こかわでら|粉河観音宗
粉河寺
和歌山県 粉河駅
8:00~17:00
今回は和歌山県の寺院巡りです。先ずは紀の川市に在る風猛山 粉河寺です。粉河観音宗で、本尊は千手観音。西国三十三所観音霊場 第3番札所です。
国宝「粉河寺縁起絵巻」(京都国博に寄託)によると、770年に大伴孔子古により始まったとの事である。(説話は割愛、あくまでも話。)だが、複数の書物からは1000年以上前の平安時代には存在していた事は間違いなく、古刹です。鎌倉時代にはかなりの子院や僧兵を擁していたが、1585年に秀吉の紀州征伐により焼失、1713年の火災によっても焼失したが、その後再建されて現在に至っています。
寺院には割と秘仏がありますが、粉河寺もご多分に漏れず本尊の千手観音は秘仏です。秘仏の厨子の前にお前立ち(秘仏の代わりに礼拝する)という仏像が祀られている場合が多いのですが、こちらはお前立ちまでもが秘仏という徹底ぶりには驚かされます。
金剛力士像がある大門(山門)をくぐると参道は右に直角に曲がります。右側には川が流れ、左側には本坊、童男堂、念仏堂、太子堂などの堂宇が建ち並んでいます。今度は正面に立派な中門、四天王が守護しています。
中門をくぐると地蔵堂、丈六堂。国指定名勝の石組の粉河寺庭園もあります。参道は今度は左に直角に曲がり、石段の上にドン!と本堂です。西国三十三所観音霊場の中では最大との事です。本堂の手前右手には六角堂、奥には鐘楼と薬師堂。左手には千手堂。千手堂の奥上手には行者堂。繁栄していた事がよくわかります。これだけのお堂がありますが、入れるのが本堂のみなのはちと寂しい。(童男堂と薬師堂と行者堂は其々年1回開扉される)
本堂下陣で参拝してから、拝観料を納めて内陣に入らせて頂きました。
須弥壇真ん中は閉扉された厨子、厨子の左右には眷属の28部衆と風神・雷神の計30躯の仏像で
千手観音をお護りしていますが、残業ながら現在は向かって左側の15躯が修理中でご不在です。裏側に廻りますと北面観音(裏観音)と称する千手観音が祀られています。幕とかがあって見辛いです。(堂外からも小さな窓から見えない事もないが。)このところ3月末~5月初にこの北面観音の特別拝観しています。
また東側の壁には左甚五郎作と伝わる「野荒しの虎」が置かれています。
尚、駐車場は大門の右横を抜けた奥にあります。(有料)
御朱印(軸装納経帳)
大門(山門)
阿形
吽形
不動堂
地蔵堂
羅漢堂
本坊
童男堂
仏足石
出現池
念佛堂
露座仏
太子堂
参道(正面は中門)
手水
中門
地蔵堂
丈六堂
粉河寺庭園
本堂
六角堂
鐘楼
石造地蔵菩薩
薬師堂
千手堂
行者堂
令和2年 / 【GoToで 】和歌山・大阪1泊旅。
2日目。
丹生都比売神社に続いて、2ヶ所目はこちらのお寺です。
西国三十三所・三番目のお寺です。
粉河寺駅から『粉河とんまか通り』を進みます。
(「とんまか」とは紀州三大祭りの一つである粉河祭りの時の
だんじりの運行に合わせた太鼓の音の事だそうです。)
『大門』を通って右方面に進みます。
伽藍配置が変わっているなと思いました。
思っていたよりも広い境内で時間が足りず、小走り参拝になってしまいました。
『粉河寺』ではありませんが、お寺の大門の手前にある神社【大神社(天照皇大神)】(後で調べました。)の
樹齢1000年余の楠木の御神木が立派でした。
次は【紀三井寺】へ向かいます。
『大門』
『中門』
『本堂』
『本堂』
『本堂』
御朱印
【大神社(天照皇大神)】
西国三十三観音第三番札所。ちょうど前夜宿泊した旅館の方が粉河寺の近くの生まれの方で、みんなに愛されているお寺で、とてもきれいなのでぜひ楽しんでお参りしてきて下さい、とお勧めくださいました。地元の方に愛されているお寺は本当に良いものです。
生憎の小雨だったのですが、これはこれでしっとりとした風情で、桜の花もさいており、ゆっくりお参りさせて頂きました。まだ早朝だったので参拝者も少なく、本堂まできちんどお経を上げさせていただき、納経印を頂くことができました。
その後、拝観料をお支払いして内陣の拝観もさせて頂きましたが、天部衆の像や左甚五郎作といわれる虎など、非常に見ごたえがありました。
大門
不動堂と桜
阿弥陀如来坐像
手水
中門
石庭
本堂
本堂
本堂
散華
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