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楽しみ方靖國神社のお参りの記録一覧(26ページ目)

靖國神社は、千代田区九段下にある神社。旧社格は別格官幣社、勅祭社。
明治天皇の意向で1869年に建てられた東京招魂社が起源。1879年に靖國神社と改称。明治維新に貢献した幕末の志士から、大東亜戦争で亡くなった人々まで、「祖国を守るという公務に起因して亡くなった方々の神霊」という基準で、日本国家のために殉難した246万6千余柱の英霊を祀る。
当社は、皇居の北西すぐの場所にあり、地下鉄九段下駅から0.6km、JR地下鉄・市ヶ谷駅から0.8kmの靖国通り沿いにある。
参拝時は平日の午後であったが、平日の割には多くの人が参拝に来ていた。

九段下から境内に入ると、最初に現れるのが<第一鳥居(大鳥居)>。

狛犬(左)。台座は高くサイズは大きい。

狛犬(右)。威厳がある感じ。

大鳥居をくぐって右手には、様々な慰霊碑とともに47個の<さくら陶板>が並んでいる。これは2019年に創建150年を記念して、御祭神(全国の英霊)の故郷の土を使って、各都道府県の陶工が制作・奉納したもの。写真は左から神奈川県、東京都、千葉県のさくら陶板。

しばらく歩くと高くそびえる<大村益次郎像>。近代日本陸軍の創設者で靖国神社の創建に尽力した人物。1893年に日本初の西洋式銅像として建てられた。

境内に1本だけ車道が通っていて、タクシーなどクルマが行き交う。写真の右手では大木の手入れに大型重機が入っていた。

1887年建立の<第二鳥居>。青銅製の鳥居としては日本一の大きさ。大阪砲兵工廠にて制作。

第二鳥居をくぐって左手にある巨大な<大手水舎>。1940年に在米日本人から奉納されたもの。花崗岩製で、重量は18トン以上。

神域の入口にある<神門>。1934年建立。

神門をくぐる。中央扉の菊花紋章は直径が1.5mある。

まず先に社殿に向かう。社殿の前に<中門鳥居>。2006年に埼玉県産檜材を使用し建替え。かつては門扉があったとのこと。

美しい拝殿。1901年建立。

拝殿正面。白地に菊花の紋章の神社幕。

社殿の右側にある<参集殿>。1階の左手が<朱印所>。御朱印はこちら。

朱印所から社殿を望む。拝殿の裏に本殿の屋根が見える。

中門鳥居を出ると、左手には<斎館・社務所>。

神門近くにある<能楽堂>。もともと1881年に東京・芝公園に建てられたものを1903年に奉納・移築。

気象庁が定める東京地方の桜の開花の標準木となっている桜の木。能楽堂、神門の近くに立っている。

1882年竣工開館の<遊就館>。靖國神社に鎮まる英霊の遺書や遺品などを収蔵・展示。

境内の最奥角には<相撲場>があり、その隣にある<啓照館>。もともとは1938年造営の、相撲場脇の力士控室である支度部屋。2010年に改築され、支度部屋兼多目的施設。

境内の最奥にある<神池庭園>。明治の初めに造られた回遊式庭園。

奥に見える平屋の建物は、茶室<靖泉亭>。

第二鳥居付近にある<さざれ石>。

境内中央部にある<外苑休憩所>。食事もできる。当日のランチはここ。

境内中央部、駐車場付近にある<ザ・昭和の売店>。

第一鳥居(大鳥居)側入口の、靖国通りを挟んで反対側に建つ<高燈籠(常燈明台)>。1871年竣工で、かつては品川沖の船舶にとって航海の目印となっていた。九段坂の改修工事で現在位置に移転。

全国の招魂社が戦後創立、大村益次郎氏が東京に創立を散策し現在地へ尽力。
英霊246万6千余柱を祀り、今も特殊な存在であります。
境内にある就遊館(博物館)にて、日本国の戦争の歴史を学ぶことができ、平和の大切さを改めて感じれました。
御朱印は社務所にていただきました。

中門鳥居と社殿

日本一の大鳥居

青銅の第二鳥居と神門

能楽堂

神池庭園

表参道の大村益次郎の銅像
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