浄土宗
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
名称 | 常念寺 |
---|---|
電話番号 | 023-622-7488 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
---|---|
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
ご由緒 | 当寺は「義光山常念寺」と号し、開山は陸奥国・磐城(現福島県いわき市)にある浄土宗檀林の一つであった専稱寺の末寺である壽蔵寺の末弟、良雄舜翁上人が、運慶作と伝えられている不動尊像を奉じて山形を訪れ、この地の草案を結んで「不動山明王院」と称したのが天正十一年(1583)三月と云われている。 当時の山形城主・最上義光は、愛娘の駒姫の受難(豊臣秀次謀反疑惑で切腹、眷族抹殺)にあい、浄土観に心を傾け、上洛中に深く帰依したのが、京都の浄土宗本山の一つである清浄華院の高弟で、学識高く、知行兼備の岌讃専阿上人で、義光の招きで山形に下向し、不動山明王院の三世住職となる。 慶長四年(1599)春、明王院を「義光山常念寺」と改称、寺領百石を与えて伽藍を大改修、同年八月、上洛中の義光は後陽成天皇宸筆勅願の下賜を願い出たところ、明王院当時の宗風(加持祈祷、邪気払い)で問題視されたので上人が急ぎ上洛して弁明、勅願の下賜が決まった。
その後、長男・義康の菩提寺とした際、中野村の内百十石を寄進((三代将軍徳川家光代からの朱印地)した。
最上義光嫡男・最上義康供養塔
義康は武勇に優れ、慈愛も深く家臣からも慕われて領主の資格を備えた大器であったが、義光が義康遠ざける挙動は家臣のも敏感に伝わり、義光に媚びる家臣の一部はいろいろ策動を始めた。
義康主従一行十余人が山形から六十里街道を抜け庄内に入った櫛引町の一里塚に差し掛かったところ、
義光は直ちに義康の館を捜索した処、義康の手箱から父との不仲を嘆き、神仏に父との和解を願った祈願文が見つかった。
|
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