御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

だいきょうじ(しばまたたいしゃくてん)|日蓮宗経栄山

題経寺(柴又帝釈天)のお参りの記録一覧
東京都 柴又駅

4 / 10ページ76〜100件241件中
かおり
かおり
2023年08月31日(木)1801投稿

柴又帝釈天と言うと、昭和生まれの人間は山田洋二監督の名作「男はつらいよ」を思い浮かべるのではないだろうか。

“私生まれも育ちも葛飾柴又です 帝釈天で産湯を使い 姓は車 名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します”

参道は山田洋二監督の世界そのものだった。

 帝釈天はインド最古の聖典である『リグ・ヴェーダ』の中で最も多くの賛歌を捧げられている軍神・武勇神インドラと呼ばれる重要な神さまです。漢字に音写して釈提桓因(シャクダイカンニン)」と呼ばれて梵天と共に護法の善神とされています。帝釈天は須弥山の頂上の喜見城に住んでいて、忉利天に住む神々の統率者です。しかも正法を護持し、仏の教えを聞いて、柔和にして慈悲に富み、真実を語り、正法に従う正しい神さまです。しかし仏陀の教えを聞くまでは、諸天を糾合して阿修羅と戦っていた荒々しい神でもありました。帝釈天は三十三天(忉利天)の主であると同時に四天王を統率し、人間界をも監視します。即ち衆生が殺生、盗み、妄語等を為さないか、父母に孝順であるか、師長を尊敬するか、貧しい人に施しをするかどうか、毎月八日、二三日には人間界に使者を遣わし、一四日、二九日には王子を遣わし、一五日、三〇日には四天王が自ら姿を変えて人間界を巡歴し、衆生の善悪の事を監察するといわれています。従って人々はこれらの日を六斎日といって行いをつつしむのです。(お寺のパンフレットより)

緑の多い下町の中、本当に23区なのだろうか?ここだけ伐採女王の支配から逃れているような緑多い中は涼しかった。

日本では、人間の罪の報告を聴くのは天帝ではなく、帝釈天や書面金剛であると考えられた。だから、帝釈天の板本尊が発見されたのが庚申の日だったのは非常に意味があった。そして、題経寺再興を目指す日敬上人が、衆生救済の為に板本尊を背負って町中を歩き、布教したこともあいまって、柴又帝釈天は、庚申信仰の対象として広く知られるようになった。
もう1つ、江戸町民の間に帝釈天信仰が爆発的に広がった要因に、たびたびの災禍がある。板本尊が発見されて間もない頃、江戸は大洪水や大火などの災害に見舞われた。更に天明3年(1783年)には浅間山が大噴火を起こし、続いて大飢饉が起こった。
日敬上人が板本尊を背負って歩いたのはこの時で、本尊は病除けに霊験があるとされると説いたのである。こうして帝釈天信仰と庚申信仰が結びつき、多くの江戸町民が柴又の帝釈天を参拝するようになっていく。(五木寛之先生の著書より)

実は、本堂の奥に有力での彫刻ギャラリーがあったのだ。五木寛之先生の本でも紹介されていたが、暑いのと早く帰りたいのとで観ないでいてしまった。
そして、数日経ってから後悔している。

もっと読む

東京都のおすすめ🎌

広告
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