じょうかんじ|浄土宗|榮法山
浄閑寺東京都 三ノ輪橋駅
閉門時間
12月〜2月 16:30
3月〜11月 17:00
吉原遊廓の遊女が亡くなると投げ込まれた由来から、投げ込み寺と呼ばれている浄土宗のお寺。江戸の時代からの遊女ニ万五千体がこちらで葬られ、新吉原総霊塔には、髪飾りなどがお供えされていました。
本日の参拝コース
長國寺ー鷲神社ー吉原神社ー吉原弁財天ー浄閑寺
遊女の姿の御朱印です。
荒川区で最古の木造の門です。
新吉原総霊塔です。投げ込まれた遊女たちの供養塔です。
生まれては苦界、死しては浄閑寺
永井荷風の筆塚。荷風の歯と愛用の筆が納められています。
永井荷風の文学碑。
江戸からの多くの史蹟があります。
門の脇のお地蔵様。
浄土宗の寺院で、明暦元年(1655)の開創で寛保2年(1742)に山門等が建立されました。
新吉原の遊女らの供養を行ってきた寺として知られています。安政2年(1855)の大地震で犠牲となった新吉原の遊女たちの遺体が投げ込み同様に葬られたことから、通称「投込寺」とも呼ばれています。「新吉原総霊塔」が慰霊のために建てられました。そこには、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と刻まれた花又花酔の句がはめ込まれています。
小説家の永井荷風は、遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、たびたびこの寺を訪問していました。荷風の筆塚と詩碑はその縁で建てられました。毎年、4月30日に荷風忌が行われます。
住所 | 東京都荒川区南千住2-1-12 |
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行き方 | 東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅北口(徒歩1分)
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名称 | 浄閑寺 |
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読み方 | じょうかんじ |
通称 | 投込寺 |
参拝時間 | 閉門時間
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 03-3801-6870 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@jyokanji.com |
ホームページ | http://jyokanji.com/ |
ご本尊 | 阿弥陀如来(恵心僧都御作と伝えられる本尊は、昭和59年の本堂消失に伴い全身黒焦げになり京都仏師により体内物とし新たにその姿を復元されました) |
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山号 | 榮法山 |
院号 | 清光院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 1655年(明暦元年) |
開山・開基 | 開山 晴誉 |
文化財 | ・浄閑寺過去帳[区指定]
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ご由緒 | 浄土宗の寺院で、明暦元年(1655)の開創で寛保2年(1742)に山門等が建立されました。
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体験 | 御朱印祭り |
概要 | 浄閑寺(じょうかんじ)は東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院。山号は栄法山。吉原遊廓の近くにあり、遊女の投げ込み寺としても知られる。 地名の三ノ輪から「三ノ輪の浄閑寺」と称されることも多い。 |
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歴史 | 歴史[編集] 1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早い。寺の公式サイトによると、同寺が投込寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込むように葬られたことによる[1]。 明治から昭和時代の川柳作家である花又花酔の句「生れては苦界 死しては浄閑寺」でも知られる[1]。 「病気などで死んだ遊女は吉原遊廓の場合、浄閑寺に『~売女』という戒名で文字通り投げ込まれた」という説もある[誰によって?]が、それを裏付ける資料は古文書には一切なく、「売女」の戒名は「心中」「枕荒らし」「起請文乱発」「足抜け」「廓内での密通」「阿片喫引...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 日比谷線三ノ輪駅より徒歩約2分(経路案内)。 東京さくらトラム三ノ輪橋停留場より徒歩約4分(経路案内)。 南千住駅より徒歩約10分(経路案内)。 |
行事 | 行事[編集] 荷風忌 - 4月30日[1] ^ 公式サイト. |
引用元情報 | 「浄閑寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B5%84%E9%96%91%E5%AF%BA&oldid=102355587 |
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