うんぺんじ|真言宗御室派|巨鼇山(きょごうざん)
雲辺寺徳島県 三縄駅
7:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 20台(道路維持管理費として通常時は普通車で500円を納経所で支払う)駐車場から境内まで徒歩約10分
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雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
【巨鼇山(きょごうざん)千手院(せんじゅいん)雲辺寺(うんぺんじ)】
本尊:千手観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:弘法大師
弘法大師(774-835)は雲辺寺山に3度登っている。最初は789(延暦8)年、大師が16歳の時で第75番札所 善通寺の建材を求めてであったが、このとき山の霊気を感じて御堂を建てたのが雲辺寺のはじまりとされる。34歳の時には修行のため、そして45歳の時、第52代 嵯峨天皇(在位809-823)の勅願でみたび登り、本尊を彫って四国霊場と定めた。その後、四国の僧侶が学問修行のため集い、雲辺寺は「四国高野」と呼ばれるようになった。貞観(じょうがん)年間(859-877)には第56代 清和天皇(在位858-876)の勅願寺ともなった。
かつて「遍路ころがし」と呼ばれた難所も、1987(昭和62)年に香川県観音寺市側の山麓と雲辺寺ロープウエー(所要時間約7分)で結ばれ、訪れやすい寺となった。
【66_T.Hamada's view】
本堂。
【66_おたのみなす】
八十八ヶ所中、最も高い標高911mの位置に立つ。境内には願いを込めて腰を掛けると願いが叶うとされる「おたのみなす」がある。お守り授与所では「なす守り」を授けてくれる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【66_おたのみなす】
【66_本堂】
【66_大師堂】
天皇勅願寺であることを示す石塔がある。
【66_大師堂奥殿】
大師堂は、第21番札所 太龍寺と同じように奥殿式で配置されている。
【66_仁王門】
【66_仁王阿形像】
【66_仁王吽形像】
【66_龍の手水舎】
【66_護摩堂】
【66_五百羅漢その1】
参道に並ぶ五百羅漢。
【66_五百羅漢その2】
雲辺寺は、讃岐香川「涅槃(ねはん)の道場」最初の札所。釈迦の涅槃仏の周りを弟子の五百羅漢が守るように置かれている。
【66_五百羅漢その3】
【66_天祐の鼇(おおがめ)】
【66_厄除不動】
【66_一言観音】
【66_毘沙門天展望館】
四国八十八ケ所霊場 第66番札所
山号:巨鼇山(きよごうざん)
宗派:真言宗御室派
御本尊:千手観世音菩薩
香川県に入りました。"涅槃の道場"となります。
標高927m、四国霊場で一番高所にあります。
ロープウェイで山頂へ。参道では、五百羅漢さんが出迎えてくれます。
弘法大師が初めて山を登ったのは、16歳のころと言われています。9世紀はじめに勅命を受け、再び登り開山されたとのこと。初めは小さな堂宇から始まったのでしょうが、今ではこんな壮大なお寺さんに。いろいろな方々が作り上げたきたのでしょうね。"祈りの場"守っていきたいですね。
寺務所の方の対応も優しく、心が和みました。😌
ご本堂
おたのみなす
願い事を貼り付けておられました。
大師堂
重厚な趣のあるお堂です。😌
一言観音さん
振り返ると
いただいた御朱印
弘法大師生誕1250年 限定御朱印いただきました。
住所 | 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2 |
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行き方 | 65【三角寺】より
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名称 | 雲辺寺 |
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読み方 | うんぺんじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
電話番号 | 0883-74-0066 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
阿波秘境七福神 第3番 | 御本尊:毘沙門天 |
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四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
ご本尊 | 千手観世音菩薩 |
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山号 | 巨鼇山(きょごうざん) |
院号 | 千手院(せんじゅいん) |
宗旨・宗派 | 真言宗御室派 |
創建時代 | 延暦8年(789) |
開山・開基 | 弘法大師 |
文化財 | 木造千手観音坐像、木造不動明王・毘沙門天立像、絹本著色聖衆来迎図(重要文化財)
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ご由緒 | 四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。
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体験 | 御朱印お守り重要文化財札所・七福神巡り |
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