かめいどてんじんしゃ
亀戸天神社のお参りの記録一覧(12ページ目)
1月24、25は鷽替え神事。太宰府天満宮が発祥する神事です。
去年ホトカミで木鷽の写真を見て、そのものの存在を初めて知りました。
ちょうど出かける前ネットで情報を見ていかなきゃと思って、体調回復したばかりですが電車を乗って行きました。
簡単にいうと、鷽替えは列を並んで、持った木鷽を置いて、新しい木鷽を買う事ですね…
列が長かった。
自分は持っていなかったので、デビューしました。1500円の一つ、600円の一つ。
ツイターで見ると違う神社は違うデザインがあります。違うデザインのもよを集めているマニアもいらっしゃいますね。
来年こそ集めようと決意しました。
まさか限定御朱印があるとは…ミスしました。
情報収集不足している事を深く反省します。
《ミックジャギーの神社探訪》【11】
『もしもし、ミックはん?』
「あっ、どうも、山下さん、どうしました?」
『いやー、参ったで。参ったなぁ〰️、やだなぁ〰️』
「どうしたんですか、稲⚫淳二みたいになってますけど」
『来週、外国の方を接待せなあかん様になってしもたんやけど、ワイ、英語がからきし駄目なんや...もっと勉強しとけば良かったって、今になって思っとるんや』
「あぁ、そうですか。じゃあ、あそこに行きますか...」
..................................................................
「ほう、亀戸天神か...学問の神様、菅原道真はんがいらっしゃる所か」
「ここにお参りすれば、あっという間に英語もペラペラですよ!」
「そんな訳ないやろ!でも、頭は良くなりそうやな」
「相手の方、どんな方なんですか?」
「取引先のイギリスのメチャ偉い方やで!」
「え、マフィアのボスとか...」
「アホッ、堅気の方や」
「山下さん、英語なんて大した事無いですよ」
「えっ、ミックはん、英語話せるんかいな!」
「いや、全然」
「なんや、そりゃ!」
「大丈夫ですよ!最初の挨拶でガツンとかましとけば!」
「な、なんて、言えばいいんや」
「イギリスの人だったら...そうですね...
まず..」
「あぁ、まず?」
「まず、『フーアーユー?アイラブ、デヴィッドアイク』って言っとけば、バッチリですよ!」
「えっ、『ふーあーゆー?あいらぶ、てびっどあいく』?」
「そうそう、そしたら一気に心を開いてくれますから!」
「ホンマかいな...《ふーあーゆー?あいらぶ、てびっどあいく》か..そんな、簡単にいくんかいな...」
「おっ、これは、5歳の道真はんか..賢そうな顔してはるなぁ」
「本当ですね」
「じゃあ、ミックはんを信頼して、ガツンとかましてみるか!」
「そうですよ!大した事無いですよ!」
「どうぞ、お願い致します!」
「宜しくお願い致します」
「なんか、自信が出てきたで!」
「その調子、その調子!」
「ほら、スカイツリーですよ!」
「豪華なツーショットやなぁ...」
..............................
1週間後..
『もしもし、ミックはん!!』
「あっ、山下さん、どうしました?そんなに興奮して」
『あのなぁ!アンタにこの前、言われた通り挨拶したらなぁ!』
「あ、どうでした?」
『アンタ!!大成功やったで!メチャ喜んどったで!』
「そうでしょう、そうでしょう」
『ところで、デヴィッドアイクって、誰やねん』
「詳しくはウェブで!」
【つづく】
『亀だけに..亀戸駅前の玄武像』
撮影.ミックジャギー
正保3年(1646)九州太宰府天満宮の神官であった菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔で亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広める為、遠くは日光、盛岡などの諸国を巡り、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々あった天神の小さな祠にご神像を祀ったのが始まり。
当時、幕府は明暦大火の被害による復興開発事業の土地を本所の町とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様として祀るよう現在の社地を寄進された。
そして寛文2年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを造営した。
当初は九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称していたが、明治6年に東京府社となってより「亀戸神社」と号し、昭和11年に現在の「亀戸天神社」と正称した。
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