りょうぜんじ|高野山真言宗|竺和山(じくわざん)
霊山寺のお参りの記録一覧
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
1番 霊山寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
1番 霊山寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
1番 霊山寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
1番 霊山寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
1番 霊山寺。
【竺和山(じくわざん)一乗院(いちじょういん)霊山寺(りょうぜんじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
~『百寺巡礼』五木寛之氏が選んだ百の名刹 第94番~
四国88箇所の1番札所。遍路の旅の出発点。俗に「1番さん」と呼ばれる。
四国遍路が庶民のあいだに広がってきたのは、室町後期から江戸時代にはいったころだといわれている。まず、四国に近い畿内(近畿地方)の人々が、お遍路として四国を訪れるようになった。畿内から四国を目指す場合、船で鳴門海峡を越えて撫養(むや)港につくことになる。撫養港は、古くから四国の玄関口としてたいへんなにぎわいを見せていた。この撫養港から霊山寺までは、10㎞ほどの距離。港にいちばん近い霊山寺が1番札所になったことに納得です。
~『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』五木寛之(講談社、2005)~
【仁王門】
今の季節は、ここから多宝塔の姿を見ることができる。
【発心の門】
四国88箇所をめぐる長い旅路がここからはじまります。
【手水舎】
【縁結び観音】
【手水舎の大師と龍】
【鐘楼】
背中には、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と書かれています。「遍照金剛」は弘法大師空海の別名。
【大池】
放生池(ほうじょうち)。
【稚児像】
【地蔵菩薩】
【多宝塔】
【本堂】
【本堂拝殿】
~車の往来がはげしい県道から一歩はいって、この本堂の内陣に身を置くと、まるで別世界にきたような感じがした。この静かな堂内で、遍路の人たちはいろいろな思いを抱きつつ、祈っているのだろう。~
【本堂の燈籠】
【本堂天井の龍】
【不動明王堂】
【不動明王】
【十三佛堂】
【聖龍美観音】
【大師堂】
【大師堂】
【大師堂の稚児像】
傍らに置いてある哺乳びん。なんともほほえましい。
【パンダ】
どういうわけかパンダ。
【小池】
小さい阿弥陀如来が座している。
【納経所】
納経所兼売店。
【納経所横のマネキン】
白装束でスタイルのいい青い目のお遍路さん。よくみると、指がたいへんなことになっています。
【お遍路グッズ】
【本堂横のマネキン】
こちらは、手に金剛杖をもっています。金剛杖は、弘法大師空海の分身とされています。
どういうわけか靴はヒールのあるパンプス(色つき)。
【駐車場にあるモニュメント(孫悟空)】
【駐車場にあるモニュメント(孫悟空)】
令和6年の初日の出を四国は高知県の室戸岬で見ようと思い立ち、31日の早朝に一人で自宅を出発しました。
垂水ジャンクションから明石大橋を渡りそのまま淡路島を縦断、鳴門北インターで降りました。
目的は徳島ラーメンで、徳島市内で食べようかとも思ったのですが、市内に着く時刻にはおそらく混んでいるだろうとの判断で鳴門市内の「いのたに鳴門店」に行くことにしました。
徳島ラーメンを喫した後で市内を西に抜け1番札所の「竺和山 霊山寺」に到着しました。
門前に大きな駐車場があり、止める場所に困る事はないと思います。
寺の歴史等は先人の投稿に詳しいと思うのですが、本堂天井の灯篭がとても美しく厳かなお寺でした。
お遍路用品が
納経所の売店や門前のお店で揃えることができ、僕も八十八箇所巡礼用の納経帳と、御影を挟んで保存するファイル?を買い求めました。
年に何回も四国に来れないので結願まで何年かかるのか分かりませんが、ゆっくりゆったりと結願を目指したいと思います。
山門です
手水舎
本堂の美しい灯篭
買い求めた納経帳です
御納経です。
1つ目ですがとても嬉しい。
徳島ラーメンを食べに入った、いのたに鳴門店
徳島ラーメンです。
見た目よりもあっさりしてますが、白いご飯と食べるととても美味しいです。
四国八十八カ所霊場巡り1番札所
諸先輩方の投稿を見ていて いつまでも待ってはいられない気分になり 計画もなく スタートしてしまいました。
我が家が真言宗で 父の実家が徳島なので この八十八カ所霊場巡りには 憧れがあります。
霊山寺は徳島県鳴門市にあるお寺で 一番札所の「発願の寺」です。
山号は竺和山
院号は一乗院
宗旨宗派は高野山真言宗
寺格は別格本山
ご本尊は釈迦如来
です。
八十八カ所霊場巡りの御朱印帳を購入すると ご真言とご詠歌が載っています。
