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泉岳寺ではいただけません
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泉岳寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年07月26日(水)
参拝:2023年7月吉日
慶長17年(1612年)に門庵宗閑(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。
しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がった。浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。
~当寺公式HPより抜粋~
禅宗のお寺ということもあり、ピリッとした厳かな雰囲気がありました。朝9時前の訪問でしたが、参拝者の方がチラホラ見えました。
御朱印の待ち時間の間に、写経が必須であり、一番簡単なものを選びましたが、見るに耐えない出来でありますので、写経前のものを掲載致しました(笑)
しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がった。浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。
~当寺公式HPより抜粋~
禅宗のお寺ということもあり、ピリッとした厳かな雰囲気がありました。朝9時前の訪問でしたが、参拝者の方がチラホラ見えました。
御朱印の待ち時間の間に、写経が必須であり、一番簡単なものを選びましたが、見るに耐えない出来でありますので、写経前のものを掲載致しました(笑)
中門
泉岳寺には三門(総門、中門、山門)があったが、現在は中門、山門のみが残っている
泉岳寺には三門(総門、中門、山門)があったが、現在は中門、山門のみが残っている
山門
この門は天保3年(1832年)に34世大道貞鈞(だいどうていきん)和尚代に再建された
この門は天保3年(1832年)に34世大道貞鈞(だいどうていきん)和尚代に再建された
山門の案内板
案内図
大石内蔵助良雄銅像
本堂
ご本尊は釈迦牟尼仏。
ご本尊は釈迦牟尼仏。
梵鐘・鐘楼堂
御朱印受付
本堂の右手にあります
本堂の右手にあります
瑤池梅
義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したもの
義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った鉢植えの梅を移植したもの
血染めの梅、血染めの石
浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石
浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石
首洗い井戸
義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告
義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告
義士墓入口の門
義士墓入口の門を潜った所で、線香を購入。四十七士の墓全てに1~2本線香をお供えしました🙏
参道商店街
何だか寂しい感じがしました😅
何だか寂しい感じがしました😅
写経
あまりに出来映えが悪すぎて、見るに忍びないので…
あまりに出来映えが悪すぎて、見るに忍びないので…
御朱印(直書き)
御朱印代はお気持ちとのことでした😌
御朱印代はお気持ちとのことでした😌
すてき
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