こうやさんこんごうぶじ|高野山真言宗
高野山金剛峯寺のお参りの記録一覧
弘法大師御縁日の11/21、和歌山県伊都郡は高野山に今年の御礼参りに行って来ました。
ちょうど紅葉シーズンでもあり、ごった返す予測をしておりましたので、少し早めに自宅を出て、10:30にはお大師様のいらっしゃる奥之院をゆったりとお参りいたしました。
(来年8月まで、奥之院の灯籠堂が改修工事のため、立ち入り出来ません。)
その後、伽藍の方に移動して来ると、予想通り多くの観光客でごった返しておりましたが、ここでも特に問題なく金剛峯寺、壇上伽藍をお参りして、今年の高野山参りを締めくくることが出来ました。
右:奥之院
左:金剛峯寺
壇上伽藍の御朱印
右:大日如来
左:薬師如来
右、根本大塔、真ん中は三鈷の松、左奥は御影堂
雨の日のお参りとなりました。
【正門】
1680年(延宝8年)再建されたものだそうです
。
【大主殿】(大玄関)
豊臣秀吉が亡母の菩提を弔うために、建立したのがはじまりで、1863年(文久3年)再建されたそうです。
【大主殿】(小玄関)
いただいた御朱印です。
弘法大師によって開かれた真言密教の聖地、高野山真言宗の総本山 金剛峯寺へ。
高野山と言えばここ、和歌山県の代表的な観光地で、ユネスコの世界遺産に登録されるなど、今や世界中から参拝に訪れる人が絶ちません。
今日の予定は順調に終わりそうなので、ゆっくり本坊内拝させていただきました😊
蟠龍庭
雲海の中を雄雌一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されているんですって。
新別殿
二間あわせて、169畳の大広間。
青い襖がむちゃ綺麗かった。🤩
台所の大かまど。
直書きでいただきました。
父の13回忌で訪れました。
子供の頃祖母の法要で来たときは、おどろおどろしい感じでしたが、今や世界遺産の観光地です。外国の方も多くおられます。それでも厳かな気持ちになります。
3回目の参拝です。
手水舎
山門
本堂
高野開創三鈷杵
庫裏
イベントや有事の際、このかまどで2千人分のご飯が炊けるようです
寺務所も大きくて立派です
血曼荼羅の御朱印帳
高野山古地図の御朱印帳
妻が頂いた御朱印帳
弘法大師の別名「遍照金剛」の御朱印を頂きました
高野山は、和歌山県北部標高800メートルの盆地状の平坦地に位置します。この日は気温を知らせてくれる表示板に27℃とあり、過ごしやすいお参りとなりました。
山内を大きく分けると、壇上伽藍、総本山金剛峯寺(本坊)、奥之院、高野十谷になります。この日
総本山金剛峯寺参拝と壇上伽藍正式参拝を目的にしました。
最澄と並び、平安仏教を開いた空海。816年(弘仁7年)嵯峨天皇からこの地を賜り、真言密教の道場として切り開いていきます。ケーブルカーを降りバスに乗り換えたあたりから空気が変わるような気がします。そして頭の中は空海のことばかり。なんとかして気配を感じ取りたい気持ちで一杯になります。🤔
山を切り開いて空海がまず作ったのが結界です。
金剛峯寺【主殿】
1863年(文久3年)再建。屋根の上には雨水を貯める桶が設置されています。
【大玄関】
かつては皇室、高野山の重職に就いている僧侶のみが使用したとのことです。
大玄関の右が小玄関。大玄関を使用できない僧侶が使用。一般の僧侶は、裏口を使用したとのことです。
実はこの日大失態!というのは、お寺さんの写真を撮りこの場を去ったわけですがふと気がつくとリュックを背負っていません。アッ!あのイスに置いたままだ!!全速力でこの場所に戻ってきました。息を切らした私に"ナイス·ミドル·ガイ"がニッコリと微笑んで「Calm,down.Calm,down!」(落ち着いて!大丈夫!)まさか日本国内で外国の方から、しかもナイス·ミドル·ガイに大丈夫と言っていだくとは···。
金剛峯寺に来るたびに思い出してしまいそうです。🤭
高野山 金剛峯寺(高野山 真言宗 総本山, 816年, 世界遺産)
【奥の院】弘法大師御廟, 燈籠童, 戦国武将・藩主等の墓所
【金剛峯寺】 大主殿および奥書院(重文)
【霊宝館】絹本著色仏涅槃図(国宝), 木造八大童子像(国宝), 木造諸尊仏龕(国宝), 法華経(国宝), 絹本著色大日如来像(重文)
【壇上伽藍】
金堂, 根本大塔, 不動堂(国宝), 御影堂, 中門, 西塔, 東塔, 奥院経蔵(重文), 真然堂(重文), 護摩堂(重文), 経蔵(重文), 会下門(重文), 鐘楼(重文)
【大門】 大門(重文)
空海が開基, 本尊は薬師如来, 生身供(しょうしんぐ: 聖域 奥の院で行われる空海に食事を届ける儀式、毎日6時(朝食)と10時(昼食)に供える)
2023年秋の文化庁の答申で本坊の大主殿及び奥書院、真然堂、護摩堂、鐘楼、経蔵、山門、会下門、かご塀、 築地塀が重文指定されることになったので改めて参拝。
六時鐘楼が附指定されている。
1131年覚鑁によって建立された大伝法院の跡地に、1593年豊臣秀吉が母の菩提を弔うため木食応其に命じて造営させた青厳寺が起源。