本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌:霊山(りょうぜん)の 釈迦のみ前にめぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり
あまりにも有名な巡礼の旅のため 売店・納経所では御朱印帳も拝受品も数多く揃えられています。
私は邪念の塊なので 観光旅行的な雰囲気を強く感じました。
境内はさほど広くないのですが 建物が全て歴史を感じさせるものばかりで じっくり拝見していると すごく時間がかかりました。
今年は弘法大師御誕生1250年の年 できれば結願したいと思うのですが。。この調子ではきっと無理ですね。
霊山寺に参拝する前 昼食タイムに 有名なうどん屋さん「うどん丸亀」に寄りました。(丸亀製麺ではありません)
私のお薦めを撮っておきました。
霊山寺の由緒については
奈良時代 天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により 行基によって開創されました。
弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ 21日間(三七日)留まって修行したと言われています。
その際 天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し 天竺の霊山である霊鷲山を日本 すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け 持仏の釈迦如来を納め 霊場開創祈願をしたと言われています。
その白鳳時代の身丈三寸の釈迦誕生仏が残っています。
また 本堂の奥殿に鎮座する秘仏の釈迦如来は空海作と伝わり 左手に玉を持った坐像であり 2014年(平成26年)に4か月間開帳されました。
室町時代には三好氏の庇護を受けており 七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つとして栄えましたが 天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火に焼かれました。
その後徳島藩主蜂須賀光隆によってようやく再興されましたが 1891年(明治24年)の出火で本堂と多宝塔以外を再び焼失しましたが その後の努力で往時の姿を取り戻したそうです。
とありました。
仁王門
仁王門をくぐってすぐ 大池
童が祈っている先には
地蔵菩薩
多宝塔では五智如来像を安置
鐘楼
三鈷の松
錫杖
十三仏堂 逆から撮ってしまいました
虚空菩薩
大日如来
阿閦如来
阿弥陀如来
勢至菩薩
観音菩薩
薬師如来
弥勒菩薩
地蔵菩薩
普賢菩薩
文殊菩薩
釈迦如来
不動明王
本堂
本堂の拝殿 ちょうど巡礼ツアーの方々が読経中でした
本堂の拝殿 奥に見えるのが奥殿
大師堂
弘法大師御誕生1250年の印 今年中に結願したいです
うどん丸亀 鳴門ボートレース場の近くにあります
私のお薦め1番 焼うどん
私のお薦め2番 あんかけ皿うどん
【竺和山(じくわざん)一乗院(いちじょういん)霊山寺(りょうぜんじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
霊山寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願で行基菩薩が開いたとされる。その後、815(弘仁6)年に弘法大師(774-835)が修法(しゅほう)した際、仏教を説く老師に僧侶たちが耳を傾ける光景に、インド(天竺)の霊鷲山(りょうじゅせん)で釈迦が説法する情景を重ね、「竺和山 霊山寺」と名づけたという。
室町時代には七党伽藍の並ぶ大寺院となり阿波三大坊の一つとして栄えたが、1582(天正10)年、長宗我部元親の兵火に焼かれた。その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、1891(明治24)年には出火により本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。その後の努力で第1番札所としてふさわしい姿となっている。
【01_T.Hamada's view】
仁王門
【01_多宝塔と箱庭】
室町時代に建立された、築600年の多宝塔や箱庭のような美しい庭園や池が見どころ。 (四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【01_本堂】
【01_大師堂】
【01_多宝塔】
応永年間(1394-1428)の建造で、五智如来像(大日(法界体性智)・阿閦 (あしゅく) (大円鏡智)・宝生(平等性智)・阿弥陀(妙観察智)・不空成就(成所作智))が祀られている。
【01_大師と龍の手水舎】
【01_本堂の燈籠】
本堂の天井を埋め尽くす吊り燈籠
【01_本堂の龍】
本堂の拝殿中央天井には龍が描かれている。
【01_不動明王】
【01_縁結び観音】
縁結び観音は男女の縁結びだけでなく、「健康との縁」や「仕事との縁」、「幸せとの縁」など様々な縁結びにご利益があるとされている。お賽銭だけではなく、水でお清めをしながら祈ることで功徳が得られると言われている。
