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楽しみ方神橋(二荒山神社)のお参りの記録一覧

日光二荒山神社 神橋

日光二荒山神社 神橋の御朱印

日光二荒山神社 神橋

日光二荒山神社 神橋

日光二荒山神社 神橋

日光二荒山神社 神橋

お盆休みを利用して日光山内の二社一寺を巡りました。 輪王寺、日光東照宮、そして日光二荒山神社は平成11年(1999年)にユネスコ世界文化遺産の「日光の社寺」として登録されていて、日光にはいつかは訪れたいと想いつつ、今回念願叶っての初来訪です。 「神橋」は日光二荒山神社の建造物の一つで、日光山内の入口に架かる朱塗りの美しい反橋です。 橋下に流れるのは、中禅寺湖を発して華厳の滝を流下し日光市内へと流れ出る大谷川で、神橋の赤い欄干と大谷川の青い清流とのコントラストは溜息が出る程の美しさでした。 伝説によると天平神護2年(766年)、勝道上人(しょうどう しょうにん)は二荒山(男体山)の登頂を試みるも大谷川の激流に徒渉する術なく難儀します。 この苦境に上人は護摩を焚いて神仏に加護を求めたところ、川の北岸に一人の神人が現れて「我は深沙大王である。汝を彼の岸に渡すべし」と言いながら手に持っていた二匹の蛇を放ったとされます。 その二匹の蛇は忽ち川の対岸とを結び、その背には山菅が生えて橋となったので、上人は早速これによって急流を渡ることができたと云い、この伝説から、神橋は「山菅の蛇橋」とも呼ばれているそうです。 現在のような朱塗りの橋になったのは寛永13年(1636年)の東照宮の大造替時で、嘗ては徳川将軍・日光例幣使と山伏しか渡れなかったそうですが、現在では拝観料を払えば誰でも渡ることができます。 とは言うものの橋は一方通行で、橋を通っては対岸へと行けない造りとなっています。 神橋の北端の行き止まりまで行って国道122号を挟んで見える深沙王堂の小さな祠に掌を合わせました。

日光二荒山神社/神橋・景観

日光二荒山神社/神橋・景観

日光二荒山神社/神橋・入口鳥居

日光二荒山神社/神橋・景観

日光二荒山神社/神橋・橋姫明神

日光二荒山神社/神橋・深沙王堂

日光二荒山神社/神橋・大谷川を望む

「日光の社寺」の石碑

御朱印

「神橋」は、二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の建造物で、日光山内の入り口にかかる木造朱塗りの美しい橋。奈良時代の末に勝道上人が日光山を開く際、大谷川の急流に行く手を阻まれ神仏に加護を求めたところ、深沙王(じんじゃおう)が現れ2匹の蛇を放ち、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったという伝説を持つ神聖な橋です。別名、山菅橋や山菅の蛇橋(じゃばし)とも呼ばれています。現在のような朱塗りの橋になったのは寛永13(1636)年の東照宮の大造替時。残念ながら、明治35(1902)年にそのときの橋は洪水で流されてしまいましたが、明治37(1904)年に再建され、日本三大奇橋の1つに数えられています。


















今日は出張先での休日だったので、日光に神社仏閣巡りに行きました。まず最初は、車を止めた市営駐車場の近くの、日光二荒山神社神橋を渡ってきました。



てっきり渡ってそのまま向こう側に行けるものだと思っていたら、川をわたった先は行き止まりで、川をわたってまた戻ってきました。


書き置きの御朱印をいただきました。渡橋料と合わせて800円でした。
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