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こまごめみょうぎじんじゃ

駒込妙義神社
公式東京都 駒込駅

授与所/9:00~16:00(昼休み 12:00~13:00) 休務日/水曜定休日(祝日・辰の日の場合は翌日が振替休務日となります)
参拝/24時間

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
郵送対応
あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

社殿脇に二台まで車が停められます。
ご使用の際はご自身で車止めを動かしてから駐車をお願いいたします。

おすすめの投稿

malice
malice
2024年11月06日(水)
542投稿

奇跡の遭遇、大國神社様から3社目は駒込妙義神社様へ月参りに来ました😊

参拝者の方が誰もおらず、お参りをすませて社務所へ行くと休務日でしたぁ💦
がっかりしていたら、なんと書置きの御朱印が置いてある😻初穂料はお賽銭箱へと書いてあったので、御朱印を持って御拝殿へ行きお賽銭箱に初穂料を納めて拝受しました😺

駒込妙義神社の御朱印

勝軍宮 黒猫御朱印

駒込妙義神社の御朱印

左側 月替り御朱印 11月
右側 透かし御朱印 『歳寒三友』11月•12月

駒込妙義神社の鳥居

☆社号碑と鳥居⛩️☆

駒込妙義神社の手水

☆手水舎☆

駒込妙義神社の手水

お花がとても綺麗です😊

駒込妙義神社の本殿

☆御社殿と社務所☆

駒込妙義神社の末社

☆狛猫様と太田道灌霊社☆

駒込妙義神社の狛犬

☆狛猫様その1☆

駒込妙義神社の狛犬

☆狛猫様その2☆

駒込妙義神社の末社

☆太田道灌霊社☆

駒込妙義神社の像

☆弁財天様☆

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トール
トール
2024年10月04日(金)
334投稿

豊島区最古の神社として伝わっている。御祭神は日本武尊。勝負の神様、戦勝の宮。御朱印は書き入れ御朱印とすかし御朱印頂きました。

駒込妙義神社(東京都)

龍が二匹の手水舎

駒込妙義神社(東京都)

いかにも都会の神社

駒込妙義神社(東京都)
駒込妙義神社(東京都)

こま猫

駒込妙義神社(東京都)

親子こま猫、土台に🐾つき

駒込妙義神社(東京都)
駒込妙義神社(東京都)
駒込妙義神社(東京都)

書き入れ御朱印です

駒込妙義神社(東京都)

すかし御朱印です、こんな御朱印初めて頂きました。

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歴史

当社の祭神は、高御産霊神・日本武尊・神功皇后・応神天皇である。文政11年(1828)に成立した『新編武蔵風土記稿』の記述によれば、日本武尊が東征の時にこの地に陣営をしき、のち白雉2年(651)5月に社を建てて白鳥社と号したという。これによれば、区内最古の神社ということになる。
 くだって文明3年(1471)5月、足利成氏との戦いを前にした太田道灌は当社に参詣し、神馬・宝剣を捧げて戦勝を祈願した。その際、「雲払ふ 此神垣の 風の音」と連歌を詠み、この戦いでは、成氏を敗走させたという。
 続いて道灌は、文明9年の豊島勘解由左衛門との戦いの際、さらに同11年の千葉孝胤攻略の折にも戦勝祈願に当社に参詣したといわれている。こうした故事から、「戦勝(かちいくさ)の宮」とも呼ばれて信仰を集めた。その一方で、大永年間(1521~27)には江戸城代遠山丹波守が、また永禄12年(1569)には守護富永神四郎が当社を修理したものの、天正年間(1573~91)に松田尾張守康秀が社領を没収したのち衰廃するなど、当社にとって戦国時代は波瀾の時期でもあった。
 境内には、寛永19年(1642)11月に駒込村の農民によって建立された庚申塔が遺されており、当該地域の信仰の拠点となっていたことが推察される。

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駒込妙義神社の基本情報

住所東京都豊島区駒込3ー16−16
行き方

JR山手線 駒込駅下車 北口から徒歩5分
東京メトロ南北線 駒込駅下車 4番出口・5番出口から徒歩5分

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名称駒込妙義神社
読み方こまごめみょうぎじんじゃ
通称勝軍宮(かちいくさのみや)
参拝時間

授与所/9:00~16:00(昼休み 12:00~13:00) 休務日/水曜定休日(祝日・辰の日の場合は翌日が振替休務日となります)
参拝/24時間

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

御朱印の郵送対応あり

御朱印帳なし
電話番号03-3917-1938
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスmyogijinjya@gmail.com
ホームページhttps://www.myogi.tokyo/
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり
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詳細情報

ご祭神《主祭神》
 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
《相殿神》
 高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)
 神功皇后(ジングウコウゴウ)
 応神天皇(オウジンテンノウ)
創建時代白雉2年(651)
本殿神明造
ご由緒

当社の祭神は、高御産霊神・日本武尊・神功皇后・応神天皇である。文政11年(1828)に成立した『新編武蔵風土記稿』の記述によれば、日本武尊が東征の時にこの地に陣営をしき、のち白雉2年(651)5月に社を建てて白鳥社と号したという。これによれば、区内最古の神社ということになる。
 くだって文明3年(1471)5月、足利成氏との戦いを前にした太田道灌は当社に参詣し、神馬・宝剣を捧げて戦勝を祈願した。その際、「雲払ふ 此神垣の 風の音」と連歌を詠み、この戦いでは、成氏を敗走させたという。
 続いて道灌は、文明9年の豊島勘解由左衛門との戦いの際、さらに同11年の千葉孝胤攻略の折にも戦勝祈願に当社に参詣したといわれている。こうした故事から、「戦勝(かちいくさ)の宮」とも呼ばれて信仰を集めた。その一方で、大永年間(1521~27)には江戸城代遠山丹波守が、また永禄12年(1569)には守護富永神四郎が当社を修理したものの、天正年間(1573~91)に松田尾張守康秀が社領を没収したのち衰廃するなど、当社にとって戦国時代は波瀾の時期でもあった。
 境内には、寛永19年(1642)11月に駒込村の農民によって建立された庚申塔が遺されており、当該地域の信仰の拠点となっていたことが推察される。

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