守府将軍・大野東人が七堂伽藍を造営し、公田壱萬畝歩を寺領として献じた。 貞観年間(平安時代前期859~877)慈覚大師が当地を訪れたとき中興し、それより天台宗に属した。 康平六年(1063)、前九年の役後、源頼義が堂塔を再興し、その後鎮守府将軍・藤原秀衡が再興し、さらに建久年間(鎌倉時代前期1190~1198)北条政子(後、鎌倉二位禅尼と称す)の命により大江広元が堂塔を修復した。 最上家の祖・斯波兼頼が出羽国按察使将軍として陸奥国大崎より入部し、延文五年(1360)金堂塔を造営した。 戦国時代の山形城主・最上義光が、その衰退荒廃深く嘆き、天正二年(1574)寺領三百二十石を寄進し、堂宇を建築し、山形城の鬼門擁護の霊場と定められた。 最上家改易後、その寺領は江戸幕府から御朱印で安堵され、二十三の末寺を持つ江戸上野・東叡山寛永寺の直末として、地方の天台宗の触頭(中本寺)として栄え、安政二年(1855)江戸で発行された「東講商人鑑」という本には、羽州村山郡山形国分寺図と題し、当処の光景を挿画として載せられています。 現在の金堂は、明治四十四年五月八日の市北部の大火により類焼し、鳥有に帰したるを以て、その翌年真言宗の触頭であった地蔵町(現 東原町)の寶幢寺本堂を移し建てたものです。 また県会議事堂の出来る前は、この金堂で第一回の県議会が開会された御堂です。 |
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