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楽しみ方泉岳寺のお参りの記録一覧
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(2023年2月の参拝です。)
今回は三田・高輪方面へ。
まずは泉岳寺に参拝して御朱印をいただきました。
写経をしていただきました。
泉岳寺では御朱印帳をいただきました。
念願の御朱印帳ついに手にいれました。
赤穂四十七士と「義」の文字がカッコいいですね!
泉岳寺は港区高輪にある曹洞宗のお寺です。
青松寺・総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺の1つに数えられます。
中門は天保7年に再建されました。
山門は泉岳寺といえばこの門がシンボルですね。
天保3年に再建され、中には十六羅漢が安置されています。
泉岳寺のご本尊は釈迦牟尼仏です。
慶長年間に門庵宗関によって桜田門の近くに創建されましたが
大火により焼失しこの地に移転して徳川家光の命により5大名により完成しました。
この5大名の中に浅野家が入っています。
本堂には「獅子吼」の扁額があり「獅子吼」とはお釈迦様の説法のことです。
赤穂浪士のお寺ではありますが、僧侶が修行に励む学寮として発展してきました。
本堂は戦災で被災し昭和28年に再建されました。
主税梅は大石内蔵助の嫡男の主税が切腹した屋敷に植えられた梅です。
赤穂浪士四十七士のお墓があり、
忠臣蔵で有名な大石内蔵助はじめ47士がここに眠っています。
朝早くいったので線香の煙で立ち込めてはいません。
一人ひとりお線香をお供えしお参りさせていただきました。
赤穂義士館には最後に見学しました。
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10年近く前には、よく来ていた街。そして、ここ泉岳寺もだ。
エレカシ宮本さんの昔の本にも登場する高輪、泉岳寺。
宮本さんは、泉岳寺の隣にある高輪高校出身なのだ。
泉岳寺と言ったら、赤穂浪士であろう。
12月14日の討入りは有名過ぎる。
元々は、徳川家康公が創建した寺であった。
私は偶然にも、泉岳寺に暫く通うことになったのであるが、赤穂浪士については全くの無知であった。
赤穂浪士について教えてくださり、興味を持たせ、その後、幾つかの書物を手にすることになった方がおられる。
それは、泉岳寺参道に店を構える小泉商店の店主だ。
赤穂浪士が本当に好きで、詳しいのだ。
さてさて、御朱印を待つ間に、紙と筆を渡され、
「写経を」と言われたのだ。自分の書いたものと引き換えに御朱印を頂く形になっている。
イヤ、元々は「納経」と言うもので、本来この形がよいのだろう。
だが、しかあし!!
筆なんぞ、小学生の時以来使っていない。
しかも、ここ最近は、パソコンばかりで手書きは、本当に少なくなった。
あああ、なんて汚い字だ。
観音様、すみません。もう二度と、他のお寺での御朱印の字が汚いなんて言いません。



22.09.05。先の道往寺さんより徒歩3分。港区高輪2丁目にある曹洞宗の寺院。
《曹洞宗江戸三ヶ寺》
《赤穂四十七義士廟所》
山号 萬松山
寺号 泉岳寺
創建 慶長17年(1612年)
開基 徳川家康
開山 門庵宗関
(もんなんそうかん)
本尊 釋迦如来
【泉岳寺概要】〜泉岳寺HPより〜
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。
道元禅師の主著は仏教の真髄を表した『正法眼蔵』という95卷に亘る書物です。さて、泉岳寺は慶長17年に門庵宗関和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田(現在の警視庁の近く)に創立した寺院です。
寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が復興ままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、移転した泉岳寺は出来上がったのです、浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。
昨年は一時期に御朱印授与を休止していたので見送っていましたが、今回は先の道往寺さんの参拝に合わせて立ち寄り。久しぶりに外人観光客(欧米系)に遭いましたが、やはり有名寺院なのかと感じました。
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