浄土宗
回向院
東京都 南千住駅
回向院(えこういん)は、荒川区南千住にある浄土宗の寺院。山号は豊国山(ほうこくさん)。本尊は阿弥陀如来。かつては両国の回向院の別院。小塚原回向院ともいう。
江戸前期の1667年で、小塚原刑場での死者を供養するために本所(両国)回向院の住職・弟誉義観(ていよぎかん)が常行堂を創建したことに始まる。江戸後期の1771年に蘭学者の杉田玄白らが『解体新書』を記すにあたり、小塚原での刑死者の解剖に立ち会ったことから現在でも医学界との繋がりがある。また江戸末期の<安政の大獄>で刑死した橋本左内、吉田松陰などが葬られている。明治期に常磐線の敷設に伴い、境内が南北に分割され、南側は<延命寺>という別の寺院となった。
当寺は、JR常磐線・南千住駅から徒歩1分の、線路の北側にある。建物は近代的なビルになっていて、1階が寺務所。それ以外の敷地はほぼ墓地。
参拝時は週末の午後で、自分以外には参拝者はいなかった。自分も御朱印本に記載されていた<延命寺>を目指して来たが、まさか<延命寺>が線路の間にあるとは思わなかった。<回向院>では、御朱印対応は平日のみ、土日祝日は午後のみ書置きのみとのこと。
寺院外観。
寺院入口。
吉田松陰の墓。
橋本左内(景岳)の墓。
橋本左内の碑。
建物に入ってすぐ左手にある<寺務所>。御朱印はこちら。
江戸時代、小塚原刑場があった場所です。杉田玄白、前野良沢らが刑死した罪人の遺体の解剖(腑分け)をこの地で見学し、「解体新書」の翻訳を決心したことにちなんだ顕彰碑「観臓記念碑」が残っています。安政の大獄では、吉田松陰、橋下佐内らがここで刑死しています。
そうした史跡とともに、「吉展地蔵尊(よしのぶじぞうそん)」と案内されたお地蔵さまもありました。1963年の誘拐殺人事件で犠牲になった男の子を供養するために作られたそうです。
※ウイキペディア「吉展ちゃん誘拐殺人事件」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B1%95%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E8%AA%98%E6%8B%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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