あかさかひかわじんじゃ
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赤坂氷川神社の御朱印・御朱印帳
限定御朱印の書き込み
さくら参りの御朱印など、季節の御朱印がカワイイ! | |||
限定 | |||
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御朱印帳 | |||
参拝時間 | 授与所:9:00~17:30 | ||
電話番号 | 03-3583-1935 | ||
巡礼 | 東京十社 |
御朱印・御朱印帳の詳細情報
御朱印
このほか、行事や神事にあわせてカラフルな特別御朱印が頒布されます。
御朱印帳
授与場所・時間
御朱印・御朱印帳ともに、拝殿の右手前にある社務所でお受けできます。
御朱印の受付時間は9時~17時。
詳しくは公式サイトをご確認ください。
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氷川神社様専用の御城印帳を作ったのでお参りに行って来ました😊
【赤坂氷川神社】
氷川の名称の由来は、出雲国 簸川(現在の島根県斐伊川)にあるとされ、簸川の上流は御祭神 素盞嗚尊の「八岐大蛇退治」の舞台と伝えられております。
当社の創祀は、天暦5年(951年)東国を遊行していた蓮林僧正が一ツ木村(現在の赤坂4丁目付近)で一夜を明かすと夢中で御祭神のお告げがあり、この地に氷川明神の社殿を建てお祀りをしたことにはじまります。これより凡そ100年後の治暦2年(1066年)の夏、関東一円に大きな旱魃があり、苦しむ村人たちが社に雨乞いの祈願をするとたちまち雨が降りはじめ、その雨量は川ができるほどであったようです。以来よく神事が執り行われるようになります。
江戸中期の享保元年(1716年)、紀州徳川家の吉宗公が8代将軍職を継ぐにあたり、紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから、氷川明神への幕府の尊信は高まりました。
同14年(1729年)、吉宗公は老中水野忠之を総責任者に命じて現在地に社殿を造営しました。翌15年(1730年)4月26日に一ツ木村から現在地への遷座が行われ、28日には吉宗公直々のご参拝がありました。
以後14代将軍家茂公までの歴代将軍の朱印状が下付され、「厄除」「縁結び」の鎮守神としてより一層ご神徳を高められました。
明治元年、明治天皇より新しい首都東京の鎮護と万民の安泰を祈る「准勅祭社」に定められ、現在では「東京十社」の一社に数えられております。
御社殿は、安政の大地震、関東大震災、昭和20年(1945年)の東京大空襲など数々の災禍を奇跡的に免れ、創建当時の姿を現代に伝えており、昭和51年(1976年)に東京都の有形文化財(建築物)に指定をされております。また、豊かな緑に囲まれた境内には、江戸の年号が刻まれた石碑と灯籠、7対の狛犬など歴史を感じさせる遺産が数多く点在しています。
ー赤坂氷川神社HPよりー
☆社号標☆
☆一の鳥居⛩️(南側)☆
境内には南側の参道と東側の参道にそれぞれ2基ずつ鳥居があります。このうち、一の鳥居(南側)には「大正十一壬戌年九月」「麻布 芝 氏子中」と記されており、麻布•芝周辺まで信仰が及んでいたことを物語っています。また一の鳥居には「御即位記念 寄附 苗村又右衛門」の銘があり、大正4年(1915年)11月の大正天皇即位の礼に合わせて、氏子惣代の苗村又右衛門から奉納されたことがわかります。
☆狛犬様その1☆
☆三の鳥居⛩️☆
☆手水舎☆
☆楼門(中門)前の狛犬様その2☆
境内には7対もの狛犬があり、赤坂氷川神社はまさに狛犬の宝庫と呼ぶことができます。それらの多くが祭礼や式典に合わせて奉納されたものであり、中門両脇の狛犬は、現在地に御社殿が建立されるより前の延宝3年(1675年)6月建立の銘があり、都内神社に現存する石造狛犬の中では最も古いものとされます。
