やくおうじ|高野山真言宗|医王山(いおうざん)
薬王寺のお参りの記録一覧
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
23番 薬王寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
23番 薬王寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
23番 薬王寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
23番 薬王寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
23番 薬王寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
23番 薬王寺
憧れの四国八十八霊場巡り 徳島で法事があったため 時間がないのですがお参りできました。
23番札所のお寺です。
いやぁ 遠いです。徳島市内までで自宅から約2時間。そこから1時間弱かかりました。
直行だったらきつかったと思いました。
お参りしたらわかる そんな気分が吹っ飛ぶ 素敵なお寺でした。
この日は屋台も出ており 参拝者も多く ウキウキ気分になりました。
山門をくぐると立派な石垣があり 山城を思わせる造りです。
ということで 女厄坂・男厄坂と 階段が続きました。
山腹にある本堂は それはそれは歴史を感じる立派な建物でした。
もちろん太子堂も立派です。
境内からは日和佐城が見え 眺めも絶景です。
書ききれませんが とにかく見どころ満載です。
山号は医王山 院号は無量寿院 宗旨宗派は高野山真言宗 寺格は別格本山 ご本尊は薬師如来です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言 - おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌 - 皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃(るり)の薬をあたえましませ
でした。
由緒については
寺伝によれば 神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が創建と伝わる。
弘仁6年(815年)には平城上皇の勅命によって空海(弘法大師)が厄除けのため薬師如来像を刻み 伽藍を建立。
文治4年(1188年)火災により堂塔を焼失した。
伝承によると この時に本尊は奥之院の玉厨子山に自ら飛んで焼失を逃れた。
その後 後醍醐天皇により堂塔が再建された。
本尊が新たに彫られたが 元の本尊もこの時に飛んで帰り後ろ向きに厨子に入り自ら厨子を閉じたと伝わり 「後向き薬師」と称される。
元の本尊は以後秘仏となった。
このため本尊が二体ある。
天皇 淳和天皇などからの信仰は厚く 歴代天皇が厄除け祈願のため勅使を下向させている。
嘉禄2年(1226年)には土御門上皇が訪れた。
徳島藩主の蜂須賀家から寺領を賜っている。
とありました。
山門の手前に屋台もあります
厄除開運の寺
薬王寺石柱
仁王門
23番札所の石柱
扁額(寺額)
石垣
石垣沿いに道は続き
鳴門秘帖舞台の碑
桜が咲き始めています
境内図
女厄坂の始まり
きつくはなかったです
通常はこちらで祈祷の受付なのでしょう
手水舎
男厄坂の始まり
女厄坂より少し長いです
山腹の本堂
彫刻が見事
内陣は撮れないと思ったので 正面だけ
肺大師
本堂横から
鎮守堂
寿老人
賓頭盧尊者
大師堂
地蔵堂
墓所につながる道に六角堂
十王堂
大楠
厄除消除の鐘
鳴門秘帖の一段
街並み
日和佐城
霊牌堂
還暦厄坂への案内
厄坂
瑜祇塔
本堂を見下ろす
鐘楼
方丈
本坊
室戸岬御来光一人旅の途中で思い立ったように始めた四国八十八箇所巡礼ですが、一番、二番、十八番の三ヶ寺を巡拝しました。
十八番札所の恩山寺を巡拝した後、国道55号線をひたすら南下したのですが、信号も少なく道もとても良くて思ったよりも早く美波町に到着しました。
美波町の日和佐という町に着いたのは午後3時半くらいだったので、明日に回す予定だった「医王山 無量寿院 薬王寺」をお参りすることにしました。
このお寺は立派で瀟洒な瑜祇塔が山の中腹に建っていて町のシンボルにもなっています。
境内に入る階段の南側に広い駐車場があり、温泉宿泊施設やお土産屋さん、歩いて数分のところに「道の駅 日和佐」などがあります。
元々、日和佐には海亀が産卵に来ることで有名な大浜海岸や海亀の博物館「うみがめ博物館カレッタ」(令和6年夏頃まで改修のため閉館中)等の観光地がありかなり人で賑わいます。
それでも漂うのんびりした空気が私は大好きです。
国道沿いに山門がありその手前の右側が納経所です。
本堂までは女厄坂33段、男厄坂42段の階段があります。
女厄坂の所に鐘楼があります。
このお寺は高野山真言宗別格本山でもあるようで、お遍路さん以外の参拝者も多いみたいです。
