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うんぺんじ|真言宗御室派巨鼇山(きょごうざん)

雲辺寺
徳島県 三縄駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

20台(道路維持管理費として通常時は普通車で500円を納経所で支払う)駐車場から境内まで徒歩約10分
山麓駅無料駐車場:800台、大型10台 ロープウェイ山頂駅から境内まで徒歩約10分

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所66番
阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場(毘沙門天)

おすすめの投稿

sasaki3
2024年04月09日(火)
493投稿

雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

雲辺寺の御朱印

雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

雲辺寺(徳島県)

雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

雲辺寺(徳島県)

雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

雲辺寺(徳島県)

雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

雲辺寺(徳島県)

雲辺寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

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to_sun
2023年06月07日(水)
175投稿

【巨鼇山(きょごうざん)千手院(せんじゅいん)雲辺寺(うんぺんじ)】
本尊:千手観世音菩薩
宗派:真言宗御室派
開基:弘法大師
 弘法大師(774-835)は雲辺寺山に3度登っている。最初は789(延暦8)年、大師が16歳の時で第75番札所 善通寺の建材を求めてであったが、このとき山の霊気を感じて御堂を建てたのが雲辺寺のはじまりとされる。34歳の時には修行のため、そして45歳の時、第52代 嵯峨天皇(在位809-823)の勅願でみたび登り、本尊を彫って四国霊場と定めた。その後、四国の僧侶が学問修行のため集い、雲辺寺は「四国高野」と呼ばれるようになった。貞観(じょうがん)年間(859-877)には第56代 清和天皇(在位858-876)の勅願寺ともなった。
 かつて「遍路ころがし」と呼ばれた難所も、1987(昭和62)年に香川県観音寺市側の山麓と雲辺寺ロープウエー(所要時間約7分)で結ばれ、訪れやすい寺となった。

雲辺寺の本殿

【66_T.Hamada's view】
 本堂。

雲辺寺(徳島県)

【66_おたのみなす】
 八十八ヶ所中、最も高い標高911mの位置に立つ。境内には願いを込めて腰を掛けると願いが叶うとされる「おたのみなす」がある。お守り授与所では「なす守り」を授けてくれる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

雲辺寺(徳島県)

【66_おたのみなす】

雲辺寺(徳島県)

【66_本堂】

雲辺寺(徳島県)

【66_大師堂】
 天皇勅願寺であることを示す石塔がある。

雲辺寺(徳島県)

【66_大師堂奥殿】
 大師堂は、第21番札所 太龍寺と同じように奥殿式で配置されている。

雲辺寺(徳島県)

【66_仁王門】

雲辺寺(徳島県)

【66_仁王阿形像】

雲辺寺(徳島県)

【66_仁王吽形像】

雲辺寺(徳島県)

【66_龍の手水舎】

雲辺寺(徳島県)

【66_護摩堂】

雲辺寺(徳島県)

【66_五百羅漢その1】
 参道に並ぶ五百羅漢。

雲辺寺(徳島県)

【66_五百羅漢その2】
 雲辺寺は、讃岐香川「涅槃(ねはん)の道場」最初の札所。釈迦の涅槃仏の周りを弟子の五百羅漢が守るように置かれている。

雲辺寺の像

【66_五百羅漢その3】

雲辺寺(徳島県)

【66_天祐の鼇(おおがめ)】

雲辺寺(徳島県)

【66_厄除不動】

雲辺寺(徳島県)

【66_一言観音】

雲辺寺(徳島県)

【66_毘沙門天展望館】

雲辺寺の御朱印
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雲辺寺の基本情報

住所徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2
行き方

65【三角寺】より
(自家用車)約30分 約23km
(徒歩)約7時間 約20.5km
67【大興寺】より
(自家用車)約50分 約13km
(徒歩)約3時間30分 約13.5km

アクセスを詳しく見る
名称雲辺寺
読み方うんぺんじ
参拝時間

7:00~17:00

御朱印あり

限定御朱印あり
電話番号0883-74-0066
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巡礼の詳細情報

阿波秘境七福神

第3番

御本尊:毘沙門天

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊千手観世音菩薩
山号巨鼇山(きょごうざん)
院号千手院(せんじゅいん)
宗旨・宗派真言宗御室派
創建時代延暦8年(789)
開山・開基弘法大師
文化財

木造千手観音坐像、木造不動明王・毘沙門天立像、絹本著色聖衆来迎図(重要文化財)
阿波遍路道 雲辺寺道(史跡)

ご由緒

四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。
霊場は、俗に「四国坊」と呼ばれ、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と称されて栄えた。貞観年間(859〜77)には清和天皇(在位858〜76)の勅願寺にもなっている。鎌倉時代は七堂伽藍も整備されて、境内には12坊と末寺8ヶ寺を有した古刹として阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。 天正年間(1573〜92)に土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣して雲辺寺に参拝し、裏山から眼下を望み四国制覇を目指したが、当時の住職に諫められた。雲辺寺の歴史にも消長はあるが、江戸時代になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけた。千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っている。

体験御朱印お守り重要文化財札所・七福神巡り

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