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じょうかんじ|浄土宗榮法山

浄閑寺の御由緒・歴史
東京都 三ノ輪橋駅

ご本尊阿弥陀如来(恵心僧都御作と伝えられる本尊は、昭和59年の本堂消失に伴い全身黒焦げになり京都仏師により体内物とし新たにその姿を復元されました)
創建時代1655年(明暦元年)
開山・開基開山 晴誉
ご由緒

浄土宗の寺院で、明暦元年(1655)の開創で寛保2年(1742)に山門等が建立されました。
新吉原の遊女らの供養を行ってきた寺として知られています。安政2年(1855)の大地震で犠牲となった新吉原の遊女たちの遺体が投げ込み同様に葬られたことから、通称「投込寺」とも呼ばれています。「新吉原総霊塔」が慰霊のために建てられました。そこには、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と刻まれた花又花酔の句がはめ込まれています。
小説家の永井荷風は、遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、たびたびこの寺を訪問していました。荷風の筆塚と詩碑はその縁で建てられました。毎年、4月30日に荷風忌が行われます。

歴史
歴史[編集] 1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早い。寺の公式サイトによると、同寺が投込寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込んで葬ったことによる[1]。 明治から昭和時代の川柳作家である花又花酔の句「生れては苦界 死しては浄閑寺」でも知られる[1]。 「病気などで死んだ遊女は吉原遊廓の場合、浄閑寺に『~売女』という戒名で文字通り投げ込まれた」という説もある[誰によって?]が、それを裏付ける資料は古文書には一切なく、「売女」の戒名は「心中」「枕荒らし」「起請文乱発」「足抜け」「廓内での密通」「阿片喫引」など...Wikipediaで続きを読む
引用元情報浄閑寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B5%84%E9%96%91%E5%AF%BA&oldid=98171309

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