☆石灯籠(港区有形文化財)☆
境内には石製の台灯籠が合わせて7対奉納されています。中門前に安置される灯籠は、遷座を担当していた老中 水野忠之が御社殿完成を記念して奉納したもので、港区登録有形文化財に指定されています。
☆楼門(中門)☆
☆御社殿(東京都有形文化財)☆
享保15年(1730年)に徳川八代将軍吉宗公の命より建立されました。当時は幕府による倹約政策が進められていたため、社殿には質実かつ簡素な気風が表れています。ただ、将軍の寄進だけあって、大きな雲形組物や吹寄せ垂木など重厚な意匠を取り入れる工夫もなされています。数多くの戦災•震災を免れ、建立当時の姿を現代に伝えており、昭和51年(1976年)に東京都の有形文化財(建築物)に指定されています。
【御祭神】
素盞嗚尊
奇稲田姫命
大己貴命
御社殿内に掲げられる社号額は、有栖川宮幟仁親王(1812年~1886年)により揮毫されました。
見ることができませんでしたが、御社殿の天井絵は、遷座200年を記念して長華崖(ちょうかがい)により花鳥図が描かれています。
☆山口稲荷☆
終戦後、赤坂3丁目にあった山口邸から遷された神社です。鳥居には享保3年(1718年)銘があり、向かって右側の水盤には文化10年(1813年)、左側の水盤には嘉永4年(1851年)、狛犬の台座には文政8年(1825年)の文字が刻まれていています。
☆山口稲荷の狛犬様その3☆
☆九神社☆
かつて境内の各所に鎮座していた天祖神社•春日神社•鹿島神社•八幡神社•諏訪神社•秋葉神社•厳島神社•金刀比羅神社•塞神社(さいじんじゃ)の9社を合祀した神社です。それぞれの神社への遥拝所として役割がありました。戦前は仲ノ町小学校(現在の赤坂小学校)に鎮座していましたが、戦後に赤坂氷川神社境内に遷座されました。
☆山車展示場☆
全国的にも貴重な「江戸型山車」を展示しています。山車はかつて「江戸の祭の華」といわれ、江戸から東京の著名な神社の多くの祭礼に曳き出されました。時代とともにその姿を消してゆくことになりましたが、この地域には奇跡的に山車の一部と、山車人形9体が遺されていました。江戸の華やかな祭文化を伝える山車を間近で見ることができます😊
赤坂氷川神社山車『日本武尊』
☆二の鳥居⛩️☆
☆二の鳥居のそばの狛犬様その4☆
☆二の鳥居から階段を降りたところにいらっしゃる狛犬様その5☆
☆四合稲荷(しあわせいなり)の鳥居⛩️☆
明治31年(1898年)に当社の近くに鎮座していた古呂故稲荷(ころこいなり)•地頭稲荷•本氷川稲荷•玉川稲荷の4社を合祀したことに由来します。その際、幕末の志士 勝海舟により「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ、四合稲荷(しあわせいなり)と名付けられました。その後、大正14年(1925年)に鈴降稲荷と縁起稲荷を合祀し、さらに昭和9年(1934年)に明徳稲荷を合祀しています。
【御祭神】
宇迦之御魂神
☆四合稲荷のお狐様🦊☆
☆西行稲荷社の鳥居⛩️☆
文政8年~11年(1825年~1828年)に調査された『町方書上』によると、もともとは赤坂田町4 丁目に鎮座していたようです。同5丁目に住んでいた西行五兵衛という男が、甲冑を身にまとい、弓矢を携えて狐に乗った姿の鉄の像を拾い、御神体として安置したことが創建の由来と伝えられ、「火伏の稲荷」として信仰されてきました。
☆西行稲荷社の狛犬様その6☆
☆西行稲荷社のお狐様🦊☆
☆太鼓橋☆
太鼓橋を進むと石碑がたくさんあります
☆氷川坂側の一の鳥居⛩️☆
☆氷川坂側の鳥居のそばの狛犬様その7☆
通年御朱印(赤坂氷川神社)
通年御朱印(四合稲荷)
季節の限定御朱印 『さくら参り』
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