せんがくじ|曹洞宗|萬松山
泉岳寺東京都 泉岳寺駅
4〜9月:7:00~18:00
10〜3月:7:00~17:00
御朱印(1種類)
本尊釋迦如来の御朱印
真ん中に本尊釋迦如来と書かれ、右下に四十七士廟所の文字、大石家の右二つ巴の家紋の印、真ん中に仏法僧寶の三宝印、左下に泉岳寺の文字、萬松山泉岳寺の印が押されています。
泉岳寺本堂には、本尊「釈迦如来」のほか、曹洞宗の宗祖道元禅師、瑩山禅師、また大石内蔵助の守り本尊である秘仏「摩利支天」などが安置されています。
赤穂義士墓地では、亡き主君浅野内匠頭に代わり吉良邸に討ち入り本懐を遂げたのち切腹と相成った大石内蔵助以下四十七士の菩提を弔っています。
御朱印帳(1種類)
泉岳寺は、東京都港区高輪に位置する曹洞宗の由緒ある寺院です。1612年に徳川家康の命により創建され、現在の場所には1641年の火災後に移転しました。
歴史的背景
泉岳寺は、赤穂浪士四十七士が眠る寺として広く知られています。1701年の赤穂事件後、浅野内匠頭の遺体が葬られ、翌年には討ち入りを果たした四十七士も切腹後にここに埋葬されました。
主な見どころ
山門と中門: 江戸時代に再建された門で、山門の天井には「江戸三龍」の一つである銅彫大蟠龍が施されています。
赤穂義士墓所: 国の史跡に指定されており、四十七士の墓塔48基が並んでいます。
赤穂義士記念館: 2001年に建設され、義士たちの貴重な遺品が展示されています。
本堂: 1953年に落成した鎌倉様式の建築で、釈迦如来をご本尊としています。
首洗い井戸: 義士たちが吉良上野介の首級を洗ったと伝えられる井戸です。
中門です。元来、泉岳寺には三門(総門・中門・山門)がありましたが、現在は中門と山門が残ってます。
泉岳寺の案内板
大石内蔵助良雄像です。連判状を手に東の空(江戸方面)をじっと睨んでいる姿だそうです。
山門です
本堂です
御線香の煙で身を清めて…
焚鐘・鐘桜堂
主税梅 大石主税が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていた梅
瑤池梅 義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したもの
血染めの梅・血染めの石 浅野内匠頭が切腹した際に、その血がかかったとされる梅と石
義士墓の入口
首洗い井戸 義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸で洗い、主君の墓前に供え報告した。
義士墓の入口の門
浅野内匠頭のお墓
瑤泉院の墓
赤穂義士の墓地
大石内蔵助の墓
大石主税の墓
泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。道元禅師の主著は仏教の神髄を表した「正法眼蔵」という九十五巻に渡る書物です。
さて、泉岳寺は慶長十七年(1612)に「門庵宗関和尚」を拝情して徳川家康が外桜田に創設した寺院です。(現在のホテルオークラの近く)
しかしながら、寛永十八年(1641)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹波・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がったのです。浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。
一般的に赤穂義士のお墓があることで有名ですが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶二百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三ヶ寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていました。
その家風は引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が、現在もいます。
名称 | 泉岳寺 |
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読み方 | せんがくじ |
参拝時間 | 4〜9月:7:00~18:00
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参拝料 | 境内無料、赤穂義士記念館・義士木造館:大人500円、小人250円 ※障害者割引有 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 赤穂浪士ゆかりのお寺ならではの、四十七義士をあしらったカッコイイ御朱印帳! |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 03-3441-5560 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.sengakuji.or.jp/ |
SNS |
ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
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山号 | 萬松山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 慶長十七年(1612) |
開山・開基 | 門庵宗関 |
文化財 | 赤穂四十七義士墓所(国指定史跡) |
ご由緒 | 泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
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体験 | 博物館武将・サムライ有名人のお墓 |
概要 | 泉岳寺(せんがくじ)は、東京都港区高輪二丁目にある曹洞宗の寺院。青松寺・総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺の1つに数えられる。 |
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歴史 | 歴史[編集] 慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田(桜田門周辺)の地に門庵宗関を招いて創建した寺院。寛永18年(1641年)の寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、長府毛利・笠間浅野・鹿沼朽木・丹羽・水谷の5大名により、現在の高輪の地で再建された。御手伝普請の大名は菩提寺とする事で徳川への忠誠を示す。 (但し、毛利綱元は江戸で没したにもかかわらず、遺体を長府に送らせ赤穂義士との併葬を拒否。丹羽家は吉良義央の子孫が藩主になる以前に泉岳寺と絶縁、水谷家は浅野長矩に備中松山城を収公され旗本に転落後は使用していない。) 移転してきた当時の泉岳寺は、現在の三倍近い寺領を有し[1]、学寮だけ...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] 都営地下鉄浅草線・京急本線 泉岳寺駅 A2出口より徒歩1分 JR山手線・京浜東北線 高輪ゲートウェイ駅より徒歩6分 都営バス 「泉岳寺前」下車 反96系統 五反田駅-品川駅高輪口-麻布十番駅前-六本木ヒルズ 品97系統 新宿駅西口-信濃町駅南口-品川駅高輪口 |
引用元情報 | 「泉岳寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B3%89%E5%B2%B3%E5%AF%BA&oldid=101772546 |
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