りょうぜんじ|高野山真言宗|竺和山(じくわざん)
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【竺和山(じくわざん)一乗院(いちじょういん)霊山寺(りょうぜんじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
~『百寺巡礼』五木寛之氏が選んだ百の名刹 第94番~
四国88箇所の1番札所。遍路の旅の出発点。俗に「1番さん」と呼ばれる。
四国遍路が庶民のあいだに広がってきたのは、室町後期から江戸時代にはいったころだといわれている。まず、四国に近い畿内(近畿地方)の人々が、お遍路として四国を訪れるようになった。畿内から四国を目指す場合、船で鳴門海峡を越えて撫養(むや)港につくことになる。撫養港は、古くから四国の玄関口としてたいへんなにぎわいを見せていた。この撫養港から霊山寺までは、10㎞ほどの距離。港にいちばん近い霊山寺が1番札所になったことに納得です。
~『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』五木寛之(講談社、2005)~
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令和6年の初日の出を四国は高知県の室戸岬で見ようと思い立ち、31日の早朝に一人で自宅を出発しました。
垂水ジャンクションから明石大橋を渡りそのまま淡路島を縦断、鳴門北インターで降りました。
目的は徳島ラーメンで、徳島市内で食べようかとも思ったのですが、市内に着く時刻にはおそらく混んでいるだろうとの判断で鳴門市内の「いのたに鳴門店」に行くことにしました。
徳島ラーメンを喫した後で市内を西に抜け1番札所の「竺和山 霊山寺」に到着しました。
門前に大きな駐車場があり、止める場所に困る事はないと思います。
寺の歴史等は先人の投稿に詳しいと思うのですが、本堂天井の灯篭がとても美しく厳かなお寺でした。
お遍路用品が
納経所の売店や門前のお店で揃えることができ、僕も八十八箇所巡礼用の納経帳と、御影を挟んで保存するファイル?を買い求めました。
年に何回も四国に来れないので結願まで何年かかるのか分かりませんが、ゆっくりゆったりと結願を目指したいと思います。


四国八十八カ所霊場巡り1番札所
諸先輩方の投稿を見ていて いつまでも待ってはいられない気分になり 計画もなく スタートしてしまいました。
我が家が真言宗で 父の実家が徳島なので この八十八カ所霊場巡りには 憧れがあります。
霊山寺は徳島県鳴門市にあるお寺で 一番札所の「発願の寺」です。
山号は竺和山
院号は一乗院
宗旨宗派は高野山真言宗
寺格は別格本山
ご本尊は釈迦如来
です。
八十八カ所霊場巡りの御朱印帳を購入すると ご真言とご詠歌が載っています。
本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌:霊山(りょうぜん)の 釈迦のみ前にめぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり
あまりにも有名な巡礼の旅のため 売店・納経所では御朱印帳も拝受品も数多く揃えられています。
私は邪念の塊なので 観光旅行的な雰囲気を強く感じました。
境内はさほど広くないのですが 建物が全て歴史を感じさせるものばかりで じっくり拝見していると すごく時間がかかりました。
今年は弘法大師御誕生1250年の年 できれば結願したいと思うのですが。。この調子ではきっと無理ですね。
霊山寺に参拝する前 昼食タイムに 有名なうどん屋さん「うどん丸亀」に寄りました。(丸亀製麺ではありません)
私のお薦めを撮っておきました。
霊山寺の由緒については
奈良時代 天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により 行基によって開創されました。
弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ 21日間(三七日)留まって修行したと言われています。
その際 天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し 天竺の霊山である霊鷲山を日本 すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け 持仏の釈迦如来を納め 霊場開創祈願をしたと言われています。
その白鳳時代の身丈三寸の釈迦誕生仏が残っています。
また 本堂の奥殿に鎮座する秘仏の釈迦如来は空海作と伝わり 左手に玉を持った坐像であり 2014年(平成26年)に4か月間開帳されました。
室町時代には三好氏の庇護を受けており 七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つとして栄えましたが 天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火に焼かれました。
その後徳島藩主蜂須賀光隆によってようやく再興されましたが 1891年(明治24年)の出火で本堂と多宝塔以外を再び焼失しましたが その後の努力で往時の姿を取り戻したそうです。
とありました。

【竺和山(じくわざん)一乗院(いちじょういん)霊山寺(りょうぜんじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
霊山寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願で行基菩薩が開いたとされる。その後、815(弘仁6)年に弘法大師(774-835)が修法(しゅほう)した際、仏教を説く老師に僧侶たちが耳を傾ける光景に、インド(天竺)の霊鷲山(りょうじゅせん)で釈迦が説法する情景を重ね、「竺和山 霊山寺」と名づけたという。
室町時代には七党伽藍の並ぶ大寺院となり阿波三大坊の一つとして栄えたが、1582(天正10)年、長宗我部元親の兵火に焼かれた。その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、1891(明治24)年には出火により本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。その後の努力で第1番札所としてふさわしい姿となっている。

【01_T.Hamada's view】
仁王門

【01_多宝塔と箱庭】
室町時代に建立された、築600年の多宝塔や箱庭のような美しい庭園や池が見どころ。 (四国霊場開創1200年記念絵はがき)


【四国八十八ヶ所札所巡り①】
霊山寺(りょうぜんじ)は、徳島県鳴門市大麻町坂東塚鼻にある高野山真言宗の別格本山の寺院。山号は竺和山(じくわざん)、院号は一乗院(いちじょういん)。本尊は釈迦如来。四国八十八ヶ所1番札所・発願寺。
寺伝によると、奈良時代の天平年間(729年~748年)に聖武天皇(在位729年~748年)の勅願寺として行基菩薩が開基。平安時代初期の815年に弘法大師が当寺で37日間の修法を行い、四国八十八箇所の霊場を開くことを祈願、釈迦如来を感得し自らその尊像を彫像して本尊とした。修法の際、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み熱心に耳を傾けている光景が、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じ取り、インドの霊山を和国(日本)に移すという意味で「竺和山霊山寺」と命名された。往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇ったが、桃山時代の1582年に長宗我部元親の兵火で堂塔を全焼した。江戸時代に入り、阿波藩主・蜂須賀光隆により復興されたが、明治時代の1891年に本堂と多宝塔以外の堂宇をすべて焼失。百年かけて復興された。
当寺は、JR高徳線・坂東駅の北西500mの、主要道路の県道12号線に面した平地にある。樹木に覆われた境内はそこそこの広さだが、たくさんの伽藍や仏像、池を中心にした庭園がぎゅっと集約されていて、見どころがコンパクトに詰まっている。あと、これから四国八十八霊場巡りをする人にとっては、巡礼用品が揃っている当寺納経所での用品購入も楽しみの一つ。どのぐらい「お遍路さん」になり切るかは、ここでの用品準備次第。自分たちの場合、輪袈裟と頭陀袋にとどめ、菅笠と金剛杖は荷物になるのでパスすることにした。
今回は、念願の四国八十八ヶ所札所巡りをスタートするために参拝した。晴れた休日ということもあり、多くの参拝者が訪れていた。
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