【01_稚児像と池の鯉】
仁王門から入ると右手の池で稚児像が出迎えてくれる。
参拝日 令和5年4月22日
四国八十八ヶ所霊場第一番の御朱印を頂きました
仁王門
本堂
太師堂
不動明王堂
多宝塔
鐘楼
四国霊場八十八ヶ所納経帳のページ
四国八十八ヶ所霊場第一番の御朱印
四国八十八ケ所霊場 第1番札所
宗派:高野山真言宗
御本尊:釈迦如来
創建:伝729年〜749年(天平年間)
開基:行基
四国は、奈良時代から山岳信仰(後の修験道)の修行地。空海も唐に渡る前に私度僧として修行しました。
815年(弘仁6年)天竺の霊山を日本へ移す意味で寺の名前が定められたそうです。
親しみを込めて、「一番さん」と呼ばれています。山門の前では、お遍路の無事を祈りながら、写真を撮ってもらっている若者が。
外国からの方々も。
弘法大師御誕生1250年のスタンプいただきました。🤭
なぜか緊張しました。私の場合。
本堂、大子堂。それぞれのお堂の前でお経をとなえます。
放生池(ほうじょうち)錦鯉が、優雅に泳いでいます。
【四国八十八ヶ所札所巡り①】
霊山寺(りょうぜんじ)は、徳島県鳴門市大麻町坂東塚鼻にある高野山真言宗の別格本山の寺院。山号は竺和山(じくわざん)、院号は一乗院(いちじょういん)。本尊は釈迦如来。四国八十八ヶ所1番札所・発願寺。
寺伝によると、奈良時代の天平年間(729年~748年)に聖武天皇(在位729年~748年)の勅願寺として行基菩薩が開基。平安時代初期の815年に弘法大師が当寺で37日間の修法を行い、四国八十八箇所の霊場を開くことを祈願、釈迦如来を感得し自らその尊像を彫像して本尊とした。修法の際、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み熱心に耳を傾けている光景が、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じ取り、インドの霊山を和国(日本)に移すという意味で「竺和山霊山寺」と命名された。往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇ったが、桃山時代の1582年に長宗我部元親の兵火で堂塔を全焼した。江戸時代に入り、阿波藩主・蜂須賀光隆により復興されたが、明治時代の1891年に本堂と多宝塔以外の堂宇をすべて焼失。百年かけて復興された。
当寺は、JR高徳線・坂東駅の北西500mの、主要道路の県道12号線に面した平地にある。樹木に覆われた境内はそこそこの広さだが、たくさんの伽藍や仏像、池を中心にした庭園がぎゅっと集約されていて、見どころがコンパクトに詰まっている。あと、これから四国八十八霊場巡りをする人にとっては、巡礼用品が揃っている当寺納経所での用品購入も楽しみの一つ。どのぐらい「お遍路さん」になり切るかは、ここでの用品準備次第。自分たちの場合、輪袈裟と頭陀袋にとどめ、菅笠と金剛杖は荷物になるのでパスすることにした。
今回は、念願の四国八十八ヶ所札所巡りをスタートするために参拝した。晴れた休日ということもあり、多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口の<仁王門>。ここから、いよいよ四国八十八霊場巡礼スタート!(o^―^o)
左側の<吽形仁王像>。リアリティのある造形。
右側の<阿形仁王像>。いまにも動き出しそう。
仁王門をくぐったところからの眺め。ここで本堂、大師堂の参拝前に<納経所>で<お遍路グッズ>を調達する。
(それにしても、一番札所になぜパンダ???(^_^;))
こちらが境内右手(東側)にある<納経所>。この前は広い駐車場。
納経所の入口にずっと立ち尽くしている<お遍路さんモデル>。
ネットで四国八十八霊場巡礼の下調べをすると、必ず写真が出てくる有名人。(^_^;)
購入した<お遍路グッズ>の一部。これ以外には、納経帳、御本尊御影保存帳、輪袈裟、白衣、山谷袋などを購入。
この程度のライトなお遍路仕様でも、諭吉さん数枚は必要。(;゚Д゚)
納経所のある駐車場から、仁王門前に戻る通路にある<鳥居>。「発心」の扁額に心が引き締まる。
ふたたび仁王門をくぐって、参道左側にある<手洗>。
手洗の左側に立つ<縁結び観音>。
手洗そばの<鐘楼>。
手洗の右手にある<多宝塔>。
参道右側の<池>。
参道右側奥にある<大師堂>。
<大師堂>正面。上部中央には「弘法」の扁額。
大師堂そばの日本庭園内にある像。定番の笠は被っていないけど<大師像>かな?(。´・ω・)?
参道左側の<十三仏堂>。
参道進んで、左側にある<不動明王堂>。
内部の<不動明王像>。
参道突き当りにある<本堂>。
本堂入口上部。扁額の字が読めない...(^_^;)
本堂内に入って、上部に並ぶ<吊り灯籠>。
本堂から振り返って境内全景。
本堂右側にある臨時納経所の<お遍路モデル>。こちらの方は、ネットでの露出はほとんどないマイナーキャラ。(^_^;)
御朱印はこちらではなく、駐車場横の納経所にて。
最後に、当寺を紹介する際によく引用される<本堂>内部。これだけ吊り灯籠が並ぶと壮観。(^▽^)/
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