おうじじんじゃ
王子神社のお参りの記録一覧
keithです。 ご無沙汰してます。 かなり久々の投稿です💦
8日金曜日から東京に来ております。 王子でコンサート🎵がありそれを観に上京しました。
東京在住のファン友さんがコンサートの前後で王子を案内してくれました。
境内は七五三の参拝のご家族がチラホラ。
直書きです。
正面鳥居⛩️ 扁額はありません(次の神社にも無かったのでこの辺りにはないのかなぁ?)
由来
御社殿
関神社 王子神社の末社で髪の毛の神様
髪にまつわる神社の由来書きなので濃いく書き直した方が良いかも。 それかみなさんがたくさん祈願したので薄くなったかなぁ?
毛塚
続いてちょっと急ぎめに近場の…
東京十社の1つ、個人的では9社目。
⛩️ 北区 王子 "王子神社"
明治通りから旧岩槻街道に入るとスグ
右側に一ノ鳥居。境内Pは15台だそー。
王子駅から徒歩3分都電王子駅前から
5分。
こちらも裏に線路があるとは思えない
静かで落ち着くlol更に十社だけあって
立派な参道や社殿があって雰囲気も
ある。お詣りに来る人も絶えない。
参拝して社務所へ向かうと御守りやお札等
の授与品が豊富。御朱印は1種類のみ。
達筆で素敵な御朱印を頂きましたぁ。
因みにお納めはお気持ち次第でした。
前々から行きたいトコだったのでやっと
来れた感がありましたっ。東京十社は
後1社だlol
雰囲気のある参道 社殿と通年の御朱印
一ノ鳥居
東京メトロ南北線 猫御朱印巡り😺 寄り道編①
三社目は寄り道をして王子神社様へお参りに行って来ました😊
【王子神社】
創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます。それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれています。
戦国時代、当地の領主となった小田原北条氏も当社を篤く崇敬し、朱印状を寄せて社領を安堵しております。
徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。二百石は当時としては広大な社領で、それより代々将軍の崇敬篤く、「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。
三代家光公は寛永11年(1634年)、新たに社殿を造営、林羅山に命じて縁起絵巻「若一王子縁起」三巻を作らせて当社に寄進しました。その後も五代綱吉公が元禄16年(1703年)、十代家治公が天明2年(1782年)、十一代家斉公が文政3年(1820年)と造営修繕された社殿は秀麗な権現造りで、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も17社を数えていました。
特に八代吉宗公は紀州徳川家の出自で、この地に紀州ゆかりの当社があることを大いに喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。これが今に残る花の飛鳥山(現 飛鳥山公園)の基となったもので、現在も桜の季節には多くの花見客で賑わっています。
明治元年、明治天皇は新たに首都となった東京を守護し、万民の安寧を祈るため、准勅祭社を定めました。当社もこの東京十社に選ばれ、以来、東京の北方守護として鎮座しております。
戦前は「太田道灌雨宿りの椎」と伝えられる巨木を始め、多くの樹木が茂り、勝海舟の修行話も伝えられております。戦災でほとんどを焼失致しましたが、1本だけ奇跡的にイチョウの木が生き残りました。樹齢600年とも伝えられるこの大イチョウは、東京都の天然記念物にも指定されております。
戦後は氏子一同、復興に努め、昭和39年の第一期、昭和57年の第二期造営を経て、黒塗りと金箔をほどこした壮大な権現造りとして社殿を再建、境内を整えて現在の景観となっております。
ー王子神社HPよりー
通年御朱印
☆大鳥居⛩️☆
高さ約8.6mの大きさは、石造りの鳥居としては都内有数のもので、茨城県稲田産の御影石を使っています。戦災で焼失した神門の場所に立てられており、境内神域をお守りしています。
☆手水舎☆
☆狛犬様☆
阿吽の形態とともに「子育て狛犬」として建立されています。社殿向かって右側の狛犬が父親で、子どもをあやす鞠を持っています。向かって左側の狛犬が母親で子どもを守っており、ご夫婦揃って子育ての守護となっています
☆御拝殿☆
【御祭神】
伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命
☆御神輿☆
平成29年に本社神輿が奉納されました。台輪は三尺、屋根は王子神社の姿を模した唐破楓で、重量(相棒含む)約550㎏、胴には当社伝来の田楽舞の彫刻がされています。
☆末社•関神社☆
全国でも珍しい「髪の祖神」。御祭神は百人一首でも有名な蝉丸公で、姉「逆髪姫」のために髢•鬘を作ったという伝説により、髢、鬘や床山業界の方々の信仰厚い神社です。また蝉丸公は琵琶の名手でもあり「音曲諸芸道の祖神」としても崇敬されています。戦災で焼失したものを、髢、鬘、床山、舞踊、演劇などの関係業界の御尽力により、昭和34年に再建されました。境内には毛髪報恩のための毛塚も建立されています。
☆毛塚☆
おまけ
☆北区立音無親水公園☆
王子神社様の横にある公園。
上の歩道には沢山のベンチがあり、ランチをしてたり昼寝をしている人がいたり😊
子供たちが水遊びをしていました😄
東京の神社巡り③
王子神社さん 2度目の参拝になります。
実は前回の参拝時に
境内末社の関神社さんへ行くのを忘れてしまったのを大後悔していました。
関神社さんは髪にまつわるご利益がある、全国にも数少ない神社だそうです。
ここ数年髪の悩みが増えてきているので是非とも!と思い続けてやっと参拝できました😌
今回は表参道からおじゃましました
手水舎
拝殿
また来ることができて嬉しい☺️
そして境内末社の関神社さんへ
駐車場の方にありました。
玉垣には理髪業社やかつらやさんなど髪に関する業者の名前がずらり。
存在感がすごい「毛塚」😳
ご利益ありそう
髪の悩みが無くなるようにしっかりお参りさせていただきました。
帰りは裏手の方から大銀杏を眺めながら。
大きすぎてどうしても全体が写せない😅
また素晴らしい紅葉を見に行きたいな。
夕刻で階段の手すりにライトが灯っていました。
御朱印
東京十社の一つである王子神社様に初めてお参りさせて頂きました!
前日午後から雪が降り、小雨模様だったので他の参拝者がほぼなく、静かにお参り出来ました。
道路から王子神社様の鳥居を撮影しました。
拝殿です
手水舎です
神社様の由来書きです
お神輿を見ることができます
Established during the Kamakura period, most likely around 1321–1324, the shrine gives the name of "Ōji" to this area of the city. Most of the original buildings in the shrine precincts were destroyed during World War II, and were rebuilt from the late 50s to 1982.
It is notable for its giant ginkgo tree,suspected to be 600 years old and designated a Natural Monument in 1939, and for its annual festival (held in August), which includes a mikoshi parade and a performance of dengaku dance.
It is one of the Tokyo Ten Shrines (東京十社, Tokyo Jissha), of which it has been designated as the "northern protector shrine".
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