聖武天皇の勅願により726年に行基菩薩が建立したお寺だそうです。
本尊は弘法大師が彫ったと言われる薬師如来坐像です。
ちなみにこの御本尊の薬師如来坐像ですが、1188年に火災で寺が消失した際に自ら光を放って奥の院まで飛んで避難したそうです。
後に伽藍が再興された際にも自ら舞い戻って新しい本尊と向かい合うように後ろ向きに入ったそうで、その事から後ろ向き薬師と呼ばれ秘仏になっています。
階段を登ると正面が本堂です。
かなり立派な本堂で、向かって左側に大師堂があります。
本堂の敷地は高台で日和佐の町並みから海を望むことができ、対面の山頂には日和佐城が見えます。
本当にのどかで心休まる景色が広がっています。
本堂裏に「肺大師」と呼ばれる祠がありそこに湧いている霊水は肺の病に効能があるとされています。
本堂から右側に進むと還暦厄坂と呼ばれる61段の階段があり、それを登ると麓から遠望できた瑜祇塔です。
瑜祇塔は昭和38年に建立された比較的新しい建物ですが、立派な風格を備えています。
夜はライトアップもされるみたいです。
(見てみたかったです)
この瑜祇塔の前からも素晴らしい展望が開けていて思わず時間を忘れて見惚れてしまいました。
帰りは女厄坂から左にスロープがありそちらが順路になっているようで、そこを下りていくと納経所の前に出ることが出来ます。
大晦日でもあり、出店や観光客で賑わっていました。
ひとり旅は呑気で気ままで自由なのですが、綺麗な風景を見ても美味しいものを食べても分かち合える相手が居ないのだけは寂しいなあと感じました。
意外と最も孤独を感じるのは喧騒の中なのかもしれませんね。
この後は室戸岬方面で日帰り入浴のお風呂に入り夕食を食べて車中泊の予定です。
旅はまだ半ばです。
国道から見た瑜祇塔です。
ここからお寺に入っていきます。
吽形の仁王像
何だか目が生きてるみたいですね💦
阿形の仁王像です。
本堂です。
大師堂です。
敷地内の大楠です。
樹齢はいかほどでしょうか?
敷地内の魚藍観音です。
瑜祇塔
瑜祇塔から見た日和佐の町並みです。
素晴らしく美しいです。
日和佐城も望めます。
【医王山(いおうざん)無量寿院(むりょうじゅいん)薬王寺(やくおうじ)】
本尊:厄除薬師如来
宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
薬王寺は、厄除けの寺として全国的に知られ、お遍路さん以外の参拝者も数多く訪れる。寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願で、行基菩薩によって創建された。815(弘仁6)年、弘法大師(774-835)が42歳のとき自分と衆生の厄除け祈願のためここを訪れ、厄除薬師如来座像を彫って本尊としたという。1188(文治4)年には火災で堂宇が焼失し、第96代 後醍醐天皇(在位1318-1339)によって再建されている。
【23_T.Hamada's view】
瑜祗塔(ゆぎとう)
【23_瑜祗塔(ゆぎとう)】
上の方が四角、下の方は円筒形の一重塔の「瑜祗塔」。天と地の和合を表す薬王寺のシンボル的建造物。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【23_瑜祗塔(ゆぎとう)】
1963(昭和38)年 建立・銅板葺・高さ35m
【23_本堂】
【23_大師堂】
【23_仁王門】
【23_仁王阿形像】
【23_仁王吽形像】
【23_女厄坂】
本堂に向かう最初の石段。33段。
石段を厄年の男女が織るように上下しており登る者は一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく(司馬遼太郎著「空海の風景」より)
【23_男厄坂】
女厄坂から続く急勾配の石段。42段。
【23_還暦厄坂】
本堂から瑜祗塔までの石段。61段。
四国八十八ヶ所お遍路第23番札所薬王寺。医王山無量寿院薬王寺。聖武天皇勅願寺、行基菩薩開創。のちに弘法大師が平城天皇の命をうけ衆生厄除けの祈願寺とした。ご本尊は大師作の厄除け薬師如来坐像。
街の中でした。
階段にカニが🦀‼︎女厄坂33段。男厄坂42段。還暦厄坂61段をあがります。
大楠。
お隣は薬師会館があり、お風呂に入れます。
過去遥拝。道の駅日和佐から、遠くからもよく見える特徴的な瑜祇塔(ゆぎどう)を拝みました。
徳島旅行では足の悪い連れがいたので平地にあるえびす神社をお参りし、八十八ヶ所巡礼は旅程外にしました。薬師様にお参りできるようになってほしいです。
流行り病の規制真っ只中で、道の駅は足湯等が閉鎖されていました。
道の駅日和佐から望む医王院の瑜祇塔。
足の悪い同行者がおり道の駅との高低差は参道階段のためお参りはせず、遥拝にしました。
道の駅日和佐のベンチ下には人馴れした黒猫ちゃん。
うみがめ博物館カレッタも近いので道の駅お土産のPOPが亀の絵になっていました。
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