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楽しみ方豪徳寺のお参りの記録一覧
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豪徳寺にお参りに行きました。境内はかなり広々しています。お参りを終えた後、近くに猫の像があったのですが、多くの観光客がその像の頭を撫でているのを見て、きっとご利益があるんだろうなと思いました。
その後、たくさんの陶器の招き猫が並んでいる場所に入りました。そこでは多くの人が写真を撮っていました。ただ、撮影中にうっかり陶器の猫を落としてしまう観光客もいて…。よく見ると、すでに割れてしまっている招き猫もいくつかありました。皆さん、写真を撮るときはもう少し気をつけてほしいなと思いました。
その後、寺務所に行って御朱印をいただきました。御朱印は紙に印刷されたもので、書き手による直筆のものではありませんでした。あと、招き猫の陶器も1つ購入して、おみくじも引きました。
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この日、三軒茶屋での所用を済ませた後、少し足を延ばして東急世田谷線・宮の坂駅で下車し、徒歩5分ほどの豪徳寺にお参りしました。 駅から向かう道すがら、ちらほらと外国人観光客らしき姿が目に入り、この寺の人気の高さが窺えました。 よもやここまでとは思いませんでしたが、訪れた際には日本人の参拝客は見当たらず、境内には欧米・南米・アジアなど、様々な国籍と思われる観光客ばかりが群がっていて、賑わいはあるものの、寺本来の静けさや落ち着きがやや損なわれているようにも感じられ、少し複雑な気持ちになりました。 豪徳寺は、文明12年(1480年)に世田谷城主・吉良政忠(きら まさただ)が伯母の菩提を弔うために城内へ建立した弘徳院という草庵を前身とする寺院です。 後に寛永10年(1633年)、世田谷が彦根藩領となると、藩主・井伊直孝(いい なおたか)によって伽藍の造営が進められ、直孝の戒名に因み寺号が「豪徳寺」と改められました。 こうした整備を経て、豪徳寺は井伊家の江戸表における菩提寺としての地位を確立していくことになります。 境内奥には、平成20年(2008年)に国指定史跡となった井伊家墓所があり、2代藩主・井伊直孝をはじめ、桜田門外の変で非業の最期を遂げた13代藩主・井伊直弼(いい なおすけ)など、歴代6人の藩主がここで代々の墓所として祀られています。 境内をさらに進むと、豪徳寺を象徴する招福殿が姿を現します。 ここには、訪れる人々が招福を祈って奉納した「招福猫児」と呼ばれる招き猫が無数に並び、白い小さな猫たちが一面に広がる光景は圧巻です。 多くの外国人観光客が、招福猫児とともに写真や動画を撮っており、その人気の高さが改めて感じられました。 豪徳寺の招き猫は小判を持たず右手を挙げ、商売繁盛ではなく「良縁招来」を願うものとされ、素朴で愛らしい表情が特徴です。 滋賀県彦根市のマスコットキャラクター「ひこにゃん」も、井伊直孝に縁のある白猫をモデルとしていると謂われているそうです。 この招き猫の由来として伝わるのが、井伊直孝と寺の飼い猫にまつわる逸話です。 ある日、鷹狩りの帰途に雷雨に遭った直孝が、寺の門前で手招きする猫に導かれて庵に入ると、直後に激しい雷雨が襲い、難を逃れたといいます。 この出来事に感銘を受けた直孝が寺を手厚く保護したことが、後の伽藍整備や寺号改称につながり、豪徳寺の招き猫信仰の源流となりました。 豪徳寺の参拝は、様々な思いを抱えつつ境内を後にし、寺の持つ独特の魅力を心に刻んだ訪問となりました。
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招き猫発祥の地(諸説あり)とのことでたくさんの招き猫がいました。
雨が降ってましたがほぼ外国の方で、招き猫をバックに写真撮ってましたね。
お天気じゃなかったのは残念でしたが白い色がとにかく映えていたのが印象的でした。
また招き猫自体は小判を持ってないものでかなり小さい招き猫も。
思わず『おぉ~』と思い、ほしい。とw
社務所で購入し、お願いごとをして奉納するという感じなのかな?と思っていたのですが
後から奉納する決まりは特にないことを知りました(^^;
また、井伊直弼・直孝のお墓があるということでそちらも参拝。
井伊家のお墓が並んでました。こんな感じに一家のお墓が並んでいるのは見たことがなかったので
ある意味『うわぁ~。。。』(すごっ!)となりました。
お茶の道 一期一会 いい言葉ですね。

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