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しんきょう

神橋(二荒山神社)の御由緒・歴史
栃木県 東武日光駅

ご祭神二荒山(男体山)
創建時代伝766年(天平神護2年)
ご由緒

神橋」は、二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の建造物で、日光山内の入り口にかかる木造朱塗りの美しい橋。
奈良時代の末に勝道上人が日光山を開く際、大谷川の急流に行く手を阻まれ神仏に加護を求めたところ、深沙王(じんじゃおう)が現れ2匹の蛇を放ち、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったという伝説を持つ神聖な橋です。
別名、山菅橋や山菅の蛇橋(じゃばし)とも呼ばれています。
 現在のような朱塗りの橋になったのは寛永13(1636)年の東照宮の大造替時。明治35(1902)年にそのときの橋は洪水で流されてしまいましたが、明治37(1904)年に再建され、日本三大奇橋の1つに数えられています。

歴史
歴史[編集] 寛永の架け替え以前[編集] 大同3年(808年)[1][2][3]、勅を受けた[1]下野国司・橘利遠が[1][2][3]山崎太夫長兵衛(橋掛長兵衛[4])に架けさせた[2]と伝えられ、以後16年に1度架け替えたとされる[1][2][3]。原初の橋はつる植物などを使った吊り橋のような姿であった可能性がある[5]。鎌倉時代の『八雲御抄』には「下野の山菅橋」の記載がある[2]。 神橋の実在がはっきりと確認できる文献記録は室町時代に現れる[6][7][8]。当時は一般庶民だけでなく、牛馬も渡っていた[2]。また、両岸からはね出す刎橋(はねばし)であり[1][3]、右岸(南岸)の刎...Wikipediaで続きを読む
引用元情報神橋」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E6%A9%8B&oldid=98223527

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