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虎ノ門金刀比羅宮の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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御朱印帳 | |||
電話番号 | 03-3501-9355 |
東京都のおすすめ2選🌸
最新の御朱印・御朱印帳の投稿
駐車場はないようです。
思いのほか立派な神社でした。
神社では珍しく御朱印の初穂料はお気持ちでした。
御朱印付きの御朱印帳が1200円でした。
(御朱印第653号)
直書き
宝珠院様から前回のリベンジ参拝で日枝神社様へ行く途中にビル(琴平タワー)の吹き抜けに見えた鳥居⛩️
なんだろうと行ってみたらビルを抜けた所に金刀比羅宮様がありました😊
お参りして御朱印もいただきました😆
【虎ノ門 金刀比羅宮】
当宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝•三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。
当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。
ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣•殖産興業•招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。
ー虎ノ門 金刀比羅宮HPよりー
琴平タワーの吹き抜け部分にある正面鳥居⛩️
☆社号碑☆
☆手水舎☆
☆神楽殿☆
毎月10日には里神楽が奉納されます。奉納される時間は11時、12時、14時、15時、16時です。
1月、10月を除いた十日が日曜•祝日の場合はありません。
又、天候や人出等により当日変更•中止される場合もあります。
☆銅鳥居⛩️☆
文政四年(1821年)に奉納された明神型鳥居で、左右の柱上部には四神の彫刻が施されており大変珍しいものです。四神とは四方の守護神であり、東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武が守る霊鳥霊獣です。
平成十三年(2001年)に港区指定有形文化財•建造物として指定されました。
☆御拝殿☆
先の戦災により焼失してしまいましたが、昭和二十六年(1951年)に拝殿と幣殿が再建されました。
ともに総尾州檜造り、銅板葺きの権現造りです。日本最初の建築史家、伊東忠太氏の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられています。平成十三年(2001年)に東京都選定歴史的建造物に指定されました。
尚、幣殿の奥に位置する本殿は昭和五十八年(1983年)に再建されました。
【御祭神】 大物主神
大国主神と少名彦神が国造りの際、事を為す前に少名彦神が海の彼方の常世の国に渡ってしまい大国主神が嘆いていたところ、遠い沖合いから海原を照らして光り輝きながら近寄ってきた、その神様が大物主神です。大和の三諸山(三輪山)にお祀りされた神様で、後に 和光同塵わこうどうじんの御神意をもって讃岐国の金刀比羅宮(本宮)に顕現されました。『日本書紀』では大国主神の異称として、『古事記』では大国主神の和魂にぎみたまとして記されています。
崇徳天皇は鳥羽天皇の皇子で、保安四年(1123年)に第75代の天皇として即位され、永治元年(1141年)に上皇となられました。
保元元年(1156年)の保元の乱の厄により讃岐国へ遷られ、その後も讃岐国で過ごされた崇徳天皇は、象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮(本宮)を日夜崇敬なさっていました。長寛二年(1164年)に崩御される前年には参籠し、荒行をなされたと伝えられております。
46歳で崩御された翌年の永万元年(1165年)、その不遇な生涯と崇敬の篤さを偲び、金刀比羅宮(本宮)の相殿にお祀りされることとなりました。
☆参集殿☆
☆喜代住稲荷神社☆
☆結神社☆
本殿向って右側にある二つの小さなお社。その左側が『 結神社むすびじんじゃ』です。その縁起は定かではありませんが、江戸時代、良縁を求める多くの女性により厚い信仰を集めていました。『新撰東京名所図会』にも当時の華々しい一面が記されています。
その頃、良縁祈願に訪れた女性たちは、この結神社の前で自らの黒髪を一部切り取り、或いは折り紙を持参し、社殿の格子や周りの木々にそれらを結わい付け良縁を願い、成就させました。
☆手水舎☆
裏鳥居側の手水舎
☆裏鳥居⛩️☆
虎ノ門金刀比羅宮の御朱印・御朱印帳の写真一覧(201枚)
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