ぜんみょうしょういん(さなだあん)|高野山真言宗|伽羅陀山
善名称院(真田庵)公式和歌山県 九度山駅
午前9時~午後4時
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり
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善名称院に寄せて頂きました。真田庵の方が名前が通っているお寺かと思います。どなたもいらっしゃらなかったので、書き置きを頂いてきました。
町の駐車場の様です。
電柱に真田十勇士
勝利寺に来て、勝利祈願の後は、九度山ですから、真田幸村公巡りです。🥰
やはり、まずは真田庵へ。真田幸村親子の屋敷跡に建てられたお寺です。御本尊は延命子安地蔵菩薩。
大河ドラマでも出てきました、あの九度山です。高野山に蟄居を命じられ、信州より紀州へ。高野山での生活は寒く大変だったため、麓の九度山町で生活したのではないかと言われています。真田昌幸公は、この九度山町にて亡くなり、息子である幸村公は、父の供養のために、森の中に宝篋印塔を建てました。その後、大安上人がこの森に来たとき、本尊がここに善名称院(真田庵)を建てよと言われ、大安は松の木だけを残してお寺を建てられたそうです。その松の木や、昌幸公のお墓が真田地主大権現となり、この地を守られております。
本堂の隣の扉を開けて、書き置きの御朱印、六文銭クッキー、干支みくじを購入しました。お代金は本堂のお賽銭箱に😊
ますみん姉さんじゃないけど、UPで何回も写真が飛び、私も心折れそうになりました。😭もう少しスムーズに投稿出来ればヤル気がでるんですが。写真もまだまだ載せたいのですが、飛びすぎて、今回はここまで。大好きな真田幸村公投稿なのに残念。😣また、後日編集したいと思います。
閻魔大王さまにご挨拶してから参拝。
おもかる石
雷封じの井戸
真田宝物資料館 拝観料200円を代金箱に入れてパンフレットをいただきました。
懐かしいですね。
また、この間、兵庫県の多聞寺での後藤又兵衛展示室で見た事を思い出します。
これは必見!
こちらからは真田ミュージアム。入館料いります。
あのオープニング曲が流れて来ました。♪
真田ミュージアムで販売されていたミュージアム特別御朱印らしきもの。
道の駅で購入。真田十勇士お茶。
近くの道の駅で。幸村公販売機
道の駅内の真田幸村展示室
途中、お目当ての真田そばへ。
ランチ❣️😋
ランチ後、食後の運動で真田古墳まで散歩。
真田電信柱🥰
すぐ近くで散歩にならず!😅
「真田の抜け穴」とも呼ばれるこの場所には、「この穴の向こうは大坂城に続いており、かつて真田幸村はこの抜け穴を使って戦場へ出向いた。」という伝説を聞いたことがあります。大河ドラマでも描かれていたような‥。🤔この穴だったかな?😅
実際は、古墳時代後期の古墳であるが、真田の伝説が残る場所として「真田古墳」と名付けられたそうです。
真田古墳
大阪の三光神社の真田の抜け穴を思い出します。
高野山真言宗の寺、善名称院(ぜんみょうしょういん)〈通称は真田庵(さなだあん)〉は、寛保元年(1741)に大安上人が、真田昌幸の庵跡と伝承のあるこの地に地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を安置した一堂を創建したのが始まりです。
本尊に延命子安地蔵菩薩を祀り、かつてはお地蔵さんとして賑わいをみせたこともあったそうです。寛政6年(1794)真田庵より拝領された真田幸村の念持仏が「知恵の地蔵尊」として京都の高松神明神社に伝わっています。
春にはボタンが咲き、毎年5月5日の「紀州九度山真田まつり」では武者行列のゴール地点として賑わいをみせています。
真田昌幸・幸村の供養塔である宝篋印塔(ほうきょういんとう)等は「真田安房守昌幸墓地」として昭和55年(1980)に九度山町の町指定文化財となり、境内そのものも「真田屋敷」と呼ばれ「真田屋敷跡」の主要部分として昭和51年(1976)に和歌山県指定文化財に認定されています。
いまも愛され続けている真田氏ゆかりの真田庵にはおまいりする人が後を絶ちません。
わたべけいこう
役職:
住職
1946年(昭和21)生まれ。
1982年高野山で得度を受け、1984年から真田庵の住職となる。
静かで落ち着いた雰囲気が好きです。
境内を掃除したり、お花に触れるひとときが私の1番心が落ち着く時間です。
ガーデニング
境内には真田昌幸を神様として祀っている真田地主大権現があり、真田を詠った芭蕉の句碑や、幸村が雷を封じたとされる雷封じの井戸などがあり、真田を感じることのできるお寺です。
延命子安地蔵尊が祀られ、地域にも親しみの深いお寺です。また毎年5月5日には真田まつりが開催され、真田三代の供養をしています。この時期は町の花であるボタンが数多く咲き乱れ、人々の目を楽しませています。
皆様のご参拝を心からお待ち申し上げます。
名称 | 善名称院(真田庵) |
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読み方 | ぜんみょうしょういん(さなだあん) |
通称 | 真田庵 |
参拝時間 | 午前9時~午後4時 |
参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 境内・駐車場にあります |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳に直書き | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0736-54-2218 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.kudoyama-kanko.jp/midokoro/spot01.html |
絵馬 | あり |
ご本尊 | ご本尊 延命子安地蔵菩薩 真田地主大権現 真田家の宝物である毘沙門天と真田三代の御霊を合祀。その後、稲荷大明神、金比羅大権現、天満宮、住吉大社も、境内に加えて建てられました。 |
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山号 | 伽羅陀山 |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 寛保元年(1741年) |
開山・開基 | 大安上人 |
本堂 | 八棟造 |
文化財 | 県指定文化財
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ご由緒 | 高野山真言宗の寺、善名称院(ぜんみょうしょういん)〈通称は真田庵(さなだあん)〉は、寛保元年(1741)に大安上人が、真田昌幸の庵跡と伝承のあるこの地に地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を安置した一堂を創建したのが始まりです。 本尊に延命子安地蔵菩薩を祀り、かつてはお地蔵さんとして賑わいをみせたこともあったそうです。寛政6年(1794)真田庵より拝領された真田幸村の念持仏が「知恵の地蔵尊」として京都の高松神明神社に伝わっています。 春にはボタンが咲き、毎年5月5日の「紀州九度山真田まつり」では武者行列のゴール地点として賑わいをみせています。 真田昌幸・幸村の供養塔である宝篋印塔(ほうきょういんとう)等は「真田安房守昌幸墓地」として昭和55年(1980)に九度山町の町指定文化財となり、境内そのものも「真田屋敷」と呼ばれ「真田屋敷跡」の主要部分として昭和51年(1976)に和歌山県指定文化財に認定されています。 いまも愛され続けている真田氏ゆかりの真田庵にはおまいりする人が後を絶ちません。 |
体験 | おみくじ絵馬御朱印お守り重要文化財祭り武将・サムライ花の名所有名人のお墓伝説 |
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