現在の大主殿は1862年に再建されたものである。
大主殿
1862年再建。
大主殿
大主殿
大主殿(大玄関)
皇室、高野山重職の僧のみが使うことができた。
奥書院
1862年建立
奥殿
蟠龍庭・奥殿
真然堂
1640年建立。真然の御廟。
経蔵
1679年再建。
建物裏の壁が築地塀。
経蔵
1679年再建。
鐘楼
1864年再建。
山門
1593年再建。正門。皇族と高野山重職の僧のみが利用を許された。
山門
1593年再建。正門。皇族と高野山重職の僧のみが利用を許された。
会下門
江戸時代末期建築。
会下門
江戸時代末期建築。
会下門
江戸時代末期建築。
かご塀
1862年建立。
かご塀
1862年建立。
六時鐘楼
山王院
御社の拝殿として1174年に創建された。
現在の建物は1845年の再建である。
山王院
御社の拝殿として1174年に創建された。
現在の建物は1845年の再建である。
山王院本殿丹生明神
拝殿の向かいに建つ。高野山の鎮守。右から丹生明神、高野明神、総社の三社が並ぶ。1522年建築で重文指定されている。
山王院本殿丹生明神
山王院本殿高野明神
山王院本殿総社
御社(山王院本殿丹生明神、山王院本殿高野明神、山王院本殿総社)
金剛峯寺大門
高野山の総門。1705年再建で重文指定されている。
高野山 金剛峯寺
弘法大師が都遥かに都を離れ、しかも約1000mの高峰であるこの高野山を発見されたことには古くから伝えられる物語があります。
それは、弘法大師が2カ年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしていた時、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷(さんこ)を投げられた。
その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたという。
弘法大師はこの三鈷を求め、今の大和の宇智郡に入られた時そこで異様な姿をした一人の猟師にあった。
手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた。弘法大師はその犬に導かれ、紀の川を渡り嶮しい山中に入ると、そこでまた一人の女性に出会い「わたしはこの山の主です。あなたに協力致しましょう」と語られ、さらに山中不深くに進んでいくと、そこに忽然と幽邃な大地があった。
そして、そこの1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけ子の地こそ真言密教にふさわしい地であると判断しこの山を開くことを決意されました。
【高野山(こうやさん)金剛峯寺(こんごうぶじ)本坊(ほんぼう)】
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」で参拝。
【正門】
【世界遺産】
【手水舎】
【正門】
【本坊】
【天水桶】
【大玄関・小玄関】
【本坊】
【枯山水小庭】
【蟠龍庭】
【蟠龍庭・奥殿】
【蟠龍庭】
【新書院・阿字観道場】
【蟠龍庭】
【中庭】
【中庭】
【茶の間】
千住博画伯の障屏画。一団のガイドさんが、ここは撮ってもいいとおっしゃっていたので一枚。確かにとってもいい画です。
【台所】
【境内】
【鐘楼】
【経堂】
【下門】
【下門】
【御朱印】
七福神巡り❄️☀️を目的に、高野山に上りました。天気は申し分ないのですが☀️、空気の冷たさ
に気が引き締まりました。😌
本覚院さんで"弁財天"さまと"大黒天"さんの御朱印をいただいた後、歩いて金剛峯寺へ。
"金剛峯寺"という名前は、
"金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)"というお経からきています。
総本山金剛峯寺というと、高野山全体をさし、本堂は、大伽藍にある金堂になります。なかなかちょっとややこしいです。🤔
金剛峯寺拝観入口にありました。
雪❄がうっすらと積もっています。
一歩一歩慎重に!🤭
滑って転んだ経験ありませんので、余計に怖さ感じます。🤭
ついついハシゴに目がいきます。屋根には
大きな樽。火の用心。
雪❄の積もったお堂は、初めて見ます。
青空の"青色"と雪の"白色"のコントラストの美しさ・・。言葉失います😌なんだろう。今ここに立っていることに深く感謝。深呼吸〜🙌
今日は"七福神巡り"が目的なので、足早にバス停に移動します。
2023.11.9
先日、急遽所用にて行った、和歌山県伊都郡高野山のこと。
どんなに仕事がバタバタで時間が無くても、お詣りの時間を必ず作ります、個人的には。
1週間前ですが、伽藍界隈は紅葉がいい感じでした🍁
数日前に降雪があったみたいですが💦
根本大塔と金堂の御朱印
金堂と奥に根本大塔
奥之院御廟同様に重要な聖域、御影堂
和歌山県のおすすめ❄️
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