えばらじんじゃ
荏原神社のお参りの記録一覧(3ページ目)
力が欲しくて、しみべいは早朝、龍神様のところに行きました。
早すぎたみたいです。開いてない。
鳩と待ちぼうけ。
でも開かないみたいです。しみべいは駅への道を戻りました。
そしてもうすぐ駅というところで、雲の間から太陽が顔を出しました。
あれ?
戻った方がいい気がして、しみべいは龍神様のもとに戻りました。
そうしたら今度は開いていて、しみべいは龍神様の視界に入るところに行きました。
どうか、しみべいに力を貸してください。
龍神様は何も言いませんでしたが、しみべいを送り出してくれました。
品川区巡りで初めてお詣りさせていただきました。御朱印も書き置きでしたが丁寧に対応していただきました。
目黒川を渡る鎮座橋です。
朱色の橋が目立ちます。
石碑です
鳥居の前に鎮座していた恵比寿様です
鳥居です
手水舎です
本殿です
社務所は右手になります。
荏原神社(えばら~)は、東京都品川区にある神社。旧社格は郷社。祭神は、豊受姫之神、天照皇大神、須佐之男尊、高龗神(たかおかみのかみ)、手力雄之尊の5柱。別名は「天王社」、「貴布禰大明神」。
創建は、飛鳥時代の709年、大和国丹生川上神社より高龗神(水神)を勧請して現南品川に創建。平安時代後期1029年には、伊勢神宮より豊受大神、天照大神を勧請。1062年に源頼義・義家は奥州征伐の戦勝祈願に当社と大國魂神社に参籠(この縁で、大國魂神社の神職は例祭・くらやみ祭に際し、当社に参詣して禊を行う)。鎌倉時代の1274年に京都祇園社(八坂神社)から牛頭天王を勧請。以降、源氏、上杉氏、徳川氏など多くの武家の信仰を受け、南品川の鎮守として「品川貴船社」と称された。また鎮座地を南品川から現在地(北品川)に遷座している。
明治時代に入り、1868年に准勅祭社に列し、その後、郷社に列した。また、社名を「荏原神社」と改称した。なお、准勅祭社であることについては品川神社との間で争いがあり、都心の元准勅祭社で構成される「東京十社」には品川神社が加盟している。
当社は、京急本線・新馬場駅の東方200mの目黒川の北岸にある。目黒川に架かる鎮守橋が参道のようになっていて、南岸から境内に繋がっている。この風景が印象に残る。都会の住宅地の神社だけあって、境内は狭く、みっちり詰め込まれているイメージ。社務所は有人で◎。
今回は、御朱印雑誌に掲載されていた人気神社ということで参拝することに。参拝時は平日の午前中で、立地が駅近の住宅街ということで人通りは割と多く、通りすがりに一礼だけする地元住民は多く見かけたが、ちゃんと参拝している人は少なかった。
境内入口の<鳥居>。境内の境界に塀がないためオープンな雰囲気。社号標は離れた場所にある。
鳥居の左後ろでほほ笑む<恵比須像>。後ろは目黒川沿いの歩道。
参道進んで左手にある<手水舎>。
神域外から<拝殿>を望む。
<拝殿>正面。黒っぽいので見にくいが、彫刻が凝っていて美しい。
左側の<狛犬>。前と後ろに子供がいる。彫刻の線が細いので木彫りかな。
右の<狛犬>。子供が乳を飲んでいる珍しい姿。
神域外にある、<明治天皇御東幸内侍所奉安所>と書かれた碑。
上の石碑の裏にある<神楽殿>。
鳥居の外側にある<社務所>。御朱印はこちら。
目黒川沿いの歩道まで戻って、社務所の手前にある<社号標>。
目黒川に架かる<鎮守橋>から見た境内。左側に<鳥居>があって、離れた右側に<社号標>と<社務所>がある。
新馬場駅から青物横丁方面へ川のそばにあります。
奈良時代の創建で、品川の南を鎮守する所から「南の天王さん」と親しまれています。{ちなみに、品川の北を鎮守するのは品川神社}。
東海七福神の恵比寿神を担っており、毎年正月15日まで七福神の御朱印が頂けます。
七福神の恵比寿神。
社殿です。
江戸時代末期の建物だそうです。
何かの舞台でしょうか?
右手に社務所です。どうやら留守みたいでした。
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