おうじじんじゃ
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楽しみ方王子神社のお参りの記録一覧(9ページ目)

かなり近場なのですが、これまで足を運んだことがなく今回行ってみました。
東京10社の1つでもある王子神社ですが、 紀州(熊野)ゆかりの神社であり、江戸時代には8第吉宗も紀州由来の神社が江戸の地にあることや王子神が祀られていることを喜ばれたとか。
思えば、確かに王子辺りの地名・道路名には今の和歌山県に関連するような地名が多く散見されるので、新たな気づきでした。
あとは隣に髪の毛の神様が祀られた関神社もあるので、忘れずに是非。
成人式の日だったので、晴れ着を来た新成人が神社をバックに写真を撮ったり、お参りをされてました。良い門出になることをお祈りしております。


天赦日東京10社巡り5軒目王子神社
王子神社は中世に熊野信仰の拠点となった神社です。王子村は古くは岸村といいましたが、紀州熊野三所若一王子が勧請され、王子村と改められました。
非常に高い格式を持つ神社で、最盛期には飛鳥山も支配地としていました。
北区指定無形民俗文化財民俗芸能「王子田楽」を奉納する8月の祭礼や、12月の熊手市などの風物詩をはじめ、天然記念物として東京都指定文化財となった大イチョウ、理容業界の神様とされる関神社と毛塚があります。
この大イチョウは大正13年の実測によると目通り幹囲は6.36m、高さは19.69mだったそうです。都天然記念物には昭和14年3月に指定されました。
「関神社」は関蝉丸神社の御神徳を敬仰する人たちが「かもじ(髪を結う時自分の髪に添え加える毛)業者」を中心として、江戸時代に王子神社境内に奉斎したことを創始としています。













東京十社自転車めぐり~①王子神社~
今回は運動もかねてサイクリングで十社巡りをおこないました。
東京十社は皇居を囲むように位置しており、
周回ルートで約40kmほどの道のりになります。
そのため電車や自転車を駆使することで、
頑張れば一日で巡ることができます。
浅草や東京タワーといった東京の名所を通るため、
東京観光をあわせてできるのもうれしいです。
一社目の王子神社は十社のうち最北の離れたところにあります。
今回はここから時計回りに十社結願をめざします。
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東京十社とは「元准勅祭社」にあった十社の総称で、
①王子神社②白山神社③根津神社④神田神社⑤亀戸天神社
⑥富岡八幡宮⑦芝大神宮⑧品川神社⑨赤坂氷川神社⑩日枝神社
の各社になります。
いずれも都内ではエース級の規模を誇る有力社です。
准勅祭社とは1868年に東京鎮護を願って定められた十二社で、
明治天皇からの幣帛もあったほど重要視されていました。
(十二社は東京十社に六所神社・鷲宮神社の二社を加える)
ただ当時の社格でいうと十二社中に式内社はなく、
また官国幣社もないということになります。
(その後1882年に日枝神社が官幣社に指定)
「准」とつくのは、勅祭社はそれはそれで制定しており、
それに併せて指定された経緯があるようです。
ただ准勅祭社の制度は早くも1870年には廃止になってしまいました。
その後1975年に昭和天皇の即位50年を記念して十社巡礼が企画され、
今では観光的な意味合いで広く知られるにいたっています。
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御朱印。元准勅祭社のしるしがあります。

明神鳥居と社号標。

御由緒書き。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命。

参道。

拝殿。王子権現とも呼ばれるように、権現造の社殿です。

拝殿からは大きな向拝が伸びています。向拝柱は白く塗られ、足元には金色の装飾がなされているのが印象的です。

狛犬。

境内には神社所有の御神輿が飾られていました。非常に豪華な造りです。

東京十社めぐりの案内板がありました。このあと残る9社にも参拝めざします。

元准勅裁社の熊野信仰担当です。近くに王子駅もあり、まさしく町の中心にある神社といった感じですね。

《鳥居と社号碑》
社号碑は准勅裁社の中じゃ一二を争う大きさな気がします。

《由緒書き》
熊野権現の系統ですが、熊野三山からではなく熊野九十九王子の一つ"浜王子"からの勧請されてます。

《手水舎》

《神輿》
煌めいてやがる

《拝殿》
旧社格は郷社なんですが、拝殿が明らかにデカいです。一度焼けて再建されましたし、豪華になったんでしょうか。

《本殿》
☆チェックポイント!!
本殿の建築様式は権現造で、大体社格の高い神社はこの形式のが多いので、社格以上の信仰があったと思われます。そりゃ准勅裁社だもん。

《関神社》
髪の毛に関する神社です。ハゲませんように…(切実)

《案内板》

王子神社は、北区王子本町にある神社。旧社格は郷社。准勅祭社。東京十社の1社。旧称は「王子権現」。北区王子の地名は当社に由来する。
創建は鎌倉時代末期の1322年、当地領主・豊島氏が熊野方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、「若一王子宮」として祀ったのが始まり。豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏も寄進をした。
江戸時代には、徳川家康が社領200石を寄進、徳川家光は社殿を新造し、林羅山に命じ「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせ奉納、五代綱吉、十代家治、十一代家斉も社殿の造営・修繕し保護した。
明治時代に近代社格制度で郷社に列するとともに、準勅祭社に指定された。1945年に米軍の東京大空襲により社殿を焼失、1964年、1982年に社殿を再建。戦後、東京十社の1社となった。
当社は、JR京浜東北線・王子駅の北西方向200mの位置にある。音無親水公園と接していて、飛鳥山公園とつながる、都内でも緑豊かな場所にある。境内は大通りから少し入ったロケーションで緑が多く、敷地は旧郷社格相当でそれなりに大きい。
コロナ禍による緊急事態宣言下であったため、人出が少なそうな都内の神社の一つとして当社にバイクで参拝。参拝時は週末の午後、参拝者や地元風の人がぱらぱらと来ていた。

大通りから見た<鳥居>と<社号標>。燈籠と社号標が境内から離れているのが変わっている。

境内入口の<鳥居>。敷地サイズと比べるとかなり大きい。

鳥居をくぐる。樹木が大事にされていて、緑が豊かな境内。

参道右手にある<手水舎>。

参道左手にある<神輿庫>。現代建築のガラス張りで、神輿をいつでも目で楽しめる。

参道を進む。コロナの緊急事態宣言下でも、<三密>にはならない神社参拝は人気。

社殿全景。緑の杜に、銅板葺の緑の屋根がマッチしている。

拝殿正面。柱や梁、彫刻などの配色がきれい。

拝殿向かって左手にある境内社<関神社>。主祭神は小倉百人一首にも出てくる<蝉丸公>、その姉の<逆髪姫>、侍女の<古屋美女>。

蝉丸は、髪で悩む姉・逆髪姫のために、侍女の古屋美女に命じて<かつら>を考案したことから、「髪の神様」、「音曲諸芸道の神」として崇敬を集めてきた。1945年に焼失し、1959年に全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の浄財により再建した。
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